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恋愛恐怖症  作者: 黒川 珠杏
【回顧録・水瀬編】
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艶羨



 株式会社 POC(ピーオーシー)の上場記念パーティ会場であるホテルに着くと、現実とはかけ離れたような見慣れないまばゆい世界が広がっていて、正直気後れしそうになるのを必死に隠す。

 会社の代表という責任もあるのだけれど、どちらかというと綺麗なパートナーの隣でみっともないところを見せたくないという見栄の部分が大きい。


 映画で見たようなエスコートを頭に思い描きつつ、彼女の手を俺の腕に添えさせると、一瞬仕事でここにいる事を忘れそうになった。


 会場入りした俺たちは、予め指定されたテーブルを探しながらやわらかい絨毯の敷かれた会場内をゆっくり歩いた。

 きらびやかな会場は、入り口ドア近くやステージ脇、テーブルというテーブルすべてに花が飾られていて、会場の華やかさをさらに盛り上げている。

 各テーブルの中心に飾られた花には、テーブル別にアルファベットの札がついていて、一旦そこに賓客をグループごとに集めるらしい。

 立食パーティなので椅子はないが、自分たちのテーブルというものがあらかじめあるのはパーティ初心者の俺にもありがたい配慮だ。


 指定されたテーブルに着いたのを見計らって、ウエイターが二種類の飲み物を持って現れた。


「失礼いたします。乾杯用のシャンパンをお持ちいたしましたが、アルコールが含まれるものとノンアルコールのもの、どちらになさいますか?」


 へぇ、最初からノンアルコールドリンクを提供しているのか。

 アルコールの入ったものを受け取って形だけの乾杯にしようと思っていたのだが、これなら気兼ねなく飲めそうだ。


 アルコール入りのものを手にしておきながら飲まない選択は、飲める人間からするとつらいからな。


 シャンパングラスの中には、キラキラと光に反射する粒子とともに、それぞれのグラスを色別するかのような、小さな粒のような白と赤が浮かんでいた。

  

「じゃあ、ノンアルコールで」

「私も同じものでお願いします」


 畏まりました。と、ウエイターがノンアルコールだという赤い何かが入ったシャンパンを手渡しして一礼すると、まだシャンパンを手にしていない賓客にサーブしに行った。

 

「カットされたイチゴが入っているシャンパンなんて素敵ですね。しかも金箔まで入ってすごくキラキラして綺麗・・・私、こんなシャンパン初めてです」


 ざわついた会場の中、俺だけに聞こえる声でそう言って嬉しそうに微笑むパートナーの言葉に俺も手元のグラスをちらっと覗くと、小さくダイスカットされた新鮮なイチゴがいくつもシャンパンの中で泳いでいた。


 このパーティのセッティング担当者の気遣いがこんな所からも感じられ、少しだけ胸が高揚した。


「俺も初めてですよ。フルーツ入りなんて斬新で面白いですね」

「ですよね!ふふ、かわいい~」

「ははっ!あ、そうだ。来生さんはアルコール入りの方でもよかったんですよ?」

「え?ダメですよ。私だって帰りは運転するんですから」

「いえいえ。別に帰りも俺が運転するんで、アルコールも飲んでいいですよ。あのもう一つの白いシャンパンは多分白いイチゴが入ってるんだと思うんですよねぇ・・・。気になりません?」


 俺の言葉に、近くにいた賓客の白いシャンパンにチラッと目を向ける来生さんが素直すぎて可愛い。

 白いイチゴ入りなんて贅沢だなと思いながら、手元の赤いイチゴも負けずに爽やかな香りを届けてくれる。

 俺自身はどちらでもいいけれど、女性はこういう演出好きなんだろうな。


「気になるなら今から交換してもらいましょうか?」

「い、いえ!いいです!だって今は仕事ですし!」

「ははっ!これも仕事のうちなので、本当に飲んでいいんですよ」


 追い打ちをかけるかのように提案をしてみると、来生さんはぐっと自分のシャンパングラスを見つめ・・・


「これもすごく素敵なので、ぜひ頂きたいんです」


 そう言って、自分の手にしたシャンパングラスをそっと持ち上げて、満足そうに微笑んだその顔に思わずドキッとする。


 それに、もし酔って気分悪くなりながら帰るのはさすがに困るので・・・と申し訳なさそうな顔をして言われたらさすがに反論できない。

 かと言って、俺がアルコール入りを飲むわけにはいかない。

 アルコールを摂取することで体調を崩す崩さないはやはり本人が一番わかっているところでもある部分だ。無理をさせたせいでその後に苦しめる事は俺も避けたい。

 ここは大人しく引き下がった。


「わかりました。でも、欲しくなったらいつでも言って下さね。派遣会社(うえ)が気になるならナイショにしておきますので」

「水瀬さんってば・・・こんなところで甘やかせちゃダメですって。私はこれがいいんですから」


 とか言いながらも、やはりちょっと他のが気になるのか、周囲のグラスをチラッと見ては自分のグラスに視線を戻す。

 ふとグラスを鼻に近付かせると、しゅわしゅわと小さくはける爽やかさとイチゴの甘酸っぱい匂いを感じたのか、幸せそうな笑顔がこぼれるのを見ると、俺の中でもこそばゆいような、愛おしいものが広がって、この瞬間がこの上なく幸せに感じる。


 可愛いなぁ。


 彼女の仕草一つ一つが目を離したくないと思ってしまうほど、次はどんな表情を見せるのか気になるし飽きないと思う。

 この場に一緒に来れた相手が来生さんでよかった。


 そうこうしているうちに、少し照明が落ちたかと思うと、正面の舞台にスポットライトが当てられて、POCの社長が挨拶に登壇した。

 少し長めの挨拶の言葉が伝えられ、手にしていたシャンパングラスを掲げると、会場からも乾杯!と盛大な声が湧き上がり、あちらこちらでグラスの重なる音が幾重も聞こえた。


 俺も壇上の社長にグラスを掲げた後、隣にいるパートナーにグラスを向ける。

 すると、意図をくみ取った彼女が嬉しそうに俺のグラスに自分のグラスを寄せて、視線を合わせながら互いに「乾杯」と声をかけると、澄んだ音が重なった。


 ノンアルコールのシャンパンは初めて口にしたけれど、本当にすっきりとしたキレのあるシャンパンで、アルコールがなくても十分満足できるものだった。シャンパン自体は辛口なのかもしれないけれど、香料じゃない生のイチゴの酸味と爽やかな風味が口当たりを楽しませてくれる。

 ふと隣を見ると、口に手を当ててシャンパングラスを驚愕の眼差しで見つめている彼女。この反応は本当に新鮮で可愛いと思う。


 ゆっくりグラスに口付けながら、舞台に視線を戻すと、舞台では別のPOCの重役らしき人がこのパーティの趣旨を話していた。

 

 さすがにそろそろ仕事モードにならないとヤバいな。


 隣も気になるけれど、ここは一旦気を引き締めなおさなければ。

 そう判断してすぐに、舞台から「この後はごゆっくりご歓談をお楽しみください」と伝えられた。


 さて、挨拶回りの時間だな。


 シャンパングラスをテーブルに置いて、どこから声をかけようかと目を配らせようとした瞬間だった。


「あれ、ヤマムラテックの水瀬さんじゃないですか」


 ふと、俺の斜め前から声がかかる。顔を向けると見知った人がそこにいた。


「これはEST工業の高柳部長。ご無沙汰しております」

「本当に。それにしてもこんなところで会うなんて奇遇ですね」


 わが社との取引先である地元企業、EST工業の営業部長の高柳氏は俺より一回りくらい年上の部長職。

 社長子息でもあるので将来はEST工業の跡取りになるのではと言われている。


 山手さんが担当する取引先のひとつでもあり、俺も何度か一緒に窺わせていただいていた。

 正直、同郷人が一人でもいたのはホッとした。


「ところでところで社長さんや常務さんはどちらに?」

「あ、今回は二人共別件が重なってしまい私が代理で参りました」

「そうだったんですね。山手さんはお元気ですか?」

「あの人は変わらず元気です。ところでそちらの社長さんは?」

「ああ、うちの社長は昨日から体調を崩してしまって急遽私が代理になりました」


 いきなりこんな所に行けとか困りましたよ、と零す愚痴に少し疲労感が見えて、思わず同情してしまう。


「そうだったんですか。それはお見舞い申し上げます。あまり無理なさらないようにご自愛なさってくださいとお伝えください」

「ありがとうございます。それにしても、地元の見知った方が一人でもいてくれて助かりました」

「それは良かった。実は私もだったんです。お声かけいただきありがとうございます」


 その場で軽く会釈をすると、高柳部長は朗らかな笑顔を見せた。

 なんだか高柳部長の少し後ろの方では、俺になのか高柳部長になのかわからないけれど、声をかけようと待機している様子の人が数人見受けられ、このまま高柳部長とだけ盛り上がるわけにはいかないと察した。


「せっかく久々にお会いできたところですけれど、我々は後日改めてにいたしませんか?」

「そうですね。せっかくここまで来た事ですし私もこちらの方とご挨拶してまいります。では水瀬さん、また白鳥(あちら)で」

「はい、高柳部長、ありがとうございます。またご連絡いたします」


 爽やかな笑みを見せながら、高柳部長は手をあげて俺の前から去って行った。

 それを見届けた様子の男性が、高柳部長と入れ替わるように俺に近づいてくる。


「失礼いたします。ヤマムラテックの水瀬営業主任さんとお見受けいたしますが・・・」

「ええ、左様ですが」

「申し遅れました。私、この名古屋で医療機関を専門に医療機器の輸入と製造販売を手掛けております、ノアメディカル工業の高村と申します」


 そう言って、ポケットから取り出した名刺を差し出されたので、俺も用意していた名刺を取り出し、交換した。

 ノアメディカルと言えば、全国的に名を知られている映像解析機器メーカーの先駆者的存在。

 国内生産で信頼性も強く、アフターケアも万全と医療機関から評判の企業である。


 突然の大手メーカーからの声に、一瞬で身が引き締まる。

 ここでの(チャンス)を今後どのように生かすかによってわが社にとってプラスになる可能性を秘めている。

 可能な限り、チャンスをつかみ取らないと。

 

 さて、仕事開始とまいりますか。


 


 何人の人達と名刺交換できただろうか。

 少しキリがついたところで少し喉の渇きを感じ、近くのウエイターにウーロン茶をもらうと、そこで初めて自分のパートナーが側にいない事に気がついた。


「あれ?来生さん?」


 辺りを見渡しても、見当たらない。

 俺に遠慮して、声をかけずにトイレでも行ったのかな。

 それとも急に体調でも崩したか?


 スマホを取り出してみても通話もメールも届いた形跡がない。

 一体いつからいなくなっていたんだろう。全く気付かなかった。

 どうしたんだろう・・・


 急に不安に襲われてしまう。

 一人で勝手な行動をするような人じゃないはずだ。


「あの・・・」

「あ、すみません。少し席を外します」


 声をかけてくれた人がいたけれど、スマホを手にしながら咄嗟に断って、早足で会場を出るなり辺りを見渡したが、それでも彼女の姿はどこにもない。


 彼女のスマホに通話してみるけれど、通じない。

 トイレに近くやクロークの近くを見てみたけれどやはり彼女の姿は見つからなかった。

 もう一度、通話発信しながら廊下の奥を歩いて行った時だった。


 人気のない通路を曲がろうとした瞬間、ちょうど通路の真ん中にあった柱の陰から別の通路先に、彼女のグリーンのドレスの裾が一瞬見えた気がして足を止める。


 人違いかもしれないと思いながら、やっぱり気になってわずかな記憶と勘を頼りに、見えたその通路先に足を向けようとして・・・


「っ!!!!」


 咄嗟に柱の陰に隠れてしまった。


 俺が見たのは、彼女と同じようなグリーンのドレスの女性の後ろ姿。

 ただ、そこにはもう一人男がいて、俺の探しているであろうグリーンのドレスを抱きしめていた。

 それは、一目見て『特別な関係』にしか見えないほどに密着して・・・。


 まるで、キスしているかのような艶めいた雰囲気に、気がつけば息を殺していた。


 声までは聞こえなかったけれど、何か話声っぽいのは聞こえた。

 でも、話をするのに抱き合うか?


 たとえ一瞬でも受けた強い衝撃感が拭えず、震える心臓を押さえつけるようにネクタイごとぐっとシャツを握り締める。

 他人のイチャイチャしてるところを見て、息苦しくなるのは生まれて初めてだった。

 姉さんが初めて家に恋人を連れてきたときだって、ここまでじゃなかった気がする。


 誰だよ・・・

 どういうことなんだよ・・・


 以前、平岡さんから教えてもらっていた。

 来生さんには恋人はいないと。

 だからか、心のどこかで簡単に男の気配を纏わせる人ではないと思い込んでいた。


 今日、誰かと会う約束をしていたなんて聞いていないし、探している感じもなかった。

 だったら、これはどういう状況なんだ?


 改めて、彼女の事を知らなすぎる自分の胸に、暗くもやっとしたものが重々しく渦巻いた。


 あのドレスの女性は来生さんじゃないかもしれない。

 一瞬だったから、俺の見間違いかもしれない。

 同じ色のドレスを着た女性だって、居てもおかしくない。


 だからって、再び他人のラブシーンなんて見たくない。

 ましてや、本当に相手が来生さんだったら・・・


 俺は、この後まともに顔を合わせて仕事ができるのだろうか・・・

 

 そう思いながら柱の陰に佇んでいた俺の近くを、早足で近づいてくる気配。

 話が終わったのか別の通行人かと思い、そっと視線をあげて。


 ・・・さらに、息が苦しくなった。


 去って行ったグリーンのドレスは、間違いなく今日は俺のパートナーとしてここにいるはずの人。

 俺がさっきまで捜していた・・・想い人。


「っ、・・・マジかよ・・・」

 

 愕然と打ちひしがれる思いが、小さくこぼれた。

 目の奥にまでじんわりとやり場のない嫉妬心がまとわりついてきて、耐えきれなくなり思わずその場で深く息を吐いた。


 そこへ、再び誰かの気配を感じた。

 ゆっくりと歩いてくるその気配を盗み見て・・・さらなる衝撃が、俺の背中を押しやった。


「あの・・・っ」

「え?」


 突然、人気のないところからかけられた声に、初めて見るその顔は驚きながら声の主を探す。

 気がついたら、声が出ていた。


 思わず声をかけたものの、何を話そうかと必死に思考を巡らせる。

 ぐっと手に力を入れ視線をあげる。


 やっと、柱の傍に立っている俺を見つけたその人は、体ごとこちらに姿勢を向けた。


 やっぱり見たことのない顔だった。

 でもどこか、知っている人に似ているとも思った。


 柿本課長のように、全体的に落ち着いた雰囲気に精悍な顔立ち。

 メタルフレームの眼鏡。


 左手薬指に、銀色の指輪。


 ・・・ダメだ。


「・・・・・・うちの来生に、何の用だったんでしょうか」




  

 彼女は絶対に、渡すものか。


 






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