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歪んだ愛  作者: S.S
第一章 日常の片思い(表の顔)

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第5話:亀裂の始まり

月曜日の朝、オフィスを包む空気はいつも重苦しい。週末の余韻を引きずった社員たちが、眠そうな目をこすりながら足早にデスクへと向かっていく。その中にあって、相原美咲の足取りは驚くほど軽やかだった。

彼女の顔には、土日を徹夜に近い状態で過ごしたとは思えないほど、完璧な「いつもの笑顔」が張り付いていた。肌のくすみは厚めのファンデーションで隠し、目の下のクマはコンシーラーで消し去ってある。

「おはようございます、高橋先輩」

午前七時五十二分。寸分の狂いもなく現れた高橋大輔に対し、美咲はいつも通り、鏡の前で練習を重ねた理想的なトーンで声をかけた。

「あ、相原さん、おはよう。今週もよろしくね」

高橋はいつもと変わらない爽やかな笑みを返し、自分のデスクへと向かう。そのジャケットの胸元からは、金曜日の夜に美咲を絶望させたあのシトラスの香水が、変わらずに漂っていた。美咲はその匂いを胸の奥深くへ吸い込みながら、心の中で冷酷に微笑んだ。

(今週もよろしくね、大輔さん。私、あなたのために、邪魔なゴミをお掃除することにしたの)

美咲は自分の席に着くと、手早くルーティンワークをこなし始めた。しかし、彼女の意識はすでに仕事にはない。午前十時、社内の共有サーバーにある「全社社員スケジュール」の画面を開いた。美咲が探しているのは、他部署の受付担当である『香織』の動向だった。

美咲の読み通り、受付のシフト表によれば、香織は今日の午前十一時から一時間の休憩に入ることになっていた。そして、高橋のスケジュールを見ると、彼は十一時から社内の会議室で、営業部の重要なミーティングに参加することになっている。

二人が絶対に接触しない、空白の一時間。

「よし……」

美咲は引き出しから、あらかじめ週末に用意しておいた、小さな未開封の封筒を取り出した。中には、香織のアカウントから印刷した「あの金曜日のディナー」の写真と、裏面に歪んだフォントで印刷された短いメッセージが入っている。

『身の程を知れ。これ以上彼に付きまとうな』

文字のフォントや印刷の癖から個人の特定ができないよう、ネットカフェのパソコンを使って印刷したものだった。美咲にとって、これは単なる嫌がらせではない。高橋を害虫から守るための、正当な「警告」だった。

午前十一時。オフィスから高橋が資料を抱えて会議室へと向かうのを見届けると、美咲は「少し席を外します」と隣の席の同僚に告げ、書類を一枚手に取って席を立った。あたかも他部署へ書類を届けに行くかのような、自然な仕草だった。

エレベーターに乗り、香織が所属する総務・受付グループのフロアへと向かう。この時間のオフィスは、多くの社員がミーティングや外出で席を外しており、廊下の人通りはまばらだった。

美咲は受付の裏手にある、社員用の更衣室兼ロッカーへと向かった。社内の構造は、過去に手伝った社内美化委員会の資料から完璧に頭に入っている。ドアの隙間から中を覗くと、幸いなことに誰もいない。香織はちょうど今頃、社外のカフェで優雅にランチでも楽しんでいるのだろう。

美咲は音を立てずに部屋へ侵入すると、ネームプレートが並ぶロッカーの中から『吉川香織』の文字を探し当てた。鍵はかかっていない。美咲は手袋をはめた手でそっとロッカーの扉を開け、香織の通勤用ハンドバッグのポケットへ、用意していた封筒を滑り込ませた。

作業に要した時間は、わずか十秒。

「これで一つ目……」

美咲は冷たい笑みを浮かべ、何事もなかったかのように更衣室を後にした。

午後一時前。美咲が自分のデスクでパソコンに向かっていると、フロアの入り口が騒がしくなった。高橋が会議から戻ってきたのだ。その後ろから、少し青ざめた顔をした香織が、高橋の腕を掴むようにして入ってくるのが見えた。

美咲はキーボードを叩く手を止めず、伏せた目線の端で二人の様子を凝視した。

「大輔くん、本当に怖いの……。ロッカーを開けたら、こんなものがバッグに入ってて……」

香織は震える手で、先ほどの封筒を高橋に差し出していた。高橋は眉をひそめ、中身の写真とメッセージを確認すると、一瞬で表情を強張らせた。

「これは……ひどいな。誰がこんなことを。香織、最近誰かに恨まれるような覚えはある?」

「ないよ……。私、普通に仕事してるだけなのに。誰かが私のロッカーに入ったってことでしょ? 気持ち悪くて、もう会社にいられない……」

香織は今にも泣き出しそうな声を上げていた。高橋は彼女の肩を優しく抱き寄せ、「大丈夫、僕がついてるから。とりあえず上司に報告して、防犯カメラの映像を確認してもらおう」と、必死に彼女を落ち着かせようとしていた。

その二人の姿、高橋が香織に向ける守るような視線。それを見た瞬間、美咲の胸の奥で、激しい嫉妬の炎がバチバチと音を立てて燃え上がった。

(どうして……? どうしてそんな女を庇うの、大輔さん。泣けば守ってもらえると思っている、あんな安い女のどこがいいの?)

美咲の握るペンが、みしみしと音を立てる。しかし、彼女はすぐにその感情を押し殺した。香織が怯え、会社に来るのを怖がっている。それは、自分の計画が確実に成果を上げているという証拠だった。

高橋が香織を連れて総務部のオフィスへと向かうのを見送りながら、美咲は静かに、深く息を吐き出した。

これで第1章「日常の片思い(表の顔)」の幕が下りる。純粋だった恋心は完全に消え去り、邪魔者を排除するための冷酷な計画が始まった。美咲の視線の先には、何も知らずに怯える高橋の、崩れゆく日常の景色が広がっていた。

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