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恋愛恐怖症  作者: 黒川 珠杏
【回顧録・水瀬編】
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月命日の墓参り



 課長からパーティの話を受けて、来生さんから同行の承諾も得た。

 仕事も順調に片付き、パーティまで3日に迫ったある日。

 課長から少し大きめの袋を渡された。


 中身は俺が悩んでいた”ドレスコード”用のスーツ一式。

 レンタルで用意したと言ってくれて、本気でありがたいと思う反面、じわじわと逃げ道を失っている事にも気付く。


 やっぱり行かないとダメだよなぁ。

 来生さんにも頼んでしまったし、平岡さんを巻き込んでドレスを買いに行ったと話してくれていたのを思い出すと、さらに逃げ道は塞がれた。


 一度引き受けた仕事だからと諦めつつ、家に帰って早速試着してみるとサイズはぴったりだった。

 落ち着きのある暗めのグレーのスーツだけど、よく見ると生地に光沢感があって、光の当たり方によってはキラキラする。

 セットの黒地に細い色のチェック柄のワイシャツやモスグリーンに細いゴールドのラインが斜めに入ったストライプのネクタイは、俺だったら

選ぶことのない組み合わせだったが、いざ身に着けてみるとこれはこれで悪くない。


 きっと俺が選んでいたなら、ネクタイも含め全身モノトーンカラーになっていただろう。

 ネクタイに色を持ってきたことに驚きを隠せなかったが、確か来生さんのドレスがグリーン系を選んだと話していたのを思い出して納得した。

 落ち着きのある深い緑色に細い金のラインが華やかさを派手すぎずに彩っていて、これなら俺も気後れしなくて済みそうだ。 


 グリーンのネクタイなんて一本も持っていなかったが案外いけるかもしれない。

 さすがは課長。大人のセンスだ。

 見習わなければ。


 それでも、いつも着ているスーツに比べると華やかすぎて、家の中では浮いてしまう。

 とりあえず、この姿なら久々にコンタクトレンズをいれようと鏡の中の自分を見て、当日の朝の身支度に必要なものを頭の中でリストアップした。

 サイズ確認もしたことだし、コタローの毛がつく前に早めに脱いでしまうと、カレンダーを見る。


 明後日は母さんの誕生日。そして、月命日。


 予めわかっていた事だったけど、やはりこの日に近づくにつれて気持ちが落ち込む。

 あんまり落ち込むと母さんが心配すると思うんだけれど、どうしても寂しさと後悔で押しつぶされそうになってしまい、母さんがいなくなって何年かは頭痛を起こしたり吐き気に襲われたりと体調にも影響が出ていたほどだった。

 それを周りに知られたくなくて、数年前までは毎月この日は有休をとっていたけれど、最近になってようやく体調も落ち着いてきたのか有休をとるまではしなくてもよくなった。

 それでもその日は必ず墓参りをしてから出勤するようにしていたんだけど、まさかその日に限って予定がかぶるのは勘弁してほしかった。


 父さんが調子が良ければ一緒に墓参りに連れて行きたかったけど、今回は平日だし、週末まで我慢してもらおう。


 せっかくだから、今回の月命日にはこのスーツを着て母さんに見せてから行こう。

 そう思うと少しだけ重々しい気持ちが軽くなった。


 ・・・・・・そう、思っていたはずだった。




 その日はいつもより2時間早く目が覚めた。


 目が覚めた以上、起きて支度を始めると、コタローも一緒になって起きてしまった。

 30分ほどで身支度を整え、遠出を前にゆっくり母さんと話をしようと、朝食を食べることもなく、コーヒーすら飲むことなく、予定よりも早く家を出る。


 ここ最近の月命日だったら、ちょっとした遠出と散歩も兼ねてコタローを連れて母さんの元に行ってたけれど、今回は出張と重なったからと、予め姉さんに頼んであった。

 姉さんも二つ返事で引き受けてくれたから、コタローの事は多分大丈夫だろう。

 後で改めてコタローの事を頼む連絡を入れておこうと思いながらコタローを見ると、玄関土間にある留守番用のゲージの中ですでに座って待っていた。


「今日はごめんな。姉さんか子供たちが後から来るから留守番頼むぞ」


 コタローの頭をひと撫ですると、しっぽを振って応えてくれる愛犬に、ふと以前、コイツを褒めてくれた声が脳裏を過り、思わずうなずいた。

 恥ずかしながら言われて初めて気がついたけれど、彼女が言った通り、本当にコタローは賢い。

 わが家に来てくれたのがコタローで本当によかったと思う。


 ゲージの扉を閉めて下駄箱の上に用意しておいたバケツの中にある花束を手にすると、コタローに行ってきますと告げ、東の空がうっすら白くなる中、母さんの眠る場所まで車を走らせた。


 わが家の墓のある霊園に着いた時には、空はすこしだけ明るさが増していた。

 こんな早い時間に墓参りも初めてだったから、昨日の帰りに花を買っておいて正解だった。

 霊園入り口にある花屋兼売店は、さすがにこの時間は静まり返っていた。

 当然ながら霊園全体も静かで、人の気配すらない。

 墓地入り口にあった共用の桶と柄杓に水を入れて、持ってきた花をそこに差し込んで母の眠る場所に向かう。


 『水瀬家』と彫られた墓石の前に立つと、桶を地面に置いて一旦手を合わせた。


 軽く合掌した後に汲んできた桶の水をさっと墓石にかけながら軽く磨いて、手早く花を生け替える。

 慣れた作業を数分で終わらせると、再び手を合わせて小さな声で母に話しかけた。


「母さん、誕生日おめでとう。生きていてくれたら今日で60歳の還暦だから、今日は赤いバラを一本入れてみたんだ」


 そう零して、墓前に供えた花に目を向ける。

 今回用意した花は、片側にはやわらかい色どりの花、反対側に一輪の真っ赤なバラ。

 バラも母さんの好きな花の一つだった。

 だけど墓地という所でこんな華やかな花を供えていいか気になったが、せっかくの還暦だ。花ぐらい赤くてもいいだろう。


 きっと今も心配しながら見守っていてくれてるだろうけど、母さんが誕生日だからと言って話すことも報告も先月とあまり変わりがない。


 とりあえず、見た通り自分は元気だという事。

 父さんも姉さんも、姉さん家族も変わりなく元気だという事。

 コタローを連れてこれなかった事。

 次は父さんの体調と天気を考慮しながら、一緒にくるという事。

 仕事は順調だという事。

 本当は行く気がないけれど今から名古屋で仕事だという事。

 だからこんな余所行きの気慣れない格好でいる事。

 だけど今回はパートナーがいる分、少し楽しみだという事。


 それでもやっぱり・・・

 あの時の後悔は尽きない事。


 当然ながら母さんからの返事は無い。

 自己満足だとわかっているけれど、やはり遺影の前で話しかけるのと、墓前で話しかけるのではなんとなく違うような気がして一か月分のあれこれを話していた。


 空がだいぶ白さを増したころ、ポケットに入れていたスマホが鳴った。


 こんな朝早くに電話?

 もしかしたら来生さん?

 出かける前になにかトラブルかな。


 なんて思いながら画面を見て、固まった。


 『ブバリアの苑』


 ―――父さん!?


 どっくん、どっくんと全身に響くような強く波打つ心臓に、神経が嫌な音を立てるように震える。

 まるで何かに鷲掴みされたかのように胸の奥で息苦しさが襲い来る。

 

 父さんに何かがあったんだと、瞬時に頭では理解できた。

 でも、電話に出るのが・・・怖い。


 それでも出なければ・・・っ!

 父さんに何かなければこんな時間に電話なんてない!


 ぐっと堪えながら急いで通話ボタンを押し、耳に押し当てる。


「もしもし、水瀬です・・・」

「朝早くにすみません。ブバリアの苑の当直の荒井です。実は実彦(さねひこ)さんの容態が・・・」


 そこからはあまり記憶がなかった。

 どうやって桶や手酌や枯れた花の処理をしたか覚えていない。

 もしかしたらそのまま置きっぱなしかもしれない。


 ただ急いで車に戻り、ハンズフリーに切り替えて運転しながら姉さんに電話で伝えると、すでに起きていた姉さんはすぐに父さんの元に向かうと言ってくれて、俺も施設へ急いだ。


 頼むよ、母さん・・・!

 まだ父さんを連れて行かないでくれ!!

 やっと父さんと仕事の話も出来るようになったんだ!

 俺はまだまだ父さんに生きていて欲しいんだよ!


 まだ朝の早い時間という事もあって車通りも少なく、予定より早く父のいる施設に着く事ができたが、俺よりも姉さんの方が少しだけ先に到着していた。


「サク!」

「姉さんっ、早かったね」

「それより父さん所に行こう」


 急いでナースステーションに取り次ぎ、父のいる部屋に向かうと、ちょうど当直医と看護師が父に付き添っていてくれた。


「あ、水瀬さん。良かった。実はお電話を切ってしばらくして意識が戻りまして。今は少しずつ落ち着き始めました」

「本当ですか・・・。良かった」


 前日から、呼吸が苦しそうだったという事で、酸素チューブをつけていたらしい事は姉さんから聞いていた。

 そして今朝、俺に連絡が来た少し前に、父さんの呼吸がいったん止まってしまったのだという。

 ちょうど見回りに来てくれた看護師さんが気付いて応急処置をしてくれて、俺たちが到着する前に呼吸と意識の回復があったと聞いて、姉さんと同時に大きく息を吐いた。


 今は眠ってしまっている父さんの傍まで行き、点滴に繋がれていない方の痩せたその手をそっと握ると、俺の手よりも冷たかったけれど、ちゃんとぬくもりは感じられた。


 はぁ、良かった・・・。


 まだ若干の不安要素はあるものの、思っていたほど重い状態ではなかったのは幸いだったが、それでもやはり心配になる。

 俺の隣に来た姉さんが、入れ替わるように父さんの手を握ったり首筋を触ったりして様子を見る。


「父さん、よかったぁ」


 父の落ち着いた寝顔に姉さんも安心したようだった。

 そこでやっと現状を思い出したのか、姉さんが時計を見て、今度は俺に顔を向けた。

 

「そうだ!ねぇサク、あなた時間は大丈夫なの?」

「あ・・・、ヤバい。そろそろ行かないと待ち合わせてるんだった」

「ほらやっぱり。そんな格好してるし、確か名古屋まで行かないといけないんでしょ?父さんの事は私と先生たちに任せて、あなたはあなたの仕事を頑張っといで」

「でも・・・」


 正直、行きたくない。

 大丈夫かもしれないけれど、また同じようになったらという不安も消えない。

 大の大人になったというのに、情けないくらい不安で不安で、息ができなくなりそうなくらい苦しい。

 俺も父さんの容態がもっと安定するまで側にいたい。

 だけど・・・。


「サク。自分のせいで仕事休んだって聞いたら、父さんきっと怒るよ?」


 う・・・。


 それはわかる。

 父さんはそういう人だ。


「一緒に行く人にも、会社にも迷惑かけちゃ駄目よ。それに、仕事頑張るサクの事、父さんも私も応援してるんだから」


 こういう時、俺の側に立って頭をなでてくるのは昔から変わらない姉さん。

 優しく甘やかせてくれるような言葉の中の正論に、ぐうの音も出ない俺は、不安を抱えながらも仕事に向かう覚悟を決める。

 こういう時の姉さんも、結構頑固だもんなぁ。


「・・・・・・わかった、行くよ。だけど、父さんに何かあったら・・・」

「わかってる。ちゃんと連絡するから。こっちは任せて行っておいで」

「ん・・・頼む、ね。あと、コタローも」

「ああ、コタローなら大丈夫。すでに子供たちが散歩に行ってるはずよ」

「そっか。良かった。じゃあ・・・行ってくる」

「うん。くれぐれも気をつけてね」


 部屋にいたスタッフの人達にも父の事をお願いしますと伝えると、足早に父さんの病室を後にした。

 あまりゆっくりしてると、本当に離れがたい。

 後ろ髪を引かれる思いで外へのドアをくぐる。


 ひとまず、危機は脱したんだ。 

 ここからは切り替えなければ。

 こんな情けない顔のまま来生さんをエスコートなんてできない。

 

 車に乗り込むと、パンっ!と自分の両手で左右の頬を軽く叩いて気を引き締める。


 「さあ、行こう」

 

 誰にでもなく自分へ告げる。

 どうか俺が帰るまでに、父さんの容態がちゃんと落ち着いていてくれますようにと願いながら・・・



 

 

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