夜の散歩の帰り道
毎日の日課であるコタローの夜の散歩の帰り道。
ほんの数分前まで、コタローに繋がれているリードを持っていたパートナーを緑地公園まで送り届けた帰り道は、酔いさましにもちょうどいい夜風が頬を撫でる。
片手でリードを握りながらもう片手は普段はポケットに入れっぱなしのはずのスマホを握り締めては何度もその画面をつけたり消したりを繰り返していた。
先ほど別れた来生さんとは、お互いの電話番号とメールアドレスしか知らない。
いわゆるメッセンジャーアプリで連絡の交換をしようと思ったら、彼女の方がアプリを入れてなかったという理由から、いまだに連絡手段はほぼメールだったりする。
以前、彼女にそのアプリを使ってみたらどうかと打診したことがあったけれど、いまいちピンと来ていないような反応だった事を思い出す。
彼女の交友関係が気になるわけではないけれど、このメッセンジャーアプリは今では色んな情報収集ができる便利なツールにもなっていると思う。
俺自身、姉さんとの連絡も、山手さんや柿本課長からの連絡も最近はメッセンジャーアプリがメインで、メールを使う頻度がぐんと減ってしまった分、これはこれで一線を画す事にもつながっているとも思う。
だけど、やっぱり。
「アプリ、入れてくんないかなぁ」
つい、声がこぼれた俺を、少し先を歩くコタローがチラッと見上げてきた。
メールでも十分連絡手段には適していると思う。
だけれども、やっぱり気軽にコミュニケーションの取れるツールとなっているメッセンジャーアプリに慣れてしまえば、同じものを使って欲しいという気持ちがつい上になってしまう。
ただ、予想以上にパソコンに詳しい人だっただけに、自分が知らなかったり不安があるアプリやソフトに関しては人一倍慎重になるのかも知れないとも思うけれど。
そう思いながら歩いていると、ふと後ろから車が迫ってくるのに気がつき、コタローのリードを短く持って道の端に避ける。
数秒後、その車は勢いよく俺たちの横を走り抜けていった。
まるで俺たちが避けたのをまったく気づいていないかのように速度を落とす様子も、俺たちを避けようとする様子もない身勝手な危うさを感じる顔も知らない運転主にイラっとする。
同時に俺が車の接近に気付くのが遅れていたら、俺もコタローも巻き込まれて撥ねられていた可能性もあると思うとゾッとした。
「あっぶねぇなぁ」
再び車の往来を確認して、コタローのリードを元の長さに戻し散歩を続ける。
そういえば、先ほど彼女を公園まで送り届ける時にも車の往来に危ないと思った瞬間があった。咄嗟に庇ったあの直後、通り過ぎた車を見て彼女は震えていた。その時は車の勢いに恐怖を感じてだと思ったけれど、今になって違和感を感じた。
そうだ。震えたのは走り去った車を”見た直後”だった。車種は思い出せないけれど、改造車なのか排気音がうるさい白いスポーツカーだったことだけは思い出せた。
それを思い出してさらに脳裏に過るものを感じる。
あれは確か・・・ああそうだ、『現場』だ。
少し前に堀内商会の『現場』に初めて彼女を連れて行った時だ。
直前まで普通に話していたと思っていたのに、だんだん静かになった隣をチラッと見た時の彼女の青ざめた顔。その時は山道で車酔いしたのだと思った。
でも、あの時違う可能性も浮かんだけれど、その時は車酔いだったと勝手に納得していた。
しかし、そうなると共通点はなんだろう。
彼女自身、車の運転は普通にできるし、今日見る限りは運転に粗さは見られなかった。
ただ単に緊張していただけかもしれないけれど、先ほど見た彼女の車には運転が荒ければつくであろう傷やへこみなんて見当たらなく、大切に乗っているのだと感じたんだ。
まぁ比較対象の姉さんの車は、子供たちに急かされたりと落ち着きなく運転してしまうせいで、ドアに傷やへこみがあるからだったりするんだけど。
そうなると・・・
・・・昔の”オトコ”か?
そこにたどり着いた瞬間、初めて会ったあの瞬間の”脅えた瞳”を思い出す。
彼女の過去に”あんな瞳”をさせた人物がいたと仮定して、俺はその人物に似ていた、とか?
だったら嫌だよな。
たとえ別人だとわかっていても嫌な面影がちらつく顔と仕事なんて。
俺ならしばらくは距離を取るかもしれないけれど、彼女はほんの一瞬だけだった。
確かにはじめのうちは気になるのかチラチラ見ていたけれど、”あの瞳”だけはそれ以来一度もなかったと思う。
彼女が必死に隠しているなら話は別だけど。
じゃあ俺のことは置いといて。例えば白いスポーツカーに乗っている奴が、過去の彼女の心を脅かしていた事があったとするならば・・・。
そういえばさっきも故郷の事も黒い歴史と言っていた。思い出したくないほどの事が過去の彼女の故郷であったから家出をした、と。
彼女ほどの優しくて真面目そうな人でも家族と縁を切るなんて想像もできない。
確かに親や家族は煩わしいと思うかもしれないし、一人暮らしをしたいと言ってもなかなか行動に移せない依存しあう親子だっていれば、俺のように一人暮らしを望んでいなくてもしなくてはいけない現状もある。
どんな理由があったとしても、一人暮らしをしているわが子を心配しない親はいないと思うのが世の常だろう。
しかし、彼女の母親は違うのかもしれない。そこが常識では理解できない部分であり、彼女が『黒い歴史』と隠したがる部分なんだという事はわかった。
なんとなく、勝手に予想して勝手に納得してしまう。
俺も大概他人には言えない黒歴史持ちだけど、彼女もまた『つらい過去を持つ身』なのだろう。
待てよ。
もしかしたら、俺が”昔のオトコ”に似てたから、触られるのが嫌でさっきは震えてた、だとしたら・・・
一旦置いておいた事を自分で引っ張り戻してしまい、思わず深くため息が出てしまう。
本当は俺に近づかれたくないんじゃいのか。
こうして仕事として同行するのも本当は迷惑に思っているんじゃないのか。
悪い方向に考え出すと止まらなくなる癖なんとかしろよ、と自分に悪態をつきたくなる代わりに再び大きなため息を吐くと、またコタローが顔だけ俺を見上げてきた。
「何でもないよ」
コタローにそう伝えると、再び家の方に顔を向け歩き続ける。
この愛犬が初めて家族以外にあんなに懐いた人だ。
これ以上悪く思うのは辞めよう。
そう思ったところで、片手に握りしめていたスマホがブルっとが震えた。
メールきた!!
思わず立ち止まり、逸る気持ちを抑えながらその場でメールを確認する。
『来生です。お疲れ様です。
只今帰宅しました。
今日はごちそうさまでした。体調も問題ありません。
遅くまでお付き合いくださりありがとうございました。
カバンの件もよろしくお願いします。
それではまた明日。おやすみなさい。
来生』
要件且つ事務的な文面だったけれど、こんなにも彼女からのメールが来ただけで顔が火照り、舞い上がりたくなるなんて。
思えば他人の事をここまで詮索するのも初めてかもしれない。
早速急いで文章を入力してメールを返す。
彼女と同じような、事務的な内容だけれども。
送信ボタンを押した後、ふぅっと大きく息を吐きだした。
「俺もコタローの事、言えないな」
そう呟いた俺に、コタローはしっぽで応える。
飼い主に似たのか、飼い犬に似たのか。
一つだけ、はっきりした。
今の自分の顔を姉さんや山手さんに見られたらまた冷やかされてしまうかもしれないと思うと、暗い夜道で愛犬しかいない状況は助かったと思う。
もう、自宅は見える距離まで来ていた。
今日の散歩もこれで終わりだ。
今は穏やかに生活で来ているのなら。
この町での暮らしで笑顔になれているのであればいい。
誰だって『特別な事情』はあるんだから。
ずっと手にしていたスマホをようやく定位置のポケットにねじ込むと、残り僅かな自宅までの距離を愛犬と共に少しだけ足を速めることにした。
この日、山手さんが落とした『爆弾』の事で後日頭を抱えることになるなんて、この時は全く気付かなかった。




