ドレスアップ
目的地である名古屋まであと半分くらいの距離まで来たところで、休憩のためにサービスエリアに入った。
互いに休憩を取ろうとトイレの近くまで行って若干の別行動になる。
トイレに行った後、俺はドリップコーヒーの自販機で眠気覚ましのコーヒーの出来上がりを待つ間に、姉さんにメッセージを送ってみた。
今朝、施設を後にしてから姉さんからの連絡は一度もなかったから、多分あの後父さんにこれといった異常はなく、おそらく大丈夫なんだと思うけれど、それでも完全に安心できた状態で来たわけではなかったからどうも落ち着かない。
こればかりは父さんの顔をちゃんと見るまでは仕方ないんだろうなぁ。
出来上がりを知らせる音声の後、扉が開いて氷の浮かんでるであろうコーヒーが蓋つきで現れたのを見て、最近の自販機の性能に素直に感心しながら冷気が伝わる紙カップを取り出し口をつけると、スマホがブルっと震えてメッセージの受信を知らせた。
焦りを抑えつつ、カップを右手に左手だけでスマホを操作すると、メッセージはやはり姉さんからで、まだ横になって酸素チューブもつながったままだけど、目を開けて腕を少し上げたいつもの顔をした父さんの画像と共に「医者からももうだいぶ落ち着いたと思うって言われたから心配しないで」とのメッセージがあった。
よかった・・・。
本当に・・・良かった。
画像も送ってもらえたおかげでより安心できたと思う。
さすがは姉さんだ。
直にこの目で父さんの無事をしっかり確認するまでは、まともに安心できないんじゃないかと思っていたけれど、この画像とメッセージだけで素直に安心できた自分に若干の違和感を感じつつ、これでやっと今回の仕事に存分に専念できるとも思う。
先ほどまでの道中、同行してくれた彼女との時間は若干心ここにあらずにならないように気を張っていた。
父さんなら大丈夫だろうと思いながらも、どうしても頭の片隅で今朝の父さんの姿が、手の冷たさが頭を過っては、焦りや苛立ちが出ないように必死に隠していたのだけれど、これで少しは運転も楽になるかもしれない。
安心したところでコーヒーを一口流し込むと、そこでようやく今日何も食べていなかったことに今更気がついた。
大きく息を吐いた後、甘めのコーヒー選んで正解だったなと思う。
ひとまずは、安心してもいい、かな。
・・・うん、
「水瀬さん、お待たせしました」
コーヒーをほぼ半分以上飲み終わったところで、パートナーの来生さんが俺を見つけて駆け寄ってきた。
今朝、いつもの駐車場に迎えに行った時にも驚きを隠せなかったくらい、今日の俺のパートナーは普段以上に綺麗に着飾って、この先に控えている華やかであろうパーティにも負けない装いだ。
グリーンのドレスとは聞いていたけれど、今日の彼女は青と緑が混ざった落ち着きのあるグリーンの膝下丈のワンピースドレスに、ダークグレーの裾の短めの薄手の長袖ジャケット、長めの鎖の先に飾りのついた金色の揺れるピアスに、金色の細いチェーンのネックレス。
そして普段はシンプルにひと括りにしている髪も今日は結い上げられていて、いつもは気にしたことのない白く綺麗なうなじと細い首筋に気付いた時、思わずコーヒーなのか息なのかわからないものを飲み下した。
俺のイメージしていた以上に落ち着きのある大人っぽい服装なのに、メイクのせいなのか実年齢には到底見えないほど若く見える。
ヤバいな、俺。
父さんの事が落ち付いて少し気が抜けたからか、改めて陽の下で見たパートナーの普段以上の魅力を認識してしまい、せっかく落ち着いた心臓が別の熱を持って暴れそうになる。
これは変質者みたいな視線にならないように気をつけなければ。
「大丈夫ですよ、そんなに待っていませんので。来生さんも飲み物買いますか?」
「そうですね・・・あ、じゃあペットボトルのお茶を買いたいです」
「じゃあ、中の売店まで行きましょうか」
「はい」
いつも以上に綺麗で別人みたいにも見えるのに、受け答えや笑顔はいつも通りなのがなんとなくほっとする。
こんな些細な事でも安心できるのが不思議だと思う反面、もし彼女がいなかったら俺はこんなに落ち着いていられただろうか・・・と、もう一つあったであろう未来を想像して、選択は間違ってなかったと心の中で深く安堵の息を吐きながら売店に向かった。
売店で買い物をした後再び彼女を助手席に乗せて、再度名古屋に向けて出発する。
パーティ開始まであと2時間ほど。
うん、この調子なら余裕だ。
「あの、水瀬さん。本当にまだ運転交代しなくていいんですか?」
「大丈夫ですよ。それにこの先の方が車の量が増えてきますからね」
「確かにそうですよね。・・・わかりました。でも、疲れたら早めにサービスエリアに入ってくださいね」
「ありがとうございます。そうします」
「それじゃあ・・・あの、安全運転でお願いしますね」
「はい。任せてください」
どうやら今回のパーティの同行を願い出た理由の『運転を交代していく事』を気にしてくれているらしく、何度となく運転手交代案を提示してくれるところが彼女らしいけれど、本当の理由を話していないのでとりあえずごまかすと渋々諦めた。
彼女が運転してくれる事に不安があるわけではないし、運転してもらえるなら俺自身も楽なんだろうけれど、元々運転してもらうつもりはなかった。
確かにさっきの休憩までは、運転に集中することで父さんの事を考えないようにしながら彼女の話に合わせていたけれど、これがもし俺が助手席で暇を弄んでいたら、きっと情けない顔をしてため息ばかり吐いて、かえって彼女に変な気を使わせていたと思うと運転していてよかったと思うし、今は父さんの心配も薄れた分、今度は運転していなければ逆に落ち着かないのではないかと思えてしまった。
落ち着かない理由は、まさに彼女だ。
まさか普段から仕事で隣に乗せているパートナーが華麗にドレスアップした途端、いつも以上に意識してしまっている自分にこんなに困ることになるなんて思いも寄らなかった。
ちょっと普段より着飾って少しメイクを変えているだけで、当の本人が変わってしまったわけではないのはわかっているけれど、それでも彼女に運転を任せたら今度は俺自身の理性に隙を与えてしまう気がして大人しく隣に座っていられる自信が正直ない。
まだ自分で運転していた方が気が紛れると思ったんだ。
「ところで、来生さんはヤマムラテックに来る前はどんな会社にいたんですか?」
「えっと、工場の生産ラインで電子基板を扱ってました」
「電子基板って、プリント基板とか?」
「そうです。んー・・・と、電子基板に部品を乗せたりくっつけたり、検査をしたりというような作業、とかをしていましたねぇ」
チラッと隣を盗み見ると、うちの会社に来る前だからまだ離れて1年も経っていないであろう前社を、遠い昔を思い出すように手を顎に当てて考える仕草をして思い出そうとしている姿があった。
前の会社が県外、それも『滋賀県』だというのは、彼女の職務経歴書に記載されていた異動前の所属支社名が『彦根』であった事と、彼女の車が今も『滋賀ナンバー』だったからという点で何となく想像がついたけれど、確か一緒に派遣先の名前も書いてあったはずなのに見落としていたのを今更気がついた。
仕事の内容を思い出すのに少し時間が必要だったのか、時々言葉を止めながら、でもわかりやすく説明してくれる。
その声色に嫌がる感じもなく、言葉を濁して隠しているような気配もなく、聞かれたことにすんなりと応えてくれるという事は、きっとそこには悪い思い出はなかったんだろうなと安心できた。
むしろ、その仕事への誇りややりがいが伝わって、素朴な疑問が頭を過ぎる。
ただ、彼女にとって『聞かれたくない過去の話』は、『故郷のこと』なんだろうな。
「・・・そうすると、はんだごてとか使ってはんだ付けしたりとかしたんですか?」
「はんだごて!ふふっ、使いましたね~!はんだごてとか既に懐かしいです。大まかな部分の溶接は機械がやって、機械で流した溶接の後処理のところではんだを使ってました!楽しかったですよ」
はんだごての話になった途端、声が朗らかになった。
こんなに楽しそうに仕事の話をしてくれると思っていなかったから、ちょっと意外だ。
ましてやはんだごてを使う作業と言えば、一種の溶接作業。
俺自身もはんだ付けの作業は学生時代の男子のみの授業だった技術教科の数時間だけ使ったきりだ。
俺の偏見だと思うけど、女性よりも男性が好んでやる作業だと思っていたから、自分の認識を改めなければと思い知る。
けれど、心底楽しそうな彼女の声に、俺もつられて楽しい気持ちになっていた。
「はんだごての作業ってそんなに楽しかったんですか?」
「ふふっ、はいっ!アーク溶接とか重い鉄同士を溶接するのと違って、重くも眩しくもないですし、はんだが溶けて銅板にじわっと染みるる瞬間も見ていて飽きなかったですし、余分なはんだを取り除いた時の塊なんてなんだかスライムみたいで可愛くて」
その言葉に俺も思わず笑いだしてしまった。
スライムを可愛いとか、溶接作業が楽しいとか、色々と意外過ぎてびっくりする。
「はははっ!スライム・・・ですか」
「そうなんです!まるでゲームに出てくる銀のスライムってこんな感じかなって想像しながら、よく暇な時間にはんだカスを集めて溶かしてはスライム作ってました!」
「なるほど。あの銀のスライムははんだカスの塊だったんですね」
「そうかもしれませんね。でもあまりやってると、煙に気をつけてって注意されちゃいました」
そう言って少しばつが悪そうに笑っている姿からはあまり反省の色が見えないところからすると、彼女はきっと何度もこっそり銀色スライムを作っていたんだろうなと想像する。
実は『悪戯っ子』だったのかもしれない。
「え、でもそれって鉛フリーのはんだじゃなかったんですか?」
「そうですねぇ・・・確か、基本鉛フリーを使ってました。それでも、時々有鉛はんだを使う機会もあったんです。しかもその有鉛はんだのカスの方が綺麗につやつや輝く銀のスライムができるので、有鉛はんだの仕事が来た時はそれはもう!つい悪戯心が抑えられなかったり、と・・・あはは」
「来生さんって、ダメと言われた事ほどやりたがるタイプでした?」
「えっと、昔から小学生男子並みの好奇心は常に持ってると思います」
「ぶ・・っ、しょ、小学生男子並みって・・・あはははは!」
「でもリアル小学生男子には多分負けますけど」
「あはははは、確かに、うちの甥っ子たちとそのうちいい勝負をするかもしれませんね」
そう言って頭を過ぎったのは、姉さんの息子の颯と拓だった。
よく姉さんと一緒に家に来ては、コタローと遊ぶのが大好きな兄弟だ。まだ園児なのにコタローの散歩もほとんど任せられるくらい頼もしい存在になりつつある。
といっても、必ず姉さんか義兄さんがそばで見守っている。
「そんな楽しい仕事してたんですね。でも、プリント基板となるとうちとはまた違うジャンルの精密機器メーカーさんかな?そこの会社の名前って教えてもらっても大丈夫ですか?」
「えーと、イーエスイー電工という会社でした」
「っ!!」
彼女が口にした社名に一瞬だけ全身に雷が落ちたかと思った。
「ええ?!イ、イーエスイー電工さんって、確か車両用電子パネル系の最大手じゃないですか」
「あー、そういえばそんな事を聞いた気がします。私のいたラインでは車のエアコンとかのパネル部品になるって。でも実際使っていても手掛けていた基盤はこの裏に隠されて目が届かないからあまり仕事に関わったものが身近にある感じがしないんですよね」
「まぁ、それに関してはうちの会社も同じところがありますから」
「ですよね。縁の下の力持ちだって事ですね」
そう言って微笑んでくれる彼女の言葉に、営業として動いていた自分の頑張りも浮かばれる気がする。
今では多くの車に当たり前のようについているカーエアコン。
エアコンのパネルを操作すれば、温度や風量の調節も当たり前。
その電子基板がなければ、エアコンが『当たり前』に作動しない、目に見えないところで活躍しているまさに縁の下の力持ちだ。
電子部品の業種は、電子機器にあふれた現代にはなくてはならない一大産業である。
なかでも『イーエスイー電工』はその車両電子製品のトップシェアを誇っている会社で、商業誌に何度も取り上げられていた。
まさかそんな業界大手で仕事をしていた人と一緒に仕事して、内部の話まで聞けてしまうなんて。
コンプライアンス、引っかからないよな?
多分・・・
「はぁ、そっかぁ。そうだったんですね。そこもリクルートラインさんで?」
「そうなんです。派遣社員の登録をしたときにちょうど募集をしていたのでお世話になってました」
「ははっ、世間は狭いとはこういう事かもしれませんね・・・」
「あ!もしかして今日この後のパーティとかでその話とかされちゃいます?」
「いえ、しませんよ。まぁ、今日のパーティにイーエスイーさんのどなたかは居るかもしれませんが、今回のはただ単に俺自身が聞きたかっただけですし。そうすると、どうしてうちの会社で営業に来ることになったんですか?」
さっきから感じていた素朴な疑問。
営業経験のない彼女がどうしてうちの営業に来たのか。
「それが・・・私も営業部に配属されるのを聞かされたのは初出社のときで、それまでは生産ラインの第3班に入る予定だと聞いていたんです。それが、ただ挨拶と諸手続きをしに来ただけの初出社の日に突然配属先異動を伝えられてしまいまして。まぁ、接客経験があったのを見越しての任意だったのですけど、急募だったのと、とりあえずやってみて、ダメかどうかはそのあと判断しようと決めまして」
そういえば、来生さんが来たのは、以前いた派遣社員がいなくなって、俺が中岡さんの応援に行く事になったのとが重なって、人手が足りなくなったタイミングだった。
即戦力にならなくても、早めに教え込もうという課長の計らいだった。
まさか、そのタイミングで来生さんが来てくれたのは、俺にとっても会社にとってもラッキーだった。
けれど・・・
「それは何というか・・・なんだかもらい事故みたいですみませんでした・・・」
彼女が前向きに捉えてくれたからこそ今がある。
希望に添えなかったのはこちらの落ち度のはずなのに。
「そんな・・・確かに最初に話を受けて山手さんに同行した時はそんな心情でしたけど、今は悪くないかなとも思っていますよ。私みたいのでも少しでも役に立ってるみたいなので」
「そう言っていただけると助かります。ところで接客経験というのは・・・」
「あ、前の工場に入る前ですね。パン屋とスーパーで仕事してました」
変わらない朗らかさが本当にありがたいと思うし、来生さんいい人すぎて心配になる。
しかし接客経験がパン屋とスーパーと聞いて、なんとなく納得できた。
「へぇ。それってスーパーの中のパン屋とかですか?」
「いえ、スーパーとは別で、パン屋は個人のお店で雇ってもらいました」
「そうなんですね。それで接客なんですね?」
「それもあるかもしれませんが、パン屋の時は基本的に裏方の工房の方で作業していて、人手が足りなくなると接客してました。なので、スーパーでの経験だけなんです」
「なるほど。それであんなに美味しいパンも手作りできるんですね」
先日のコタローの散歩中での事を思い出す。
話の流れで来生さんお手製のバターロールサンドを2つもいただいた。
市販のバターロールと甘みとか食感とかの違いがなんとなく分かったし、挟まれた具材もそのものの味を引き立たせるような味付けで、素直にうまいと思ったんだ。、
だけど、その話をした途端、顔を手で覆って俯いてしまった。
「あ、そ、それはその・・・!あ、あの時の事はもう忘れてください・・・」
「えー、なんでですか?」
「あの・・・今更なんですが・・・恥ずかしいです・・・」
「そんな。美味しかったからまた機会があればいいのにって虎視眈々と狙ってたりするんですよ」
「え、そんなに?」
かなり本気の俺の言葉に、信じられないと言いたげに俺を見る姿も可愛い。
「そんなにです。俺、あんまり食べ物にこだわらないんで多分味オンチだと思ってるんですけど、あの時のパンは本当にうまくて素直にがっついちゃって、もったいなかったなぁって未だに後悔してるんですから」
ちらっと隣を見ると、ちょっと恥ずかしそうな、でもどこか嬉しそうなはにかんだ横顔にドキッとする。
「・・・わかりました。今度作ったらお持ちします。どんなパンが好きとかありますか?」
「え!本当ですか?俺本当にこだわらないんで、来生さんの得意なやつでいいですよ!めっちゃ楽しみです」
再び彼女の手作りにありつけられそうな、思わぬ約束を取り付けられた事で心の中でガッツポーズをする。
その後もパンの話題が途切れることなく続き、気がついたら名古屋に入っていた。
もっと彼女の事が知りたいという欲を抑えつつ、続きはまたの機会にと、彼女の過去の経歴については一旦蓋を占めることにした。
内心彼女との楽しい話で舞い上がっていた俺は、もう少し彼女の過去を知っておくべきだったことをこの時はまだ、気付くことができなかった。




