第2章(4)ジャック、治験を始める ①
「鈴木先生、隈酷いですね」
翌日、切り傷の治療を受けている患者から問いかけられて、ジャックはぎょろっと眼だけを動かして、「そうか?」と懐疑を返した。
ジャックは明らかに睡眠不足であったが、朝食前にマンドレにんじんをまた一匙飲んだので、眠りたいという欲求が脳内にどっしりと在るところに、そこを除いた身体と精神は薬効で平常時以上に引き上げられ、手はてきぱきと動き、診断のための思考は音でも立てそうに回っていた。
やはり強壮作用も相当だと内心感心しているジャックとは裏腹に、患者は怯んだ様子で、「そうか、じゃないですよ。顔だっていつもはつやつやしてるのに、今日は何かげっそりしてます。具合悪いんじゃないですか?」と引き下がらない。
「悪くないよ、俺は至って元気だ」
「いやそれはそうなんでしょうけど、げっそりしてるんだよなあ。本当に大丈夫ですか」
「大丈夫だと言ったら大丈夫だ。ほら、終わったぞ。傷が拓くから重い物は持たんように」
そう言って患部を避けつつ腕の上の方を叩くと、彼はいでっと身体をくねらせた。
しかし、その患者が出ていくと、ジャックはいつになく深い溜め息とともに立ち上がり、次の間へ患者帳を放り出した。
戸のすぐ傍には、エミリーが特別濃く煎れてくれた茶が、湯呑になみなみと湛えられていたが、手は付けないで仕切りの戸を閉ざした。
頭をすっきりさせてはというエミリーの気遣いは分かるのだが、薬効の検証中に、疎外要因を混ぜるのはよろしくないので、ジャックはそれを飲むわけにはいかなかった。
実のところは、解消されない眠気によりだんだん頭痛もしてくる予感があるので、現状から脱したい気持ちはあるのだが、それよりも正確な結果を得ることを彼は優先した。
「貴方、冷めてしまいましたが飲んで下さいよ、もったいないから」
診療が終了してから、エミリーが差し出してきた湯呑を、ジャックは黙って受け取った。
もはや夕方であり、服用から相当に時間が経っていて、検証をもう終わらせて差支えないことからだった。
同じ苦みでも、甘味の混ざる心地良い喉越しに、一日の疲れを癒される気持ちでいると、エミリーは「夜は飲むのは止めたらどうですか」と言った。
「何をだ」
「あのニンジンですよ。今日の貴方はふらふらだったじゃありませんか。もう十分調べたでしょう」
「何を、まだ序の口だ」
「でも、匙に山盛り飲む実験はもういらないでしょう。どうせ、単独で薬にすることはないんですから、単味の効果を詳しく調べても仕方ないでしょう」
エミリーの言う通り、最低2種の薬剤を混合して薬とするのが原則である。
そしてマンドレにんじんも、その例に従って研究を進めるべきだし、ジャックはあくまで医学の実務者であるので、早期の実用重視を目指すべきであった。
続けて飲んでみて遅効性の毒がないかどうか、不調が起きないかどうかは引き続き検証する必要があって、飲み止めるにはまだ早いのだが、これ以上疲弊するのはさすがに仕事に差し支えるし、限りある原料をこれだけで減らしていくのはよろしくない。
妻の助言に従って方針を変えたような様相を呈するのは癪だったので、客観的事情の方を要因に据えた。
そうすると、次に考えるべきは、実用中の薬に添加する試みである。
人参の子であるので、人参が用いられている薬において、人参と交換してみるのが良いだろうと思うが、そのような薬は主なものだけでも30を軽く超えているので、どの薬を実験台に据えるかは、オリバーがマンドレにんじんを持ち込んだ時から悩んでいたことであった。
薬は、薬剤が2種から10を超えるものまで多種で、概ね、薬味が多いほど効き目が出るまで時間を要するし、現れた効果がどの薬味によるものか切り分けも難しくなる。
また、この医院ではほとんど使わない薬も候補から外すべきであり、そうすると比較的使用者の多い、人参湯や六君子湯の周辺から始めてみるのが穏当だろうか。
他方で、トンビが鷹を生む例により、今まで人参が関係していなかった処方への添加を、候補から降ろすのはもったいない。
段階として次にはなるが、どの薬への添加を試すか吟味する未来が必要だ。
「貴方ってば、聞いてます?」
ジャックは己の考えに耽りすぎていて、エミリーに念を押されても言い返すタイミングを逸した。




