第50話:終の檻への移送
深夜午前二時。目黒区のワンルームマンションの前に、一台の大きな黒いワンボックスカーが、ヘッドライトを消した状態で静かに停車した。
運転席から降りてきたのは、私服に着替えた相原美咲だった。彼女は周囲の住宅街が完全に眠りに就いていることを確認すると、足音を立てずにマンションのエレベーターへと乗り込み、302号室の扉を開けた。
寝室の障子戸を開けると、ベッドの上で両手と両足を完全に固定された高橋大輔が、恐怖に満ちた瞳で彼女を見上げた。
昼間、美咲が仕込んでいった強い鎮静剤の影響で、彼の身体は自らの意思で指先を動かすことさえ難しいほど、ぐったりと弛緩していた。しかし、その耳だけは、美咲が部屋に入ってきた気配を敏感に捉えていた。
「美咲……ちゃん……? 今、何時……? どこに行くの……?」
高橋の口から、掠れた、幼児のようなか細い声が漏れる。
「大輔さん、おはようございます。新しいお家の準備が、完璧に整いましたよ」
美咲は満面の笑みを浮かべ、高橋のベッドの横にしゃがみ込んだ。
彼女の手には、手錠と足枷のロックを解除するための真鍮の鍵が握られていた。美咲は手際よく彼の拘束を解いていく。しかし、高橋の肉体は数ヶ月の監禁生活と薬の副作用によって完全に衰弱しており、鎖が外されても、ベッドから立ち上がるだけの力は一ミリも残されていなかった。
美咲は、高橋の細くなった身体を優しく抱き起こすと、あらかじめ用意していた大きな『車椅子』へと彼を乗せた。そして、彼の全身を覆い隠すように、厚手の毛布を何重にも巻き付け、頭には深めの帽子を被せた。外から見れば、ただの足の不自由な家族を夜間に移動させているようにしか見えないカモフラージュだった。
「さあ、行きましょう。誰も私たちの名前を知らない、本当の楽園へ」
美咲は車椅子を押し、エレベーターを使って地下の駐車場へと降りた。
ワンボックスカーの後部座席は、シートがすべて取り外され、一面に厚い防音マットが敷き詰められた『動く密室』へと改造されていた。美咲は高橋の身体を優しく抱き上げ、そのマットの上へと横たわらせると、再び彼の右手首を、車のフレームに溶接された頑丈な鉄のリングへと手錠で繋ぎ止めた。
ガチャリ、と重いスライドドアが閉まり、車内は完全な暗闇に包まれた。
高橋は暗闇の中で、静かに涙を流した。
自分が今、どこへ連れて行かれようとしているのか、彼には知る由もなかった。目黒のこの部屋さえも、まだ生ぬるい仮の檻に過ぎなかったのだ。これから向かう場所は、外の世界の光が、人間の世界の声が、一ミリも届かない、本当の奈落の底。
車が静かに発進し、深夜の高速道路へと滑り込んでいく。
運転席の美咲は、ハンドルを握りながら、カーナビの画面をじっと見つめていた。目的地の座標は、都心から遠く離れた、人里離れた山の中にある古い別荘地の一軒家を示していた。そこは、彼女が数週間前から、高橋を永遠に幽閉するために裏で購入し、部屋全体を『完全防音・完全密室』のケージへと大改造しておいた『終の檻』だった。




