第27話:電子の眼差し
相原美咲の日常は、四分割されたスマートフォンの画面を中心に回り続けていた。
朝、自分のマンションで目を覚ますと、彼女は真っ先に枕元の端末を手に取る。画面の向こう、寝室のカメラが捉える高橋大輔は、まだ乱れたシーツの中で浅い眠りを貪っていた。彼が寝返りを打ち、微かに眉をひそめる。その些細な肉体の動きひとつ、漏れ聞こえる小さな寝息ひとつでさえ、美咲にとっては極上の甘美な劇薬だった。
「大輔さん、おはよう。今日も私が、あなたを一番近くで見守ってあげる」
美咲は画面の中の彼に向かって優しく囁き、愛おしそうに液晶を撫でた。
会社での美咲は、これまで以上に「従順で無害な後輩」を徹底していた。社内での高橋の立場は、美咲が裏で流した悪評のせいで完全に崩壊し、いまや誰も彼に近寄ろうとはしない。フロアの隅で腫れ物のように扱われ、孤独に机に向かう高橋。その姿を見つめながら、美咲の胸は「世界中で彼を救えるのは私だけ」という歪んだ全能感で満たされていた。
しかし、24時間の監視を続ける中で、美咲の鋭い目は、高橋の「ある小さな変化」を捉えていた。
その日の深夜、美咲が自宅のベッドでリビングのカメラ映像を見つめていた時のことだった。ソファに座っていた高橋が、ふと動きを止め、部屋の天井の隅へと視線を向けたのだ。そこは、美咲がエアコンの吹き出し口に隠しカメラを仕込んだ場所の、すぐ近く boardroom だった。
高橋は眉をひそめ、何かに怯えるようにじっとその空間を凝視していた。それから、立ち上がって部屋のあちこちを不自然に歩き回り、壁の隙間やテレビの裏を覗き込み始めた。
『……おかしい。誰かに、見られている気がする……』
画面から漏れてきた高橋の呟きは、恐怖に激しく震えていた。
人間の本能とは恐ろしいもので、いくら精密に隠された電子の眼であっても、24時間執拗に注がれ続ける「視線」の圧力を、高橋の脳は無意識のうちに感知し始めていたのだ。彼は自分のスマートフォンを取り出すと、美咲にメッセージを打った。
『美咲ちゃん、ごめん、こんな時間に。やっぱり僕、病気が進んでいるみたいだ。部屋の中に、僕以外の「誰かの気配」がするんだ。どこを見ても誰もいないのに、ずっと視線を感じる。僕、本当に頭がおかしくなっちゃったのかな……』
美咲の手元で、スマートフォンの通知がポップアップする。美咲は、画面の向こうで頭を抱えて震える高橋の姿をリアルタイムで見下ろしながら、冷徹な笑みを浮かべた。
(大輔さん、お気の毒に……。でも、それでいいの。あなたがその部屋に恐怖を感じれば感じるほど、私の腕の中しか逃げ場がなくなるんだから)
美咲はすぐさま、これ以上ないほど優しく、そして巧妙な返信を打った。
『大輔さん、大丈夫ですか!? 心配です……。極度のストレスと睡眠不足のせいで、脳が過敏になって幻覚や被害妄想を引き起こしてしまうことがあるって、前に心療内科の先生も仰っていましたよね。大輔さんの頭がおかしいわけじゃありません。ただ、お部屋の環境が、大輔さんにとってプレッシャーになってしまっているだけです。明日、私がまたお邪魔して、安心させてあげますね』
画面の向こうで、高橋が美咲からのメッセージを読み、すがるようにスマートフォンを握りしめるのが見えた。彼は何度も深く呼吸を繰り返し、自分に「これは病気のせいだ、気のせいだ」と言い聞かせるように、処方された抗不安薬をまた一錠、水で飲み込んだ。
美咲はマスクを外した顔で、暗闇の中で不気味に目を細めた。
高橋の中に芽生えた「見えない視線への恐怖」。それを利用して、彼をさらに社会から切り離し、自分の支配下に置くための新たなトラップのアイデアが、彼女の脳内で鮮明に形を結びつつあった。




