第51話:深緑の檻
深夜の高速道路を数時間走り続け、ワンボックスカーが辿り着いたのは、都心から遠く離れた山梨県の深い山中に佇む、放棄された古い別荘地だった。
周囲には街灯ひとつなく、車のヘッドライトが照らし出すのは、生い茂る雑木林と、湿った夜霧に濡れたアスファルトの路面だけ。相原美咲は慣れた手つきでハンドルを切り、敷地の最奥にある、周囲のどの家からも数百メートルは離れた一軒家の前で車を止めた。
「大輔さん、お疲れ様でした。私たちの本当の、新しいお家に到着しましたよ」
美咲は運転席から振り返り、後部座席の防音マットの上でぐったりと横たわる高橋大輔に、この世で最も優しい微笑みを向けた。
高橋は、昼間に投与された強い鎮静剤の影響で、自分の意思で身体を動かすことはおろか、瞼を完全に持ち上げることさえ難しい状態だった。しかし、スライドドアが開いた瞬間、彼の肌を刺したのは、都心のマンションでは決して味わうことのなかった、濃密な土と草木の匂い、そして、肌を刺すような本物の山の冷気だった。
(ここは……どこなんだ。僕は、どこまで連れてこられてしまったんだ……)
高橋の細くなった右手首から手錠が外され、美咲の小さくも強固な両腕によって、彼の身体は優しく抱き上げられた。美咲は高橋を再び車椅子へと乗せると、ゆっくりと一軒家の玄関へと進んだ。
建物の外見は年季の入った木造の別荘だったが、一歩中に入ると、そこは完全に『大改造』された異様な空間だった。
玄関の扉には、一般的な家庭用とは明らかに違う、銀行の金庫を思わせるような重厚な三重の電子ロックが取り付けられていた。そして、リビングへと続く廊下の壁、天井、床のすべてには、音楽スタジオ等で使用される、光を一切反射しない漆黒の「ウレタン製防音吸音材」が、隙間なくびっしりと貼り詰められていた。
窓という窓はすべて内側から厚い鉄板で完全に塞がれ、溶接されており、外の世界の光も、風も、一ミリたりとも中へは入れない構造になっていた。
「どうですか、大輔さん。このお家ね、私が数ヶ月前から、不動産屋の休眠物件を偽名を使って一括で購入して、内装をすべて一人で防音仕様に作り替えたんです。ここならね、大輔さんがどれほど大きな声で叫んでも、どれほど暴れても、外には小鳥のさえずり一つすら漏れません。……本当の、誰にも邪魔されない、私たちの聖域です」
美咲は高橋を寝室の真新しいベッドへと横たわらせると、手際よく彼の右手首、そして両足首を、今度は床のコンクリートの基礎に直接ボルトで打ち込まれた、太い真鍮の鎖へと繋ぎ止めた。
カチャリ、カチャリ、カチャリ。
重厚なロックの音が、無響室のような静寂の部屋に不気味に響き渡る。
高橋はその音を聴きながら、自分の人生が完全に、この深緑の地の底へと埋められたことを直感した。目黒のワンルームさえも、まだ外の世界の気配が残る生温かい檻に過ぎなかったのだ。ここに彼を助けに来られる人間は、この地球上に一人も存在しない。
「さあ、お薬を飲んで、今夜はゆっくり眠りましょうね。明日からは、ずっとずっと、二人きりの時間が待っていますから」
美咲は並々と注いだ琥珀色のシロップ薬を、高橋の唇へと押し当てた。
高橋はもう、拒絶するだけの涙さえ枯れ果てていた。彼はただ、家畜のように口を開け、彼女の与える甘い毒を静かに飲み下した。意識が深い闇へと沈んでいく中、彼の耳に届いたのは、美咲の狂おしいほど幸福そうな、低い笑い声だけだった。




