枯れ葉のようには、
誰もいない病室で、彼女は虚空を見つめていた。
「久しぶり。日和。ごめん。全然会いに来れなくて。」
無精髭を生やし、傷だらけの眼鏡をかけた私が数年越しに会いに来て、果たして日和は嬉しいだろうか。
「言いたいことがたくさんあったんだ。いいかな」
瞳が、ほんの少し、私だけが気づける程度に、動いたような気がした。
「私はもう、小説を書けなくなったよ。何も、残せやしない。君と同じように、私も死んでる。ただ、私のものがこの世にあるということが、未練なんだ。だから、日和が持ってる『想い』を、私に返してくれないか。勝手でごめん。許して欲しい」
嫌だ。離さない。
彼女の口は一切動いていないが、そう聞こえた。
「日和。もういい。もういいよ。私は早く眠りにつきたいんだ。いや、日和。やっぱり、いいや。もう、二人でここから居なくなろう。お互い、中途半端なままだ」
私は、彼女の首に手をかけようとした。
日和はそれを拒んだ。
私の腕を掴み、掠れた声で私に言った。
「嫌、退蔵、生きて」
「日和…」
目を疑うべき事実より、その言葉に意味があった。
もう、やめてくれ。私を留めようとしないでくれ。
「名前、退蔵さんって言うんですね。出てきたんだ」
私の背後、病室の入り口から、名前の知らない彼女の声がした。
「日和ちゃん、生きて欲しいって言ってますよ。いいんですか?」
「…何が」
「彼女の想いを無下にして」
そんなの、いいわけがないじゃないか。
そうだ。そうだった。
私は日和を愛していたんだ。
愛して、愛して、今だってどうしようもなく愛してる。
死ぬとか生きるとか、そんなことよりも、日和にただ、褒めて欲しかった。
それだけで良かったのだ。
見ず知らずの他人の言葉なんかでは、満たされなかった。
全部、日和のためだった。
この期に及んでまだ、私は欲張りなんだ。
すまない。日和また後で来る。
私はすぐに家に帰った。
急に空腹を感じ、腹が膨れるまで食べ続けた。
私にとって、生きるということはなんなのか。
ずっと、誰にも言わず考えてきた。
私は、生きる。
気づけば、酒のグラスを放り投げ、畳を盛大に濡らすのに見向きもせず、私はペンを握っていた。
生み出す。
私は、それこそが生きることと信じた。
日和に伝えたいこと、言いたいこと、経験したこと、全てを物語にした。
ペンを走らせ、貯めていた白紙を一枚残らず埋め尽くし、机にも、壁にも、私の手が届かなくなるまで幾つもの物語を広げた。
私は今、生きている。
死んでなんかいない。
後先も何も考えず、ただ、生きている。
ふと、窓の外へ目をやると、すっかり暗くなっていた。
日和に会いに行ったのが早朝のことだったから、丸一日中、生み出し続けていた。
後ろに倒れ込み、手元にグラスがないことを再認識してから、グラスがあった場所にインクの切れたペンを突き刺した。
次のペンを取り出し、また書き始めた。
書かないと、生きていられないような不安に駆られた。
一種の精神疾患とも言えそうな程に。
でも、それでも、私は、生をしていた。




