第19話 じゃあ、確かめに行くか
オーク軍を影で操る黒幕・"ヴェルザーク"の正体は、リリィの兄・エリオ=フィンディールだった。
フィグから伝えられたその真実に、リリィは眩暈と吐き気が止まらなかった。
しかし、それを嘘や何かの間違いだと疑うことはしなかった。
ヴェルザークが兄である可能性を、リリィは頭の片隅で感じていたからだ。
オーク達は、異世界で開かれた界門を通って秋葉原に襲来したが、では、一体誰が界門を開いたのか。
"界門ってのは簡単に開けるものなのか?"
"もちろん、そんなことはない。転移魔法と同じくらい高度な魔法だ。……知る限り、それができるのは……リリィのほかには、もう一人だけだ"
リリィと学人はかつてそんな会話をしていた。
その「もう一人」こそ、兄であるエリオその人だった。
「兄上様……兄上様が、なぜ……」
呆然と床にへたり込むリリィは、未だ焦点の合わない目で、そう繰り返していた。
その言葉を聞き、学人は全てに合点がいった。
ヴェルザークの話題が出るたび、顔を曇らせていたリリィ。彼女が最も恐れていたことが、ついに現実になってしまったということか。
「リリィ、……大丈夫か」
尋常ならざる彼女の様子に、学人は背中を摩りながら声をかける。
しかし、リリィは相変わらず譫言のように繰り返すだけだった。
「兄上様……兄上様……どうして…………」
◇
「兄上様、"陣地取り"をやりましょう!」
実戦形式の兵学を模した子供向けのボードゲームを手に、幼いリリィがエリオにせがむ。
「またか? リリィ。何度かかってきても、手は抜いてやらないからな」
エリオは、瞳を輝かせるリリィの髪を優しく撫でながらそう答えた。
リリィによく似た、美しい金髪と、深い青の瞳を持つ、美しい青年だった。
リリィはしょっちゅうエリオに"陣地取り"をせがんでは、毎回こてんぱんにやられていた。
例によって今日も、エリオの圧勝である。
「なんで……なんでいつも、兄上様に勝てないの? リリィは、<天の叡智>を持っているのに」
リリィは幼い瞳に悔し涙を浮かべながら、兄のローブの端を掴んでいた。
「リリィは、真っ直ぐすぎるんだ。兵学向きじゃない。……でも、それがリリィの良いところだからね」
エリオはそう言って微笑み、ベソをかくリリィの傍にかがみ込み、頬にそっと手を当てる。
「お前の<天の叡智>は、争いのためになんて使わなくていい。……どうか、これからも優しいリリィでいてくれ」
「…………でも、リリィも戦わなくてはならない日がくるって、父上様が……」
「そうかもしれない。それでも、覚えていて、リリィ。どんな時でも、兄様が必ず、リリィを守ってやる。約束だ!」
リリィの涙をそっと拭い、エリオはリリィと指切りをする。
エリオがにかっと笑うと、リリィにもようやく笑顔が戻った。
どんな時も優しく、逞しく、正義感の強い兄を、リリィは心から敬愛していた。
そんな兄が、アストリアから姿を消したのは、この約束の日から八年後、そして魔界戦争が始まる三年前のことだ。
アストリア王家、そして民たちの混乱と悲しみは、それは大層なものだった。
国を挙げての大捜索が行われたが、エリオ本人はおろか、一欠片の情報さえも得られなかった。
――――この日までは。
◇
おかしいとは思っていた。
――あの責任感の強い兄上様が、何も言わずに国を空けるわけがない。リリィとの約束を、破るわけがない。
それでも現に、彼女がオーク兵に捉えられたその時も、兄は現れなかった。リリィを守ってはくれなかった。
――リリィを捉えんとしたあのオークどもも、兄上様が差し向けたということ? あの兄上様が……リリィを殺そうとした?
必死に考えようとするが、うまく頭が回らない。
意識も朦朧としてきたリリィの肩が、突然揺さぶられる。
顔を上げると、学人が心配そうにリリィの顔を覗き込んでいた。
「マナト……」
「リリィ、しっかりしろ。……ヴェルザークは、お前の兄ちゃんだった。そうなんだな?」
傷をえぐるようなその質問に心を痛めつつも、学人は確かめなければならなかった。
リリィは声は出さないまま、弱々しく頷いた。
「よし、じゃあ、確かめにいくか。準備するぞ、リリィ」
「……確かめに……? 準備……?」
「……お前、本当に兄ちゃんが悪者になっちまったと思ってるのか?」
学人の言葉に、リリィの瞳が僅かに揺れる。
――兄上様が、アストリアに背向くことなど、あるわけがない。リリィを殺そうとするわけがない。
だが一方で、ヴェルザークがエリオだという残酷な真実は、変わらずに存在する。
リリィの思考は同じところを何度も巡り続けていた。
「優しい兄ちゃんが敵の黒幕になってました、なんてな、操られてるか、何か考えがあってのことかって相場が決まってんだ」
学人はリリィの両肩に手を置き、真っ直ぐに彼女を見つめて続ける。
「だから、お前は、お前の信じる兄ちゃんを信じろ」
リリィは、頭にかかった靄が少しずつ晴れていくように感じた。
この男の言葉には、いつも不思議な力がある。
――そうだ。きっと、何か、裏があるに違いない。
「さあ、行くぞ」
そう言って学人は何かをリリィに手渡した。
リリィが視線を落とすと、それは、リリィがアストリアから来た日に身に纏っていた、美しい光沢のある水色のローブだった。
「行くとは、まさか……」
リリィは顔を上げて学人の顔を見る。
「もちろん、アストリアに、だ」
彼は、既に覚悟の決まったような力強い目をして、そう言った。
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