琥珀色 上
長くなったので、上下で分けます。前回よりずいぶんと文体が変わります。
こんな夢を見た。
夕暮れの街道を歩いている。街は人々の喧騒にひっきりなしに包まれて、その街行く人はどれも斜陽の影が射して顔が見えないでいる。
目に映るすべての人間が同じ姿だった。誰も彼も同じ色の、同じかたちの背広に身を包んでいる。
似たような薄茶色のハットを被って、布の端々から覗く肌が全て真っ黒である。
そのはびこる人間の顔には黒色以外の何も、目も口もない。凹凸さえ無いマネキンのような顔立ち、そういった人間だけが辺りに跋扈していた。
私もまた背広に身をつつみ、ハットを目深に被っている。斯くして、街には似た人間が一つ増えているだけであった。
その中を行く当ても無く彷徨う内に、私はふとパン屋の存在を思い出した。職場の知人が話していたのだ。ライ麦のパンが上等なのだそうだが。
三番通りに入ったあたり、と言っていただろうか。曲がり角を左へ折れて――西日が正面に見えてくる。橙色の球が、まばゆい光を真っ直ぐに放っている。私は目を細めるでもなく、それを漫然と眺めていた。
休日はいつまで続くのだったか、と思案する。溜まった有給がふと目に止まって、思い切り使ってみたくなったのだ。
歩みは軽薄なまま。艶めかしく光を反射する革靴の、角の整った硬い靴底が石畳を軽快に叩いている。
この景色、この夢に本来の意識はない。あるのは漠然とした知覚意識のみであり、まさしく、夢の中に生きている。
そっと、まぶたを閉じる。網膜をなぞった感覚が残る。東の――背広を向けた空はすでに暗く、藍色と黒色とが均一に混じって広がっている。
頭上に広がる雲は東西に明暗がしかと別れて、まばゆい極彩色に包まれている。どこかの星雲があんな模様をしていただろうか。
――尋常でない景色、現実ならばこれはそういう類の物なのだろう。
秋風が地を這う。足元の雑草をそれが靡かせて、私はまた雲を見上げた。いつの間にか雲は散り散りになって、薄く空に広がるのみだった。
閑古鳥の鳴き声が聞こえた。強く風が吹く。ごうごうとこの身を襲って道路を勇んで進み、道脇に積もった木の葉をはらはら散らす。
――北風、常々寒くて堪らないものだ。
それから、耳に入るものが全て川の流れる音に変わった。目の前には一際大きな橋があり、ちらほらと見物人が集まってその場所を燃ゆる空の展望所に見立てている。私はその中を歩いていく。
川の中で、白い鳥が羽を休めていた。何もかもが白い、純白な鳥だ。鶴に見えるが、ただ真っ白なサギなのかもしれない。
きゅうひゅるる。奴が鳴いて、羽をばさばさ広げる。一度、二度とはためかせた後、また元に戻した。やはり全身が白かった。
奴は日陰に身を潜めてじっと、粛々と流れる水面に顔を向けていた。私が歩みを止めずに奴を見ていると、奴が顔をかしげて、こちら側を見上げた。一瞬、奴と目が合った気がした。
黒い目だ。真円のように丸く、びい玉よりもずっと小さい。奴は一点の曇りも無い目つきでこちらをじっと、じぃっと見つめている。
こちらを見透かそうとしている
――そんな錯覚が身を襲った。
気味が悪い。あの目は生気に満ち溢れているようで、実のところ空虚だ。一秒先の食欲のことさえ投げ捨てて、只管に目の前の虚空を見つめる。
本能的欲求を見捨てて、好奇心――あるいは警戒心――に舵を取りきっている。獣畜生のすることでは甚だ無い。
やはり、不気味でしかない
私はすっかりシケてしまって、傾けていた視線を前に戻した。すでに橋は通り過ぎて、私はレンガ造りの街道の中にいる。
大きな街路樹が生えていた。銀杏の葉と松の枝とが無骨に生えていて、表面も柏やら白樺やらが混じっている。夢だからといってもあまりに粗雑な見た目だ。
おまえさんは可哀想だな、と私は木に向かって言った。なかば八つ当たりであった。
そしたらその木が、貴方に言えたことか、と返してきた。八つ当たりではなさそうだった。
嫌なことを喋る木だ。こんな半端な格好の植物にまで私が可哀想な人間に見えるのか。
私は眉間にしわを寄せて木を睨んだ。
おまえさんのような半端者に何が分かる。私はそう吐き捨てた。
貴方は半端にもなれないだろう。そう木が言った。
「貴方は、何かを捨てることだけが選択だと信じていらっしゃる」
そうすることしか分からないのだな、そう木は続けた。
私はそこで諦めてきびすを返した。八つ当たりさえ失敗した私は、その続きを知らなかったのだ。
また、何かの声が聞こえたような気がした。私はそれを努めて無視した。ぼんやりとした光が、辺りを包んでいる。私はその乾いた路地の中を、ゆっくりとした歩みで進んでいく。
そこには、文字通り何もない空間を一筋の光に向かって進んでいくような、そんな鮮烈な期待の眼差しを伴った感覚があった。
私は不都合な思考 (後悔、恐怖、あるいは懺悔) の一切を放棄して、ただ代わり映えのない薄暗い街道を歩いた。
人と同じく、似た見た目ばかりの赤レンガの建築物が続いたあと、ふと木製の掛け看板が現れた。パン屋とはここのことだろうか、私はそれに足早に近づいた。
掛け看板は裏返されていた。店が閉まっていたのだ。
空を見てみると暗い。茜色は無く、既に視界のほとんどが黒色であった。
こつ然とした街道に、私はひとりだった。
振り返れば、やはり同じような薄暗い道が続き、人の姿は見えやしない。
またか、と思った。
また、なにも分からずに事態が変わっていく。
誰も彼もが、私を置いていく。誰も彼もが。
ため息をついた。いずれ深呼吸に変わっていく。
息を吐き出しきってから、一歩を踏み出した。とたんに視界がふらりと揺れる。がくついた膝をこらえ、倒れることのないようにと力を入れる。
私は歩かなければ、歩き続けなければいけない。夢の中であっても、途中で逃げ出すことは許されない。
そうでもしなければ、私は……いや、あの思い出が、無意味なものになってしまわないように。
がたがたと、ブリキ人形の錆びまみれの関節部のように、胡乱げな足取りで歩く。まさしく人をやめたようだった。
それから流れるように景色が移り変わる。レンガの街道。白色の木、その並木通り。
――やがて、大きな広場のような、そんな場所に躍り出た。
四方に木が茂っている。すでに辺りは暗いが、緑の生気に満ち満ちている。眠りの時を木々は過ごしているのだろうか。
辺りを見渡して、人気がないことを確認した。
ふと、音が聞こえた。旋律……ピアノ。
その瞬間心の中に、泥のように濁った感情が湧いた。
ピアノという言葉には、私にとっては、忸怩たる思いが詰まっている。
つまりは、あまりその旋律を聴いていたくないのだ。それを聞くとどうにも、胸の奥がざわめいて、とたんに視野狭窄の始まりを感じる。
誰がそれを弾いているのか、何を弾いているのか。それらの子細にかかわらず私には毒となる。
あたりに音が木霊する。それは残響して、一帯に絶え間なく散らばって、やはり、私の耳に吐き気がしそうなほどに残り続ける。
なによりも残酷な晩鐘、夜更け。潮の引いていく……夜光虫が光って見える。幻覚。揺れる琥珀色の街灯……胸中に暴れる動悸と同じ周期で近づいてくる……。
いやだ、と思った。ここまでお膳立てされては、もはや歩けそうにない、と。
ふっと身から力を抜いて、私は目をつむりそこに立ち止まった。また行く当てがなくなってしまったのだ。
風もない場所では根無し草も動きようが無いだろう。そう思うしかなかった。
私はすっかり諦めたらしい。
やがて、全能感に似た感覚……夢から覚めるとき特有の……が訪れた。私はそれに身を委ねる。
落下感にもよく似た感覚の中で、夢が終わる。
下はいつ書き終えるのでしょう、区切りがつけづらく難しいです。




