自覚・・・・・・?
「あれ?姉さん来てたんだ」
週末の午後。
父のお世話になっている介護施設『ブバリアの苑』に行くと、週末は家の方が忙しくていつもなら顔を出さない姉の姿がそこにあった。
週末は顔を出さないけれど、平日は午前中のパート勤務の後、ほぼ顔を出してくれている姉には本当に感謝が尽きない。
完全個室のこの施設。まるで自宅の自室にいるようなくつろぎの一室とうたっているだけあって居住空間は居心地がいいと思う。
ただ、ベッドの傍らにはナースコールがあったり、周囲に介護器具など、自宅にはない物もあるけれど、そのほかのものはほぼ家から持ちこんで良いので、両親の部屋にあったものや家で使っていたものをできるだけ持ち込んで、父さんには安心してここで生活できるようにと支度をした。
ベッドサイドには家族で撮った俺の成人式の写真と母の写真が飾ってあった。
今日みたいなぐずついた天気の日は、たいてい父の部屋でテレビを見たり、自宅から持ってきた新聞を読み上げるのが俺の雨の日の週末の日課だ。
折り畳みの椅子を広げて持ってきた荷物を置くと、サイドテーブルにいつもの新聞を置きながら今日の父の顔色を見る。
天気が悪い日は特に調子を崩しがちな父は、今日は珍しくいつもより調子が良さそうで顔色も良かった。
「うん。今日はパパが子供たち見ててくれてるし、午後からちょうど用事もなかったからね。
それよりサク、なんかいい事でもあった?」
姉はどこか不思議そうな顔で俺を見つめてきた。
その声に、ベッドから体を起こしていた父も俺の顔をチラッと見るなり小さくうなずく。
・・・え、いいこと?
いいこと・・・って、アレの事?
咄嗟に浮かんだのは数時間前の出来事だった。
でも、どう話を切り出そうか悩む。
そんな俺を見て、姉はどこか嬉しそうに微笑む。
「何ていうのかな。スッキリした顔してるよ」
・・・なんだ。そっちか。
『スッキリ』と聞いて別の事が頭に浮かぶ。
そういえば、アレが終わってから姉さんと顔を合わせるのは初めてかもしれない。
連絡は毎日取り合ってるけれど、気付けば顔を合わすタイミングがズレていた。
「それは、ちょうど大きな仕事がうまく終わったからじゃないかなぁ」
「そうなの?先々週言ってた仕事のこと?連日残業だったみたいだけど」
「そうそれ。公開プレゼン発表。会社の代表とかでめっちゃ緊張したし報道カメラまで入ったけど、終わったよ」
「え?カメラ映ったの?テレビのニュースでは見てないよ?」
「どこのカメラか知らないし、そんなに大きなニュースじゃないし、流れるかどうかも俺は聞いてないし」
「えー?見たいー!探せば見つかるかな?」
「ないでしょ」
そんな映像残っていてほしくない。
俺の思惑を無視し、姉はいそいそと手もとのスマホを操作し始めた。
だめだ。こうなるとこのヒトの手はすぐには止まらない。
「おつかれな」
「・・・うん」
ぼそっと、ゆっくりだけど父が一言だけ言葉を紡ぐ。
父の言葉に、ちょっとだけ目頭が熱くなる。
仕事している姿は見てもらわなくてもいいから、その努力を察してくれるのは素直に嬉しい。
だけど、いくら頑張っていたって家族に普段と違う姿を見られるのは、なんというか恥ずかしい。
「あ、あった!自分の会社のホームページに動画載ってるじゃん」
「え。ちょっと待って。マジ?やめて」
「おお」
ちょっと待って姉さん。
まさかと思っていたけど、いざ見つかると気持ちの準備ができてなくて焦る。
いやいやいや、やめてくれ!俺なんか見ても面白くないって!
「父さん一緒に見よう~」
「え?あ、いや、待ってよ、それ結構時間かかるよ?パケ代とか食うよ?」
「いいよ。せっかくだから父さんと見たい。ねー」
「ああ」
焦る俺にはおかまいなしに操作する姉と、そんな悪戯めいた姉に同調する顔の父。
二人はヒヤヒヤ縮こまる俺の心臓を察することなくいそいそと観る準備を始める。
姉は父の見やすいように眼鏡をかけてやり、見やすい位置にスマホを持って行くと、動画再生ボタンを押した。
はぁ・・・、本当に観始めたよ。
ここまで来たら諦めるほかはない。
父も姉もどことなく嬉しそうだから止めるに止められない。
しょうがないなぁ。
スマホから流れてくるのは司会進行役だった柿本課長の声。
そして、自分の声が違うところから流れてくる違和感。
・・・うわぁ、恥っず!
やっぱり覚悟していたとしても、これは恥ずかしい。
自分の仕事に誇りを持っていないわけではないし、認めてもらえるのはうれしいけれど、いざ目の前でそれを家族に観てもらうのはこそばゆい感覚があり、参観会を見に来られた時のような、公開処刑のような気分のようでもあり・・・
やっぱり恥ずかしい・・・!
俺の一人悶絶に気付いているのかいないのか、二人はそのまま動画を観進める。
プレゼンが進むにつれて、話の内容は専門用語が多く飛び交っているからか、姉は俺の様子にしか興味がないようで、俺が映るたびに「サク映った!」と小さく口にしてはまるで参観会で見守る父兄のように見えたが、父には俺が映っていないシーンでも食い入るように小さな画面をじっと見つめていた。
そういえば、父は倒れる前まで大手家電メーカーの試作開発部にいたんだった。畑は違えどどこか似通ったところはあったんだろう。どうやら父には俺の話している専門的内容が理解できているのだと気付くと、先ほどまで感じていた恥ずかしさはすっと薄れていた。
「サキ、もどして」
「え、あ、うん。ちょっとまって。これくらい?」
「ああ」
気になるところがあったのか、聞き取りにくかったのか、父が動画を少し戻すように言ってくる。十数秒戻して再生すると、「止めて」と言い、俺に視線を向ける。
あ、そうか。
ここのところはちょっと専門的過ぎてわかりにくいかもしれない。
「光源、」
「あ、ああ。これはLEDだね。レーザーにする意見もあったんだけど今回はLEDのほうが試作の結果が良かったんだ」
「ほう・・・」
なんだろう。こうやって仕事の話を父さんとするなんて初めてで、心臓がざわめく。
先ほどまでの気恥ずかしさでのざわめきではなく、共感してもらえた嬉しさだと気付くのに時間はかからなかった。
その後も少し進んでは止めて説明を入れ、という事を繰り返し、最後まで見終わったのが本来の再生時間をはるかに上回っていた。
動画が終わると、父さんは嬉しそうに笑みを深めながら何度も頷いていた。
その姿を見ただけで、思わず泣きたくなってしまった。
「サクの仕事してる姿初めてみたけど、なかなかサマになってたしカッコいいじゃん!」
姉さんの言葉には照れてしまって返す言葉が見つからなかった。
素直に嬉しいと感じる。
こんな気持ちは子供のころ以来かもしれない。
「がんばってる、な」
「あ、ありがと」
「これじゃあ残業になっても仕方ないね。大変な仕事してるんだから、ここに来れない時はまた言ってよ。協力するから」
「ん、助かる」
二人の言葉がこそばゆくて、体中かきむしりたくなるほどだったけれど、不思議と嫌な気持ちはなく。
残業でここに来れなかった時の後ろめたさが、姉の言葉で幾分救われた気がした。
「でもさ、サク。今日はこれとは別になんかいいことあったんじゃないの?」
「え?」
「だって、この動画先々週のじゃない。サクの『いい顔』はここ直近の事だと思うんだけど?なんなら今日なんかあった?」
母さん並みに鋭いところをついてきた姉さんに言葉に詰まる。
すっかり忘れていたかと思いきや、やっぱり姉さんにはかなわない。
「そ、ういえばここ来る前に、いいことっていうよりは・・・ちょっとしたアクシデントが、ね」
俺自身、そこまで重大な事って思ってはいなかったのだけど。
それでも、一応家族には報告しとかないと。
「なぁに?アクシデントって」
「えっとさ、午前中にコタローを散歩させてた時に、リードを振りほどかれちゃって」
「はぁっ!?ちょっと嘘でしょ?で、それ大丈夫だったの?」
俺の言葉に、姉だけでなく、父も目を見開いて驚いた。
それもそうだろう。
コタローと散歩していて、リードを振りほどかれることなんて一度もなかった。
父が元気な頃は父も散歩に連れて行っていたし、姉も甥っ子たちが幼い時から一緒にコタローを散歩させてくれるが、利口なコタローはちゃんと歩幅を合わせることができていた。
思い返せばコタローがリードを振りほどいて逃げるなんてわが家では前代未聞。
ある意味、重大ニュースである。
散歩の途中、いつもの流れで自販機前でコーヒーを買おうとしていたところだった。
何かに気がついたコタローが急に動いたと思った直後、俺の手からするりとリードが抜け去り、あっという間に置いて行かれてしまった。
ちょうど財布を手にしていて手の力が緩んでいたのもタイミングが悪かった。
人に慣れているとはいえ、何故急にコタローがそんな行動に出たかも理解できず、追いかけながらもコタローが走る先に目をやると、一人の女性の影を見つけて。
瞬時に危険を感じ、最悪の事態を覚悟した。
もし、本気で『犬』が『人』を襲ったら・・・。
もちろん、謝罪だけでは許されるはずはない。
相手の人生すら台無しにしてしまう可能性だってある。
狂犬病の予防注射や万が一の咬傷障害保険も入っているものの、絶対にタダでは済まされない。
裁判沙汰や保健所に通報。最悪の場合、処分されてしまう。
大事な家族を失うなんて考えたくもないけれど、他人に怪我を負わせてしまう事だけは避けたい一心でその小さな黒い背中を必死に追いかけた。
後悔しながら飼い犬に追いついた先で見たのは、腹を出して寝ころんでいる駄犬・・・もとい、わが家の飼い犬と、ゆるやかに流れるきれいな髪の、やわらかい雰囲気をまとった女性。
やっと追いついて、肩で息をする俺の顔を見上げたその女性は・・・。
「で、コタローはどうしたの?誰かに怪我とかさせてない?」
矢継ぎ早に俺の言葉を引き出そうをする姉に、安心させるべく落ち着いて答える。
「それは大丈夫だった。ちょうどそこに居合わせたのが同じ会社の人だったんだけど、その人の所に走って行ったと思ったら、腹出して『なでろ』っておねだりし始めてさ」
「うそぉ・・・」
それを聞いて、父と姉はまた驚いて顔を見合わせた。
そうだよな。
何度も散歩で行き会う人達はいたけれど、コタローが今まで腹を出してまで懐く人間なんて、家族以外はいなかった。
それなのに、初対面のはずの来生さんに全速力で駆け寄って、突然寝転がって腹を出すなんて。
目撃したはずの俺すらいまだに信じられないし本当に不思議な光景だった。
普段は一つに束ねている髪を下ろしていた彼女は、私服だからか仕事の時よりも柔らかな雰囲気をまとっていて、無邪気にじゃれるコタローと戯れて。
とにかく、被害がなくてよかったとホッと胸をなでおろすも、コタローの甘えっぷりに呆れてしまった。
そして、一番意外だったのは、コタローと戯れて満面の笑顔を見せた来生さん。
彼女のこんな笑顔は、初めてだった。
先週の伏目がちでどこか避けていたあの姿はみじんもない。
ちょうどふっきれたところだったのか、コタローが吹き飛ばしたか。
もし、コタローが笑顔のきっかけになったのならよかった。
それにしても、コタローも珍しい。
こんなに甘えている姿はいつぶりだろう。
俺の前でもここまで甘えないのになぁ。
さては・・・来生さんがコタローの好みって事か?
・・・なんて思いながらその姿を見ていたのに。
だんだんコタローに向かってイライラし始める自分がいた。
その理由は、わからないままだったけれど。
襲われたはずの来生さんも話を聞くと犬好きで、コタローの突然のおねだりを喜んで受け入れてくれて撫でてくれて・・・
驚かせて申し訳ない反面、そんな人でよかったというかなんというか。
「それで、その人は?」
「まあ驚いてたよ。コタローが勢いよく走って行ったから噛みつかれるかもって思ったとは言ってたけど。でもコタローが腹出してしっぽめっちゃ振ってたら可愛い可愛いってたくさん撫でてくれた」
「ホントー?信じらんないけど、何にもなかったならそれはそれで良かったね。怪我もしてなかったんでしょ?」
「そうみたい。飛びついたり顔は舐めてたけど噛んではないって。だからそんなコタローなんて珍しくてさ」
「ほんとね。私も見たかったなぁ」
姉と俺との会話に父がうんうんと軽く頷く。
「それにしても、コタローがそんなに興味を示す人っていうのも珍しいわね。その人って女の人?」
「あ、うん。そう」
「サクの会社の人だっけ?その人。名前、なんて人?」
「え?来生さんだけど?」
「キスギさん・・・ね。あまり聞かない苗字だけどもしかしてオバサマ世代?」
「いや。俺より少し年上ってくらいでまだ若いよ」
次々と聞かれる質問に、ただ返すように答えていたけれど。
段々と姉の顔の笑みが深くなる。
「ふぅん・・・。ねぇ、その人可愛い?」
「はぁ!?」
突然の姉の質問攻めの意図に理解ができず聞き返す。
コタローに人間の美醜が分かると思っていなかったので、その質問は予想外だった。
「な、なんだよ。それは関係ないんじゃないの?」
「関係あるよー。だって、コタローって女の人好きじゃん。それも母さん世代のマダムたちが」
そう言われて、コタローと散歩してる時に、母さん世代の人達とすれ違う時の反応を思い出す。
どことなく鼻をひくひくさせることが多いのは気のせいじゃなかったのか。
「だからって、コタローの熟女好きと顔は今は関係なくない?」
「そんなことないかもよ。で、どうなの?可愛い人?そうでもない人?」
「まぁ、どっちかというと・・・可愛い人、かなぁ」
「ふふ~ん、そっかぁ。なるほどぉー、写真とかないの?」
「ないよ」
「そっか。残念」
そう言うと、姉さんはなんだか一人で納得してる。
何を考えているのか聞くのが怖い。
「じゃあ余計ちゃんとお詫びしないとね。うちの犬が驚かせてすみませんでしたって」
「一応言ったけどね」
「でも、そこはやっぱり家族としてお詫びしたいじゃん。今度家に連れてくる時教えて。コタローがどんなふうに甘えるのか見たい」
「連れてくるって・・・、たまたま偶然会っただけの人だから無理だって」
姉はなんだか新しいおもちゃを見つけたかのように、嬉しそうに父の布団を直す。
「すぐじゃなくていいの。いつでもいいのよ。
あ、もちろんウチがダメなら公園とかどう?私、父さんとコタローと待ってるから」
「あのね・・・。姉さん楽しんでるでしょ?」
「もちろん!だって、サクのこんな顔初めて見るもの」
「は?」
姉の言葉に思わず顔をしかめる
俺、一体どんな顔してんだよ。
父さんまでもどことなく嬉しそうな顔をしてる。
「ふふっ!もう、サクってば、恋してるみたいよ」
どくん、と大きく脈が打つ。
すると同時にそれまでの事が逆再生されているかのように脳裏に浮かびだす。
雨上がりの笑顔。
突然の涙。
タオルを差し出してくれる手。
咄嗟に触れてしまった手のぬくもり。
手作りのパン。
コタローと戯れる笑顔。
そして、
驚愕の、初対面。
「サキ、時間」
俺の思考を遮った父さんの一言に、俺たちは慌てて時計を見る。
気付くともう夕方になっていた。
「あっ!そうだった!いけない!買い物してから帰るんだった!
サク、続きはまた今度。ちゃんと聞かせてね!応援するから」
「え、何の応援?」
「あー、ごめんごめん。とりあえずはサクは今まで通りでいいって。私の早とちりでダメになっちゃ困るからしばらくはそっとしとくね。じゃあ父さん、また明日来るから~」
そう言うと、さっさと帰り支度をして父さんの部屋を出ていった。
賑やかながら手早く支度をして退場した姉に、俺も父さんもあっけにとられっぱなしだった。
「サク」
ふと、父さんが顔をあげる。少しずり落ちたメガネを届かない肩で直そうとしていた。
「あ、メガネ取る?」
「ああ」
父さんの顔からメガネを外すと、サイドテーブルにあった眼鏡ケースにしまう。
「父さん、今日は少し疲れただろ?」
「ああ」
「少し寝る?」
「ああ」
「わかった。背もたれは倒す?」
「少し」
「じゃあ少し下ろすね」
父さんに声をかけながら寝やすい高さに調節する。
「・・・サク」
父さんの声にその顔を見る。
たまに見せる、何か言いたげだったけど、言葉にできない時の顔。
でも、不安そうな顔ではない。
「無理、すんなよ」
やっと出てきた言葉は、父さんらしい優しさがこもっていた。
「大丈夫だよ。さ、少し寝て。俺はまだいるから」
「ああ」
父の布団を直し、そばの椅子に腰を下ろすと、父が目を閉じるのを確認してから新聞を広げる。
だけど、新聞の内容が頭に入ってこない。
父さんが目を覚ました後に話して聞かせるはずなのに。
仕事の情報として、頭に入れておいた方がいい内容なのに。
頭に浮かぶのは、俺の脳裏を占領するのは。
――― 水瀬さん、ありがとうございました。
そう言って、初めて俺に見せた、来生さんの笑顔だった。




