第4話:非喫煙者の私が、喫煙所に行く理由
第4話です。
ついに聖域(喫煙所)への突撃。
「おじさん」と自称して線を引こうとする九条と、それを許さない凛。
密室での攻防戦をお楽しみください。
この会社の喫煙所は、フロアの隅にある重いガラス扉の向こうにある。
タバコを吸わない私にとって、そこは本来、一生縁のない場所のはずだった。
――でも。
定時を過ぎ、少しだけ人影がまばらになったオフィスで、九条さんが席を立つのを見た瞬間、私の足は無意識に動いていた。
手には、先ほど自販機で買ったばかりの冷たい缶コーヒーを一つ。
扉を開けると、独特の香りと微かな煙が視界をかすめる。
「……佐倉? どうした、こんなところで」
一番奥の窓際。
銀色の灰皿の前に立ち、細い煙をくゆらせていた九条さんが、驚いたように目を見開いた。
眼鏡を外し、ネクタイを少し緩めた姿。
デスクで見せる「完璧な上司」とは違う、どこか無防備で、退廃的な色気がそこにはあった。
「九条さん、お疲れ様です。……これ、差し入れです」
私が差し出した缶コーヒーを見て、彼は苦笑した。
「ありがとう。でも、ここは煙いよ。タバコ、嫌いじゃなかったのか?」
「……嫌いじゃないです。九条さんの匂いなら」
自分でも驚くほど、素直な言葉が出た。
九条さんの指が、ぴくりと止まる。
彼は吸いかけのタバコを灰皿の縁に置き、私をじっと見つめた。
「佐倉、そういう冗談は……あまり、おじさんを揶揄うもんじゃない」
「冗談じゃありません。……私、九条さんのことをもっと知りたくて、ここに来たんです」
狭い喫煙所。
換気扇の回る音だけが響く密室で、心臓の音がうるさいほど鳴っている。
九条さんは深く溜息を吐くと、灰皿にタバコを押し付けて消した。
「ここは、大人が逃げてくる場所だよ。君みたいな若い子が、無理して合わせる場所じゃない」
そう言って彼は私の横を通り過ぎようとした。
でも、その時。
すれ違いざまに、彼のシャツの袖から、昨夜感じたあの「煙草と清潔な柔軟剤」が混ざった香りが強く鼻をくすぐった。
「逃げる場所なら、私と一緒に逃げてください」
思わず伸ばした手が、彼のスーツの裾を掴んでいた。
九条さんの背中が、硬直したのがわかった。
適切な距離。完璧な上司。
その境界線の向こう側に、私は今、強引に片足を突っ込んだ。
お読みいただきありがとうございます!
タバコの匂いを「好き」と言われた時の九条さんの動揺、伝わりましたでしょうか。
「おじさんを揶揄うな」というセリフは、実は自分に言い聞かせている防衛本能でもあります。
次回、第5話は「灰皿越しに、一度だけ目が合った」。
さらに踏み込む凛と、揺れる九条の視線の行方は――。
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