第10話:嫉妬は、雨の日のオフィスで熱を帯びる
第10話です。
爆弾を投げた凛と、それを必死に不発弾にしようとする九条。
雨という舞台装置が、二人の隠しきれない本音をじわじわと炙り出します。
午後から降り出した雨は、夜になっても勢いを増すばかりだった。
窓ガラスを叩く激しい雨音が、静まり返ったオフィスに響いている。
――もう、私を『部下』として見るの、やめてもらえませんか。
あんなことを口走っておいて、普通に仕事ができるはずもなかった。
私は逃げるように自分のデスクへ戻ったものの、パソコンの画面は一文字も進んでいない。
「……佐倉」
背後から、低く落ち着いた声がした。
心臓が跳ねる。振り返ると、そこにはレインコートを腕にかけた九条さんが立っていた。
「雨、かなり強いな。電車が遅れる前に、今日はもう帰りなさい」
……まただ。また「上司」に戻ろうとしている。
あんなに剥き出しの感情をぶつけたのに、彼は何事もなかったかのように、私を守るための「気遣い」を差し出してくる。
「九条さんは、帰らないんですか?」
「俺は、もう少しだけ。……残った仕事を片付けてから行くよ」
彼は一度も、私の目を直視しようとしない。
その不自然な視線の回避が、彼の中に生まれた動揺の証拠に見えて、私は椅子を蹴るようにして立ち上がった。
「ずるいです、九条さん。そうやって、いつも私だけを『安全な場所』に追い出す。……私が今、どんな気持ちでここにいるか、本当にわかってないんですか?」
九条さんが、ぴくりと足を止めた。
彼はゆっくりと私の方を向き、眼鏡の奥にある目を細める。
「……わかっているから、帰れと言っているんだ」
「っ……」
「佐倉。君はまだ若い。一時の感情を、運命だと思い込みやすい時期だ。でも、俺は……」
九条さんが一歩、私に近づく。
雨音のせいで、彼の声がいつもより近く、深く聞こえる。
「俺は、君の期待に応えられるような、真っ当な男じゃない。……君を、この薄暗い喫煙所のような場所に引き摺り込みたくないんだよ」
彼の言葉に、嫉妬とは違う、もっと熱くて重い「独占欲」のようなものが混じっている気がした。
拒絶しているはずの彼の瞳が、私を離さない。
湿った空気。雨の匂い。
そして、彼のシャツから漂う、あの煙草と清潔な柔軟剤の香り。
私を突き放そうとする彼の「優しさ」が、今は何よりも熱い暴力となって、私の心をかき乱していた。
お読みいただきありがとうございました!
「自分は汚れているから、君を汚したくない」という、おじさん上司特有の「重い自制心」。
対して、「汚れてもいいから、あなたがいい」という凛の覚悟。
噛み合わないようで、根底で強く引き合っている二人。
次回、第11話は「26歳の私にできること、42歳の彼にできないこと」。
年齢差という壁に、凛が真っ向から挑みます。
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