第23話:蔓延する悪評
相原美咲が敷いた「高橋大輔孤立化計画」の網は、さらにその目を細かくし、冷酷に営業部のフロアを絞り上げていた。
先輩である渡辺との関係を完全に断絶させることに成功した美咲が、次にターゲットに定めたのは、フロアにいる他の女性社員たちだった。高橋はその端正な容姿とスマートな振る舞いから、既婚・未婚を問わず、多くの女性社員から密かに憧れの視線を集めていた。それが美咲にとっては、反吐が出るほど不快なノイズだった。
(大輔さんの価値を理解していいのは、この世界で私だけ。他の有象無象の女たちが、気安く彼に視線を送るなんて許せない)
美咲は、社内の女性たちが好む「噂話のネットワーク」を逆に利用することにした。
水曜日の昼下がり、美咲は同期の女性社員である木村と、給湯室で二人きりになった。木村は営業部のアシスタントで、以前から高橋の熱烈なファンの一人だった。美咲はいつものように、怯えた、しかし重大な秘密を打ち明けるようなトーンで木村に近づいた。
「ねえ、木村さん……ちょっと、耳を貸してもらえる? 誰にも言わないって約束してほしいんだけど……」
「え? 何、相原さん。改まってどうしたの?」
木村は目を輝かせ、美咲の口元に耳を寄せた。
「実は……高橋先輩のことなんだけど。最近、すごく様子がおかしいでしょう? 私、先週の夜、先輩から突然、個人的なLINEが送られてきて……。内容が、ちょっと普通の先輩後輩の関係を越えているというか……『今から家に来ないか』とか『君のことが頭から離れない』とか、一方的に何度も送られてくるの。怖くなって既読無視したら、次の日、デスクの周りを何度も睨みつけながらウロウロされて……」
美咲は震える手でスマートフォンを抱きしめる演技をした。
「えっ……嘘でしょ!? あの高橋さんが? でも、吉川さんのストーカー被害に遭ってた側じゃないの?」
「それが……総務の人から聞いた噂だと、本当は逆だったらしいの。高橋先輩が吉川さんに執拗にしつこくつきまとって、精神的に追い詰めたから、吉川さんは会社に来られなくなったって……。自分の犯罪を隠すために、自分が被害者だって嘘をついて周りの同情を引いていたらしくて。私、本当に怖くて、警察に相談しようか迷っているの……」
「そんな……信じられない。サイコパスじゃん……」
木村の顔から血の気が引いていく。美咲のこの「偽りの被害報告」は、瞬く間に社内の女子社員たちのネットワークを駆け巡った。
女性たちの間で、高橋大輔という男の評価は一瞬にして「容姿端麗なエース」から「女性を精神的に追い詰める危険な性犯罪者予備軍」へと反転した。
翌日から、オフィスでの高橋への視線は完全に変わった。
彼が通路を通るだけで、女性社員たちは目に見えて身体を強張らせ、サッと距離を取るようになった。彼が何かを尋ねようと近づくだけで、周囲の空気が凍りつき、誰もが目を合わせようとしなくなった。
高橋は、そのあからさまな拒絶と嫌悪の視線にすぐに気づいた。
ただでさえ心療内科の薬で脳が朦朧としている彼にとって、昨日まで普通に接していた同僚たちが、自分をまるで「汚物」か「怪物」を見るような目で睨みつけてくる現実は、あまりにも残酷だった。
(どうして……? 僕が何をしたっていうんだ。どうしてみんな、僕をそんな目で見るんだ……)
高橋はデスクで頭を抱え、孤立無援の恐怖に打ち震えていた。彼の周囲に広がる、完全なる空白の領域。その中で、ただ一人、変わらぬ微笑みを浮かべてコーヒーを差し出してくれる相原美咲だけが、彼の世界を繋ぎ止める唯一の光だった。




