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歪んだ愛  作者: S.S
第二章 観察と境界線の崩壊

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第13話:解剖される日常

代沢の住宅街に、午前四時の朝焼けが薄紫色の光を投げかけ始めていた。カラスの鳴き声が遠くで響く中、相原美咲は自分のマンションの部屋へと帰り着いた。

彼女の両手には、半透明の指定ゴミ袋が一つ、大切そうに抱えられていた。それは、先ほど『メゾン・ド・ラフィール』のゴミ集積所から、周囲の目を盗んで素早く回収してきた、高橋大輔の部屋から出された本物のゴミだった。

美咲は玄関の鍵を閉めると、靴も脱がないまま部屋の奥へと突き進んだ。

彼女はあらかじめ、フローリングの床の上に大きなビニールシートを二重に敷き詰めていた。その中央に、まるで宝箱を開けるかのような手つきで、高橋のゴミ袋を置く。

カサリ、とビニールが擦れる音が静まり返った部屋に響く。美咲はバッグから医療用の薄いゴム手袋を取り出し、パチンと音を立てて両手に嵌めた。マスクを深く付け直し、ピンセットと、分類記録用の新しいノートを傍らに配置する。

「さあ……大輔さんの毎日を、教えてね」

美咲の瞳は、まるで未知の生物を解剖する狂気的な科学者のように、爛々と輝いていた。

彼女は袋の口を結んでいた紐を丁寧に解き、中身をシートの上へとゆっくりとぶちまけた。

一般的な三十代男性のゴミ。そこには、コンビニの弁当ガラや、飲み終えたペットボトル、くしゃくしゃに丸められたレシートなどが乱雑に混ざり合っていた。普通の人間が見れば、ただの「汚物」でしかないその山が、美咲にとっては高橋の肉体と精神の記録が詰まった、至高のアーカイブだった。

美咲はピンセットを使い、一つ一つのゴミを丁寧に分別し、ノートに書き加えていった。

まず目に付いたのは、大量の缶ビールの空き缶だった。それも、以前彼が会社で「たまに飲む」と言っていた爽快系の発泡酒ではなく、アルコール度数の高い、ガツンとくるタイプのストロング系の缶が六本も転がっていた。

「大輔さん、お酒の量が増えてる……。そうよね、あの女のせいで眠れないから、アルコールで脳を麻痺させて無理やり眠ろうとしているのね」

美咲は痛ましそうに呟きながら、缶の飲み口の部分をそっと指先でなぞった。彼の唇が触れたであろう場所に、自分の手袋越しではない皮膚を重ね合わせたい衝動に駆られたが、今は解剖の手を止めるわけにはいかなかった。

次に彼女が手に取ったのは、数枚のコンビニのレシートだった。

レシートには、購入した日時と品目が克明に刻まれている。美咲はそれを時系列順に並べ替えた。

『〇月〇日 21:45 おにぎり(鮭)、カップうどん、睡眠改善薬』

『〇月〇日 02:15 サンドイッチ、ミネラルウォーター、頭痛薬』

「ご飯、これしか食べてないの……? 栄養のあるものを食べなきゃダメなのに。レトルトや出来合いのものばかり。私が毎日、キッチンに立って、バランスの良い手料理を作ってあげなきゃ……」

美咲の歪んだ母性と使命感が、暗い部屋の中で急速に膨張していく。高橋が自分なしでは健康に生きられないという「事実」を、ゴミの山が証明しているように思えてならなかった。

そして、美咲のピンセットが、袋の奥底に沈んでいた、細かく引き裂かれた何かの書類の破片を捉えた。

それは、心療内科の領収書と、薬の説明書きだった。美咲はピンセットで破片を一つずつ拾い上げ、パズルのようにビニールシートの上で組み合わせていく。浮かび上がってきたのは、強い抗不安薬と、中時間型の睡眠導入剤の名前だった。

「やっぱり、お薬がないと生きていけないくらい、壊されちゃったんだ……」

美咲の胸に、激しい怒りと、それ以上の歪んだ歓喜が込み上げた。

世界から孤立し、恋人に捨てられ、精神の薬に依存する高橋大輔。その哀れな男のすべてを握っているのは、会社の上司でも、あの吉川香織でもない。毎晩彼のゴミを拾い集め、彼の排泄物や消費行動のすべてを把握している、この自分なのだ。

解剖が終わる頃には、時計の針は午前六時を回っていた。

美咲は高橋のゴミを、品目ごとに完璧に分類し、専用の密閉コンテナへと収めていった。彼の生活の痕跡を、自分の部屋に「コレクション」として保管するためだ。

彼女はゴム手袋を脱ぎ、高橋のノートに最後のまとめを書き込んだ。

『大輔さんは今、完全に一人。精神的に限界。私が彼の部屋に入り、彼を直接支えるための「鍵」を手に入れる時がきた』

美咲は立ち上がり、姿見の鏡の前に立った。

二日間の徹夜により、彼女の顔は幽鬼のように青白かった。しかし、その瞳の奥には、高橋大輔という存在を完全に自分のケージへと誘い込むための、冷酷で具体的な計画が、鮮明に描き出されていた。

彼のプライベートを外側から『観察』するフェーズは、今夜で終わりだった。次からは、彼の聖域である「部屋の内部」へと直接侵入するための、最も危険な一歩が始まろうとしていた。


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