第3話:憧れの延長線上に、何があるのか
第3話です。
仕事上の「尊敬」という便利な言葉の裏側に、少しずつ別の色が混じり始める回です。
26歳の直球なアプローチに、42歳の上司はどう反応するのか。
お楽しみください。
午後からの会議が長引き、オフィスに戻る頃には外はすっかり暗くなっていた。
ふと九条さんのデスクに目を向けると、彼は受話器を肩に挟みながら、手早く書類にサインを走らせている。
その横顔は、一切の無駄がない。
真剣な眼差し、時折寄る眉間の皺、淀みのない指示。
仕事をする九条さんは、いつだって私の『憧れ』そのものだった。
「……あ、佐倉。会議、お疲れ様。部長、なんて言ってた?」
受話器を置いた彼が、私に気づいて声をかける。
私は手元のノートを広げながら、報告事項を伝えた。
「――以上です。修正案については、私が叩き台を作っておきますね」
「助かる。……うん、いい判断だ。佐倉は最近、本当に視野が広くなったな」
九条さんが満足げに頷く。
褒められた。それも、最も尊敬する人に。
普通なら、ここで「ありがとうございます、頑張ります」と返して自分の席に戻るのが、正しい部下の在り方だ。
でも、今日の私は、そこで足を止めなかった。
「九条さん」
「ん?」
「私、九条さんに褒めてもらえるのが、一番嬉しいです。……仕事の成果を認められたから、だけじゃなくて」
心臓が耳元で鳴っている。
九条さんはペンを回す手を止め、少しだけ不思議そうに私を見た。
「……だけじゃなくて?」
「九条さんに、見ていてもらえることが、嬉しいんです」
真っ直ぐに、彼の目を見つめた。
九条さんの瞳が、わずかに揺れる。
彼は何かを言いかけ、それから視線を少し逸らすと、困ったような、それでいて少しだけ困惑したような笑みを浮かべた。
「……佐倉。それは、上司冥利に尽きるね」
また、かわされた。
彼はいつだって「上司」という安全な場所に逃げ込んで、私をそこから優しく押し出す。
憧れ。
その言葉はとても綺麗で、この場所で二人が繋がるための、唯一の正当な理由だ。
でも、今の私は、その綺麗な言葉の延長線上に、もっと泥臭くて、熱くて、特別な感情が芽生え始めているのを感じていた。
「……失礼します」
会釈をして背を向ける。
顔が火照っているのが自分でもわかった。
今の言葉に、彼は何を思っただろう。
ただの『熱心な後輩』として処理されたのか、それとも、私の隠しきれない熱量に気づいたのか。
自席に戻り、パソコンの電源を入れる。
画面に映る自分の顔は、思っていたよりもずっと、必死な顔をしていた。
憧れだけじゃ、もう足りない。
私は、九条さんの『良い部下』で終わりたいわけじゃないんだ。
お読みいただきありがとうございます!
「憧れ」と言いつつ、視線で語り始める凛。
九条さんの「上司」としての仮面が、少しずつ窮屈になっていく様子を描いていきたいです。
次回、第4話は「非喫煙者の私が、喫煙所に行く理由」。
いよいよ、九条さんの聖域に凛が突撃します。
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