第2章(3)ジャック、自分で試す ①
長年の習慣は、ジャックを普段と同じ時間に覚醒させたが、明らかにすっきりとした目覚めではなく、頭の中に曖昧な重さが残っていた。
予想通りではあったので、冷たい水を念入りに顔に触れさせ、特別に濃い茶を食後に啜った。
それで多少は改善したがしゃきっとするまでは行かず、油断すると欠伸が出る。
ジャックは緩慢に墨を擦りながら、そういえば中村の家からの呼び出しはなかったなと思い出した。
今駆け込んで来ないということは、昨夜の薬が良く効いたのだろうと息を吐いて、ジャックは患者帳の一番上を読み上げた。
俄かに起こった腰痛で来院して、今日で2回目の受診であった。
戸を引いて入って来た老女に、ジャックは「どうだろう症状は」と問いながら、いつもの通り望診から始める。
「まだ痛みはありますなあ」
「全然良くなっていないか」
「いいえ、じりじりと、良くはなっておりますです」
答える老女の顔色は良く、疼痛により顰められていることはなくなった。
ジャックは頷いて、「ではこのまま同じ薬を続けよう」と、皮内鍼を対極、正中線を基準として線対称の位置へと打ち直し、耳鍼は取り替えた。
ジャックは患者帳に目を遣りながら、「寒さで出て来る神経痛の方はあるか」と尋ねる。
老女は「そちらはまだ出ておりませんなあ。いつもちょうど今頃から始まりますがなあ」と首を捻るようだった。
神経痛は十数年治療していてだんだん体質が変わっているのか、それとも腰を痛めていて防衛反応なのかは分からなかったが、薬効を加増する必要はないことを確認したジャックは、「次はまた2週間後にな」と言いながら、小型の薬箪笥の引き出しを引いて、必要量の薬剤を匙で掬っては大きな椀に盛っていき、匙で掻き回したり椀の側面を叩いたりして均一にしてから、薬袋に入れた。
薬剤は、その日処方する予定だったり、主だったものはこの箪笥に入れていて、こことは別に、原料やすり潰した状態のものを、箪笥や箱に入れている部屋があった。
「じゃお大事に」
薬袋を手渡して退出を見送ってから、鍼と処方薬の内容を患者帳に書き加えて、墨が乾くまでの間に、鍼の残数を数え、薬剤の量を目視し、零れた粉を片付けたりするのだが、乾き切るのを待てずに、次の間に開いたまま適当に床置きにして、次の患者を呼び込むまでが一連であった。
「指先の冷えはどうだ。今日は少しマシなようだな、足先は冷えるか?では附子を少し増やすか」
「腹を触っただけで痛いか。胸脇苦満あり、舌も見せてみろ」
「肩も痛い?同じ経絡から出た症状だな、病が少し深く入ってしまったのだろう、同じ治療でやれる」
「どうして悪化したんだ。何、俵を担いだ?安静にしておけと言っただろう、また振り出しじゃないか」
「今は冬だから脈が潜って読めないんだ、春の土用になるまでは対症療法になってしまうが、しばらく我慢してくれ」
診察をこなすにつれ、頭の重さは次第に緩和されて来て、午前の診察が終了したら、当初の計画通りマンドレにんじんに取り掛かれるかもしれないと考えていると、エミリーが襖を少し開けて、「先生、中村さんが薬を取りに来られましたよ」という声がかかった。
「おう。じゃあ先に呼ぶか」
ジャックは立って自ら引き戸を開けると、混んでいる待合の後ろの方に、中村の父親の顔を認めた。
手前に座っていた次順の老男に、「木村さん。薬渡すだけだからちょっと待っててな」と声をかけてから、父親を招き入れた。
「先生、昨夜はお世話様でした」
「どうだ、息子の具合は。熱は下がったか」
確信はありながら尋ねる形を取ると、彼は「ええ、大分下がりました。ありがとうございました」と深々と頭を下げた。
症状の経過が予期した通りであるなら、用意した薬の処方で誤りはないと、ジャックは、準備していた薬袋を父親に渡した。
中には最初に飲ませたものの次の段階、つまり汗を掻くようになった段階の薬を3回分、昼と夜、念のため翌朝の分として入れてあった。
聞くと息子は、朝食は食欲旺盛にいつもの量を平らげたというので、薬は不用だとも思われたが、まだ熱が下がり切っていないのは事実だし、薬を出さないと若夫婦は不安がるだろうと、昨夜の中村妻の態度を思い出しながら、改めて飲み方やタイミングについて教示をする。
「熱が下がれば明日の朝は飲ませなくても良いが、その分は処分するように。取っておいて熱が出た時にちょっと、と飲んでしまっては危ないぞ」
症が合わないと治らないどころか逆に苦しくなったり、悪化したりする。
具合が悪いとは抵抗力が弱っているとほぼ同義であり、そんなところに合わない薬が入れば大事に至ることもある。
ジャックはその都度しつこく教示しているのだが、たまに本人又は家族がひょいと余剰分を飲んでしまい、悶絶する勢いで駆け込んで来るという事態は起こった。
中村の父親は神妙そうに頷いてから、帰り際に「妻が、先生にくれぐれもよろしくと申しておりました」と言い置いていった。
薬を取りに来たのが夫だったことも含め、これは、親身ではないと余程不服だったのだろうな、とジャックは笑って、声を張り上げて次の木村を呼んだ。




