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誰にでも優しい九条さんの、私だけの特権。~「いい部下」をやめた二十六歳の攻防戦~  作者: 寝不足魔王


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7/12

第7話:大人な彼が、不意に見せた溜息の価値

第7話です。

仕事のトラブルで疲弊する九条。

完璧な上司が見せる「弱音」は、恋するヒロインにとっては最高のご馳走かもしれません。

凛の「糖分」作戦が功を奏します。


「……はぁ」


 深夜近く。フロアに残っているのは私と九条さんの二人だけ。

 静まり返ったオフィスに、重く、深い溜息が落ちた。


 九条さんはパソコンの前で力なく背もたれに体を預け、眼鏡をデスクに放り出している。

 昨日まで私を徹底的に突き放していた「鉄壁の上司」の姿は、そこにはなかった。


 どうやら、進行中のプロジェクトでトラブルがあったらしい。

 クライアントからの無茶振り、外注先のミス。

 どんなに彼が優秀でも、一人ではどうにもならない理不尽が、大人の世界にはある。


 私は無言で席を立ち、給湯室へ向かった。

 いつものコーヒーじゃない。棚の奥に隠しておいた、とっておきのスティックココア。

 お湯を注ぎ、これでもかと甘い香りを立たせる。


「九条さん。糖分補給、失礼します」


 そっとデスクに置くと、九条さんは顔を上げた。

 赤くなった目。少しだけ乱れた髪。


「……佐倉。悪い、まだいたのか。……これ、ココアか?」

「はい。タバコよりも、今の九条さんにはこれが必要だと思ったので」


 九条さんは一瞬、拒絶するかのように眉を寄せたが、漂ってくる甘い誘惑に勝てなかったらしい。

 ゆっくりとカップを手に取り、一口啜る。


「……っ、甘いな。……甘すぎる」

「それくらいじゃないと、その溜息は消えないでしょう?」


 私が隣に椅子を引いて座ると、彼は「また距離を詰められた」という顔をしたが、追い出す気力も残っていないようだった。


「……佐倉。俺は、君が思っているほど立派な人間じゃないよ。こうして余裕をなくして、溜息を吐いて……情けないおじさんだ」


 自嘲気味に笑う九条さん。

 でも、私にはその「情けなさ」こそが、どんな完璧な指示よりも価値があるものに思えた。

 

 誰も見ていないところで、一人で背負って、一人で溜息を吐いて。

 その重さを、少しでもいいから私に分けてほしい。


「情けなくなんてありません。私は、その溜息を吐ける九条さんの隣にいたいんです」


 私はそっと、彼のデスクにある眼鏡を手に取り、クリーナーで拭き始めた。


「九条さん。明日、私もそのトラブルの対応、手伝わせてください。……『部下』として、完璧に働いてみせますから」


 九条さんはココアを飲み干し、眼鏡を受け取ると、ふっと力みの抜けた笑いを見せた。

 

「……あぁ。頼むよ、佐倉」


 突き放されていたはずの距離が、甘い香りに溶けて、ほんの少しだけ縮まった夜だった。


お読みいただきありがとうございました!

苦いタバコの煙よりも、今は甘いココアの優しさが染みる42歳。

凛の「支えたい」という純粋な熱意が、九条さんの意地を少しだけ溶かしました。


次回、第8話は「その優しさは、私だけじゃないから苦しい」。

少し距離が縮まったからこそ見えてくる、九条さんの「平等な優しさ」に凛が悶々とします。


評価やブックマークをいただけると、凛の攻勢がさらに激しくなるかもしれません……!


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