第2章(4)ジャック、治験を始める ②
その夜は、布団に入ると同時に瞼が落ちて意識も遠のいて、ここ2日間とは打って変わってぐっすりと眠ることができた。
一応、匙ではなく耳掻きに一盛りほどは服用したが、目をぎんぎんと開かせる力はなかったようだった。
ジャックは気分爽快に朝飯を食いながら、マンドレにんじんを誰の薬に加味しようかと考えていた。
薬に人参を使い、症状が比較的長引いていて、それにより苦痛を大きく感じている者が最適だが、そういう患者は往々にして虚弱であり、マンドレにんじんを用いるなら特別に注意を払う必要があろう。
服用したことで、病を治すどころか気力体力を削ぐ結果を招いてはならないが、現状有効な治療法がなく、やむなく対症療法を続けているのならば、思い切って試してみるというのは選択肢に加えても良かろう。
リスクはあることを説明し、「どうだろう、試してみるか山田さん」とジャックが問いかけたのは、処方している薬の1つに人参湯が連なっている70代半ばの老男だった。
問われた山田翁は腿を掻きながら、「その薬ちゅうのを飲めば治るのかね、曼荼羅ちゅうからご利益はありそうだけども」とぼんやり言った。
「治るかどうかは分からん。だが、今までは現状維持だったが、何か良い効果が出るかもしれん」
「本当かね、確かかね」
「もちろん出ないこともある、さっき言った通りあくまで試験だからな。だが、力を引っ張り出す作用は保証する」
「逆に悪くなることはないかね」
「それは心配しなくていい、あんたの体調に合わせて丁寧に加減していくから。万が一何かあったらすぐに元に戻す」
山田翁の健康は、現在の医術では完治させられない病に加齢が重なって、緩やかに下降していく現状維持という状態であり、ジャックが目指して来たのも、完治による延命ではなく、残された月日をぎりぎりまで心地良く生きてもらうという点であった。
ここのところ何となく元気がなくなって来たように思われるし、彼の家族もそのように言っていて、まもなく難しい時間軸に入るかと懸念していたが、マンドレにんじんにより"改善するかもしれない"のであれば、治す側としても、そちらへ舵を切りたい。
もっとも、治験であるので患者が納得しなければ断念だが、とジャックが「どうする、躊躇うなら断ってもらって良いぞ」と促すと、山田翁はしばらく黙っていたが、やがて
「んで、やってみっかねえ」
とつぶやいた。
「おお、やるか」
「婆さんが時々めそめそしてっからさあ。治っかもしれねえならやってみねえと、婆さんにどやされちまう」
ジャックが思わず笑うと、釣られた山田翁も今までの冴えない顔色はどこへやら、哄笑した。
マンドレにんじんを慎重に加えた薬を山田翁に処方し、治験は始まったが、1人では不十分であるため、患者の病状を見ながら、性別・年齢層が異なる数人に声をかけて、尻込みされることもありながら、被験者を増やした。
ジャックはまた、往診先でも勧誘を行った。
往診は、通院できない患者に対して行うが、そのほとんどが内因病が進行して立てなくなってしまった者であった。
ジャックが声をかけたのは、不惑になったばかりの一家の主婦であった。
月の物の出血が次第に酷くなり、1か月の半分はまともに立ち上がれず寝たきりの状態になっていた。
出血とともに催す腹痛については、痛み止めの服薬タイミングをジャックが指導し、のたうち回るような激痛に達する前に収めることはできていたが、出血量は減らず、血を補う薬を処方しているが焼け石に水であった。
腹診をすると、腹力や圧痛など通常診るべき内容の前に、明らかにしこりのような固いものを手のひらで感じ取る。
悪さをしているのは十中八九そのしこりだが、鈴木医院を含めた現代の肥土藩の医術では、開腹してそれを取り出す治療は行えない。
都では開腹術も研究されているようだが、子宮については血を大量に失う危険性が高く手出しできないと聞く。
ゆえにジャックは、食養生と併せてとにかく血が作られるように努め、他方で何とか失う量を減らす手段を探していた。
まだ若い農家の主婦が起き上がれないということは、人手が不足して家計が傾くし、家のことも疎かになる。
彼女を支え仕事を補う家族も厳しいし、何より本人が苦しいだろう、日頃そう感じていたのが、彼女を候補にしてはという発想に至らせたのだった。
室内の薄暗がりでも分かる真っ白な顔で、ジャックの提案を受けていた彼女は、ジャックが話し終わるなり「どんな方法でも試したいです、お願いします」と早口に承諾した。
「分かった。じゃあ今回の処方から少しずつ加えていこう」
「少しずつじゃなくていっぱい入れてください、早く治したいです」
「焦っちゃダメだ、丸山さん。情けないが、確実に良くなると保証はできないんだ。様子を見ながらでないと、悪くなっては事だ」
オタネニンジンには腫瘍を縮小させたり血止めする効果はない、ただ丸山妻には、補血と血止め薬のほかに、出血による体力低下を手当するため気力体力を補う薬も緊急的に処方していて、その中に人参が使われているから、それを新材料に置き換えることを思い付いたに過ぎない。
気力体力を補う目的の薬を補強してどうなるものか、その効果が腫瘍や出血に向かうのかという懸念があり、他の患者同様、改善する保証などできるべくもない。
しかし丸山妻は頭を振って、涙声で言った。
「今より悪くなるなんてないです、一気にお願いします、私もう苦しくて」
病気が与える苦痛ばかりではないのだろう、初冬の農作業と家仕事とで家族は皆出払っていて、丸山妻だけが屋内で寝ている。
ジャックは、もちろん大量に投与することなど頭になかったが、口では「分かった。では頑張ろう」と、祈りながら約束を与えるしかなかった。




