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恋愛恐怖症  作者: 黒川 珠杏
【回顧録・水瀬編】
50/56

心ここにあらず

 週明け。


「おはようございます」

「おはようございまーす」

「おはよー」


 いつも通りに出勤した朝の営業部の室内の、だいぶ見慣れた光景。

 いつしかこの部屋に入ると俺の席の隣を探すのが当たり前になっていた。


 うん。今朝もちゃんといる。


 週末、帰り際の彼女の様子がどうにも引っかかっていたのもあり、今日の出勤が気になっていたのだが、どうやら心配なかったようだ。

 まぁ、これまで一度も公休以外の休みを取っていないようなので、勤務態度はいたって真面目な人なんだと思っている。


 次にやることは、スケジュールボードの確認。

 課長と山手さんと松波さんと山口さんが直行直帰となっている。


 ・・・そういえば山手さん、課長と東京に行くって言ってたな。それに松波さんと山口さんは隣県って書いてある。

 という事は、今日は上司(うえ)の先輩たちが手薄なのか・・・。

 中には上長が不在なのは気が楽という人もいるけれど、俺は胃が重くなる思いがする。

 こういう時こそ、ミスはできない。

 ただでさえミスは上長たちに迷惑をかけてしまうものだというのに、不在時ともなるとさらに余計な心配もさせてしまう。 

 いつも気にかけてもらっている人たちだからこそ、仕事で余分な負担をかけたくないんだ。


 気を引き締めるように呼吸をひと飲みすると、普段通りの心持ちで自分の席に向かい、いつも通りに声をかけた。


「おはようございます、来生さん」

「っ!!!」


 俺が部屋に入って来た事すら気づかなかったのか、予想外なことに隣の席は盛大に肩を跳ねさせた。

 あまりに反応が大きくて、椅子までガタンと音を立てたほどに。


 あ・・・あれ?

 そんなに驚く事、だったかな?


「あ、お、おおおあようごじゃいまっ、す・・・」


 あ、噛んだ。

 自分でも恥ずかしかったのか、口元を抑えて真っ赤な顔をして俯いてしまった。


 か・・・かわいい・・・


 でもなんだろう。いつもの彼女と何かが違う。

 やっぱりまだ体調悪いのかな?


「コホン・・・失礼しました。

おはようございます、主任・・・じゃなかった。えっと・・・み・・・水瀬、さん」

「ぷっ・・・」


 まだ顔は赤いものの体勢を整えて改めて言い直してくれる律義さがこそばゆくて、我慢できず思わず吹き出してしまった。

 先週の俺の言ったことを頑張って実践に移してくれたことが素直に嬉しい。

 嬉しくて、胸の中がほんのりあったかいようなむず痒い気持ちになって、なぜかそれが笑いとなって込み上げそうになるからそれは堪える。


「す、すみません。集中してた時に声かけちゃったんですよね?俺」

「いや、あの、そういうわけではないというかちょっとあれでしてっ」


 再び顔を赤らめて否定しようとしたのだろうけれど、いつもより早口で慌てふためくその姿が珍しい。

 今までの彼女ならきっと、たとえ驚いていてもその後は軽やかにそつなく返答が来たと思うのに。

 俺が「主任はつけないで呼んで」と言ったばかりに、変な緊張をさせてしまったんだろうか。


 少し気持ちが落ち込みそうになる中、カバンをデスクの下に置いて上着を背もたれにかけながらちらっと横目で様子を見ると、まだ返答に悩んでいるのか、デスクに額をこすりつけていた。


「あまり深く考えなくていいですよ。週明けですしね」

「~~~っ!し、失礼しますっ」


 手元にあったハンカチを握りしめながら慌てて席を立ったかと思うと、いそいそと部屋を出て行った。

 どうしたんだろうと心配する気持ちと、もっと困らせてみたいと思う気持ちが同居する。


 あ、もしかしてコレか?山手さんの小学生心理。


 以前、中岡さんが言っていた山手さんが彼女を困らせて遊んでしまう行為を小学生の男の子ようだと言っていた理由がわかってしまったような気がして、自分の中がひやりとする。


 確かにこれは・・・ヤバい。面白い。


 けれど・・・ダメ、だよなぁ。

 いくら反応が可愛くても、彼女の仕事に支障が出るようでは問題だ。

 俺はさすがに頑張って自重しなきゃ。


 ・・・・・・しかし。


 俺がいくら自重しようにも、戻ってきた彼女の様子はあまり変わることがなく、大きなミスはなかったものの、小さなミスが立て続けに起こっていた。

 コピーを頼めば色々と失敗していつも以上に時間がかかり、書類整理を頼めば順番を間違えたり。

 日に何度も物を落としたり、机の下に落ちたものを拾おうとして、その後デスクに頭をぶつけるのは何度も見た。珍しい事に入力の打ち間違いも何度もあった。

 幸い数字に関しての打ち間違いはなかったものの、あて先の漢字を間違えたりする程度なのですぐに修正は利いた。


 中でも一番危なかったのは、週末である今日の午後。

 営業先に行こうと駐車場に向かおうと階段を下りていた時だった。


「わっ・・・っ!」


 その声に驚いて振り返ると、不安定な体勢で手すりにしがみついている来生さんがいた。

 靴も脱げかかり、手にしていた荷物が手元から零れ落ちそうになっていた。


「き、来生さん大丈夫ですか?」


 俺の後ろから階段を下りていたところを、あと数段というところでずるっと滑り、慌ててそばの手すりにつかまった、というところだろうか。思わず彼女の腕を引こうかと思ったが、それより落ちそうになっていた荷物を先に受け取ると、彼女は自力でゆっくり体勢を整えた。


「あ、ありがとうございます。失礼しました」


 今回は偶然そばにいたのもあってすぐに助けることができたけれど、これがもし一人の時に同じ事が起こったら大惨事にもなりかねない。無事な姿にほっと胸をなでおろす。


「無事でよかった。気をつけてくださいね」

「ほんとにすみませんでした・・・とんだご迷惑を・・・」


 俺の拾い上げた荷物を受け取りながら、申し訳なさそうに謝罪の言葉を口にする。


「気にしないでください。それよりも、どこか怪我とかされてませんか?それとも体調が悪いとか?」

「だ、だ大丈夫です!ぼんやりしすぎただけです。・・・・・・すみません」


 これ以上の関与はNGとばかりにうつむいてしまい、それ以上の言葉をかけることができなかった。


 どうもここ最近、日を追うごとに視線を逸らされている。

 ただ、初めて顔を合わせたあの時ほどの衝撃ではないものの、目を合わせて会話はできず、やはりどこか距離を置かれているというのは薄々と感じてもやもやした気持ちが膨らんでいた。


 俺の気付けなかったところでなにか気に障る事でもしてしまったんだろうか。

 それとも・・・・・・・




「ふーん。疲れがたまってんのかもなー」


 その日の夜。

 あまりに自分で解決ができない心のもやもやを打ち明けると、人生の先輩からあっさりと返答が帰ってくる。

 あっさりというか、あまりに真剣みのない返答。

 電子レンジから温めたコンビニ弁当を取り出していたら、首に挟んだスマホをうっかり落としそうになった。


「疲れって・・・。今週はそんなにハードではなかったはずですけど?」


 むしろ、今週はアポも少なくヒマな方だったと思う。

 彼女だけでなく、俺自身もほぼ残業がなく父の元に通えたほどに。


「まぁ今週はちょっと落ち着いてるよな~。今日のあの緊急会議さえなければの話だけど!

 だからさ、あんまりお前が気にする事ないと思うんだけどなー」

「そうなんでしょうけどね。どうも腑に落ちなくて」

「ふーん。めっずらしいなぁ」


 そう言われて、自分のこの行動に驚きを覚える。


 確かにそうだ。

 今までであれば他人をそこまで気にする事なんてなかった。


 オレが上司だから・・・なんて偽善的な理由か?

 ただ、この一週間の自分の行動が正しかったなんて思えない。

 そんな後悔が胸を渦巻いて晴れない。


「まったく、しょーがねぇなぁ。お前って変なところお人よしだよな」

「山手さんに言われたくないですよ」


 弁当を片手で持ち、首に挟んでいたスマホを手で持ちなおしながら、テーブルに向かう。


「ああ、そいやさお前って、人生でプレゼンって何回やったか覚えてるか?」


 突然の話の変わりように、一瞬答えに戸惑う。

 テーブルに温めた弁当を置き、箸を包みから出しながら記憶をたどる。


「えっと・・・何回でしたっけ?まだ一桁だと思いますが」

「それでも毎回緊張するだろ?」

「もちろんですよ」

「じゃあ、初めての時はどうだったよ?」

「そ、それはもう・・・絶望的でした」


 緊張で何を話したか全く覚えてないほどに、反省しかない黒歴史だ。


「じゃあ、それが終わった後は?」

「・・・二度とやりたくないと思いました」

「はははっ!よく言うよ。なかなか肝が据わってたって本社でも好評だったんだぞ」

「それは聞きましたよ。でも、俺は」

「ハッハーッ!」


 俺の黒歴史をあっさりと笑い飛ばすその声に、イラっとする。


「しょせんはヒトゴトだしぃ?自分のことは自分で配慮しなきゃだし?そーゆうのは言わなきゃわっかんないし~ぃ?」


 真面目なのか不真面目なのか、バカにしてるのか真剣なのか。

 イラつくのさえ馬鹿らしくなりどっと肩の力が抜ける。と同時にそばの椅子に深く座り込んだ。


 この人に真面目に相談したのが間違いだった、か?

 思わずいつもなら思わない事すら頭に過る。


「まぁ・・・そうなんスけどねー」


 だから悩んでるんだって言いたいところなんだけど、なんだか疲れが先に来て反論どころかまともな言葉が出てこなくなってきた。


「いくらお前が嫌だった、辛かったと思ったところで、他人にとっちゃ表向きしかわかんねえだろ?

 それに、人間なんてやっと慣れてきた頃が一番気が抜けるっていうじゃん」


 何のことだ?


 話の脈略が見つからず返す言葉が出てこないどころか、弁当のふたを開けたところでまったく箸が動かない。

 胸の奥に広がるもやっとしたものがまだすっきりしない。


 ゆっくり息を吐いて、核心に近い言葉を絞り出す。


「それでも、俺には・・・俺に何か原因があるような気がしてるんですよ」

「なんだよ。うっかり地雷踏んだって事か?」

「地雷って・・・。それが、俺には心当たりがない気がしてるから悩んでるんですって」

「うーん、・・・あ、オトコとか?」


 その言葉に急に心臓が鷲掴みされたようなひどい苦しみが走る。

 まるで何かのトラップにはまったかと思うほどに。


 オトコ・・・って、まさか。


 それはまったくもって予想していなかった。

 彼女にだって恋人ぐらいいたっておかしくないし、ついこの間うっかり聞こうとしてたじゃないか。


 少し前なら女性の態度がこじれた時はだいたいそんなもんだと予測もできた。

 今回もそうなんだと思えばよかったじゃないか。

 なのに、そんな予測を微塵もできなかった。今でさえ、そんなことであってほくないと願ってしまう。

 そんな自身に対しても、これまで経験したことない胸の疼きを感じて苦しくなる。


 なんだ、これ・・・・・・


 まるで心臓の裏側にトゲが刺さったかのような不快感。


 姉さんに恋人がいると知った時の痛みとまた違う。

 でも、一番納得ができる答えだったかもしれない。


「どう、なんですかね。そのテの話はしたことがなかったんで」

「まぁそれが普通だろー?」


 そこまで言ったところで電話の向こうからぷはーっと息を吐く音が聞こえる。


 あ、これはもしや晩酌中だった?

 そういえばだんだん絡み酒っぽい口調になってたのに今更気付く。


「プライベートを仕事に持ち込まないのが当たり前って世間では常識っぽく言うけどさぁ、どの場面にいるのもソイツ本人なんだよ!嬉しかろうが、悲しかろうが、仕事中だろうがプライベートだろうが、感情の経験や時間がみんなバラバラだから『個性』とか『人間味』ってのができるんだろ?プライベートだけで解決しない事だってあって当たり前だ。何が常識だー!」


 ハっとした。


 そういう事か。山手さんの言いたかったことがやっとわかった。

 今度はすっと胸に落ちた。


 ああ、俺は一体彼女の何を見ていたんだろう。

 自分の事でいっぱいいっぱいだった。


 散々彼女に協力してもらっていたくせに、自分だけが矢面(やおもて)に立っているもんだと思っていた。自惚れにもほどがある。

 協力していたという事は、同じ苦痛を味わっていたことだってあり得るんだ。

 彼女にとってはアウェイ当然の本社。偶然常務はいなかったものの、いる事を覚悟してついてきてくれた。

 その心労に気付けないなんて、俺の方が上司失格じゃないか。


 そんなことに今更気付くなんて・・・・・・

 申し訳ない事をしてしまったな。


「疲れ方は人それぞれって事ですね」

「まぁな。お前だってそうだろ?」

「確かに。・・・・・・あざっす」


 もう一つの理由が、見えた気がした。

 いや、これが本当の理由で合って欲しいという希望に近い答え、と言ってもいいだろう。


 それでも、その隠れ蓑的な答えが出たおかげか、今までもやもやしていたものがなんとなく楽になった気がして目の前のコンビニ弁当にやっと箸を伸ばす。

 少し冷めてしまったが、なんだか今の俺にはちょうどいい。


 すっきりしたところでなんだか飲みたい気分になってきた。もういっそのことパアっと飲んで、悩むのをやめよう!

 そう決めると箸をおいて冷蔵庫に向かい、姉さんが置いて行ったビールを一本取りだす。

 姉さんも義兄(にい)さんも、あまりお酒を飲まないから、もらっても余ると置いていってくれるんだ。

 そして、おそらく山手さんもまだまだ晩酌継続中だろう。 


「まあ、お前はそのままでいいんだよ。

 案外、来週になればあっさり回復してるかもしれんぞ?」

「そうかもしれませんね。そう思う事にします」


 胸の奥に刺さったトゲは、たぶん、まだ取れていない。

 でも、気にならないほどになった気がする。


 やっぱり、相談する相手は間違っちゃいなかった。


「ふっふっふー!んじゃあ、お礼はエビスでいいぜぇ」

「え?いつものグリーンラベルじゃないんですか?」

「それは今飲んでる!」


 あ、やっぱり。

 この間、奥さんがそれしか買ってこないと言っていたのは継続中だったんだ。


「それじゃあ飲み慣れてるじゃないですか」

「だから違うのがいーんだってぇの」

「そうですか。じゃあ俺も今からビール飲んで寝る事にします」


 今夜の俺のビールは黒いのだ。

 姉さんだって、本当は飲めないわけじゃないんだけどなぁ。

 そりゃあ義兄(にい)さんは下戸だけど、何も合わせなくたっていいのに。


 なんて、他人の家庭事情を勝手に心配する。


「そっかぁ。んん?そいや、お前今日メシはー?」

「今食ってますよ。コンビニ弁当ですけど」

「はぁー、相変わらず遅い時間だなぁ」

「いいんですよ。明日は休みですし」

「まぁな。食ったらちゃんと風呂も入れよ」

「入りますよ。

山手さんってホント、たまに『おかん』出ますよね」

「うぉい!おっ前なぁ!

 そこはせめて『おとん』にしとけよ」

「いや、『おかん』です。『おかん』。そこは譲れませんね。」

「はあぁ?!ふざけんなよコラ!」


 いつもながら俺の悩みを笑い飛ばしてくれるこの声に、心の中で感謝する。

 冷えたのど越しを求めて再びテーブルに戻り、手元の缶のフタを開けた。


修正完了しました。

失礼しましたm(__)m

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