第25話:空白のパノラマ
相原美咲は、高橋大輔の部屋のクローゼットの奥に潜み、暗闇の中で静かに呼吸を整えていた。
時刻は平日の午後二時。高橋は美咲に促されるまま、体調不良を理由に会社に遅れて出社し、今はデスクワークのためにオフィスにいるはずだった。彼のスマートフォンのGPSドットは、確かに社内の位置を示したまま動いていない。美咲は、彼が不在のこの数時間こそが、自分たちの未来を完璧なものにするための「聖なる時間」であることを知っていた。
美咲はクローゼットから這い出ると、誰もいないリビングの真ん中に立ち、バッグからいくつかの小さな精密機械を取り出した。
それらは、秋葉原の裏通りにある専門店で、美咲が数週間をかけて少しずつ買い集めた高性能の超小型隠しカメラと、広帯域の盗聴器だった。カメラのレンズは直径わずか数ミリ、本体はマッチ箱の半分ほどの大きさしかなく、家庭用の電化製品や家具の隙間に仕込めば、素人が発見することは不可能な代物だった。
「これで、いつでも大輔さんと一緒にいられるわ……」
美咲の瞳には、湿った狂気の光が爛々と輝いていた。彼女にとって、これは単なる盗撮やプライバシーの侵害ではない。大輔さんが一人でいる時に、どんな表情をし、どんな風に苦しみ、どんな言葉を呟いているのか、そのすべてを把握して優しく包み込むための「愛の共有」だった。
美咲はまず、リビングのエアコンの吹き出し口の隙間に、一つ目のカメラを仕込んだ。ここからは、高橋がいつも座るソファと、部屋の出入り口が完璧に一望できる。ピンセットを使って配線を巧みに隠し、エアコンの電源から直接電力を供給できるよう加工を施した。これにより、電池切れの心配なく24時間いつでも映像を配信し続けることが可能になる。
次に彼女が向かったのは、寝室だった。
高橋が毎晩、薬の力を借りて泥のように眠るセミダブルのベッド。美咲はその枕元にある、木製のサイドテーブルの裏側に、二つ目のカメラと集音マイク付きの盗聴器を設置した。
美咲はサイドテーブルの引き出しをそっと開けた。そこには、高橋が心療内科で処方された抗不安薬や睡眠導入剤のシートが、乱雑に散らばっていた。美咲はそのシートの数を一つずつ数え、ノートに記録していく。
「お薬の減り方が早いな……。大輔さん、本当に心が傷ついているのね。でも大丈夫、私がもっと楽にしてあげる」
美咲はさらに、部屋のあらゆる場所へカメラを配置していった。キッチン、廊下、そして脱衣所。彼の生活動線のすべてが、美咲のスマートフォンへとリアルタイムで送信されるシステムが、数時間のうちに完璧に構築されていった。
作業を終えた美咲は、自分のスマートフォンを開き、専用の監視アプリを起動した。
画面が四つの分割され、高橋の部屋の各場所が、鮮明なカラー映像で浮かび上がった。音声の感度も良好で、外を走る車の微かな音まで拾っている。
「完璧……。本当に、きれいなケージができたわ」
美咲は満足げに微笑むと、自分が侵入した形跡を寸分違わず消し去り、メゾン・ド・ラフィールを後にした。彼女の胸は、これまでにない圧倒的な全能感で満たされていた。高橋大輔という存在は、もう彼女の手のひらの上でしか生きられない、檻の中の小鳥になったのだ。




