第11話:26歳の私にできること、42歳の彼にできないこと
第11話です。
「若さ」という武器で、九条さんの卑屈な自制心を真っ向から否定する凛。
大人だからこそ動けない九条と、若さゆえに止まれない凛の対比を描きます。
「……若さのせいにして、逃げないでください」
雨音の響くオフィスで、私の声が自分でも驚くほど冷たく、鋭く響いた。
九条さんは、伸ばしかけた手を止めたまま、苦いものを噛み潰したような顔をしている。
「九条さんはいつも『まだ若い』って言います。でも、私を子供扱いすることで、自分の本当の気持ちを誤魔化してるだけじゃないんですか?」
「佐倉、それは――」
「私は二十六歳です。誰を好きになって、誰に人生を捧げたいか、自分で決める権利がある。……それを『一時の感情』なんて一言で片付けられるほど、私は軽いつもりじゃありません」
一歩、また一歩と詰め寄る。
九条さんは逃げ場を失い、デスクの縁に背中を預けた。
四十二歳。経験も知識も、社会的地位も私よりずっと上のはずの彼が、今はひどく脆く見えた。
「九条さんにできないことが、私にはできます。……それは、自分の心に嘘をつかないことです」
大人は、守るべきものが多すぎる。
キャリア、世間体、職場の均衡。それらを理由に、彼は自分の心に幾重もの鍵をかけている。
でも、私にはそんな鍵はない。捨てて困るプライドも、守らなきゃいけない建前も、彼を想う気持ちの前では無意味だ。
「……君は、本当に眩しいな」
九条さんが、自嘲気味に呟いた。
彼は眼鏡を外し、デスクに置く。その露わになった瞳には、隠しきれない情熱と、それ以上に深い「諦め」が混在していた。
「眩しすぎて、直視できない。……俺が君を遠ざけるのは、君を汚したくないからじゃない。君を見ていると、自分がどれだけ薄汚れた場所で生きてきたか、思い知らされるからだ」
初めて聞いた、彼の本音。
それは完璧な上司の仮面が完全に砕け散り、一人の臆病な男が顔を出した瞬間だった。
「なら、私がその場所に一緒に行きます。汚れてるなんて、一度も思ったことありません」
私は迷わず、彼のシャツの胸元を掴んだ。
指先に伝わる、激しい鼓動。それが、彼もまた「ただの人間」であることを教えてくれる。
二十六歳の勢い。四十二歳の逡巡。
今、この瞬間だけは、私の熱量の方が、彼の『大人』という防壁を上回っていた。
お読みいただきありがとうございました!
ついに九条さんが「上司」ではなく「一人の男」としての卑屈さを吐露しました。
凛のポジティブなエネルギーが、九条さんの重い腰を(少しずつですが)浮かせています。
次回、第12話は「枯れ木に水を、あるいは火を」。
追い詰められた九条さんの中で、眠っていた何かが目を覚ましかけます。
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