第22話:孤立への包囲網
美咲が職場で仕掛けた「罠」は、恐ろしいほどの速度で効果を発揮し始めていた。
高橋大輔は、あの日を境に、職場の同僚たちとの接触を極端に避けるようになった。特に、あれほど慕っていた先輩の渡辺から話しかけられても、必要最低限の敬語で事務的に返すだけになり、ランチや仕事終わりの飲みへの誘いも「体調が優れないので」とすべて拒絶するようになった。
「高橋のやつ、最近なんか変だよな。吉川さんの件以来、ずっとピリピリしてるっていうか、人を寄せ付けない雰囲気がある」
「優秀なのは認めるけど、あんな態度をとられると、こっちも仕事の相談がしづらいよな」
オフィスの喫煙所や給湯室では、高橋に対する愚痴や不満が少しずつ漏れ始めていた。美咲はそれらの噂話をすべて耳に挟みながら、自分のノートに『排除リスト』の進捗を書き込んでいった。
高橋の周囲から人が消えていく。それは、彼が職場というコミュニティの中で、完全に剥き出しの「孤児」になっていくことを意味していた。そして、彼が周囲を拒絶すればするほど、唯一の理解者である相原美咲への依存度は、天を突くように高まっていった。
「相原さん。今夜も……僕の部屋に来てくれるかい?」
午後五時半、高橋からスマートフォンのメッセージアプリに連絡が入った。会社では他人の目を気にして直接話しかけてこないが、裏では毎日のように美咲の温もりを求めてくる。
「もちろんです、先輩。今夜は先輩の好きなハンバーグを作りますね」
美咲は素早く返信を打つと、定時のチャイムと同時に席を立った。
彼女の足取りは軽やかだった。高橋の部屋へ向かう途中のスーパーで食材を買い込み、世田谷区代沢のマンション『メゾン・ド・ラフィール』へと向かう。
いまや、この部屋のオートロックを美咲の合鍵で開けることは、彼女の日常の一部となっていた。
部屋に入ると、高橋はすでにベッドに横たわっていた。会社での張り詰めた表情とは一転し、美咲の姿を見た瞬間に、まるで母親を迎える幼子のようにホッとした表情を浮かべる。
「お疲れ様です、大輔さん。今日も大変でしたね」
美咲は「先輩」という肩書きを外し、プライベートな空間では彼の名前を直接呼ぶようになっていた。高橋もそれを拒絶することなく、むしろその特別感に心地よさを感じているようだった。
美咲は手際よくキッチンでハンバーグを作り、リビングのローテーブルに並べた。高橋はソファに座り、美咲がスプーンで口元まで運んでくれる食事を、大人しく受け入れて飲み込んでいく。
「相原さんがいないと、僕はもう、会社に行くこともできないかもしれない。周りの人が、全員僕を陥れようとしているように見えるんだ。渡辺さんも、課長も、みんな僕の敵なんじゃないかって……」
高橋は食事を終えると、美咲の膝の上に自分の頭を乗せて、うわ言のように呟いた。膝の上に伝わる、彼の頭の重み。彼の髪の感触。美咲は恍惚としながら、彼の頭を優しく撫で回した。
「大丈夫ですよ、大輔さん。周りの人たちがみんな敵でも、私だけはあなたの味方です。会社の人たちなんて、大輔さんの本当の価値を分かっていないんです。彼らなんて、どうでもいいんですよ」
美咲の言葉は、高橋の耳に心地よく響く甘い毒薬だった。
彼を社会から孤立させ、自分以外の人間を信じられなくする。そうすれば、彼はこの部屋という檻の中から、一歩も外に出られなくなる。
「そうだね……。僕には、君がいればそれでいいんだ」
高橋は目を閉じ、美咲の太ももに顔を押し付けた。
美咲はその姿を見下ろしながら、心の中で冷酷な爪をさらに深く突き立てていた。
高橋大輔は、自分が自らの意思で同僚を遠ざけ、自らの意思で美咲を選んでいると思っている。しかしその実、彼は美咲が巧妙に張り巡らせた「孤立のクモの巣」に絡め取られ、ただ身動きが取れなくなっているだけに過ぎなかった。




