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第2章(2)ジャック、急患を往診する ③

「ありがとうございます、あの、息子は……リアムは大丈夫でしょうか」

「心配しなくていい、汗を掻いているから直に熱が下がって来る。万に一つもないと思うが、急変したら呼びに来なさい」


母親から、薬を飲ませただけで帰るのかという、医師への微かな懐疑を嗅ぎ取って、ジャックは羽織に袖を通しながら言い添えた。

もちろん危篤だったり急性増悪の予想がされるのであれば、落ち着くまで留まるのだが、リアムの場合は、既に薬が効き始めており、汗を拭き水分を取らせれば十分であり、両親の看護だけで足りるというのがジャックの見立てだった。

着替えを出して来た父親の方は、お帰りだそうよ、と妻に告げられると、「こんな夜に来て下さって本当にありがとうございました」と床に額づいた。


「お送りします」

「いや良い良い、息子を看ていなさい」

「いえ、お一人でお返しするわけには。途中まではぜひともお送りします」


病人がいる家で、容体に気を揉んでいる相手に押し問答を長引かせるのは思いやりがないので、ジャックは折れて送迎を受けることにした。


「夜道、くれぐれもお気を付けて」


母親は、現れた時と同じ光を切り取り、しかし輪郭に少しだけ色彩を持って、ジャックを見送りに出たが、2人が家から離れると早々に戸を閉ざした。

患者とその家族の態度に種々あることは既知であり、還暦の医師を動揺させることはなかった。

冷気は体に障るからな、と感想を抱く程度であって、思わず日和見してしまうような、穴のある診断はしていないという自信がそうさせていた。

もっとも、この夫婦は双方の両親とも同居しておらず、子育ての知恵をすぐに借りられない不利はあるだろうと思案して、行きよりも格段に歩く速さが落ちているのを利用して、ジャックは父親に話しかけた。


「子供の高熱は初めてだったか」


前を行く彼は不意を突かれたのか、ええ、と少し声を裏返らせてから、「普段は有り余るほど元気な子で、熱とは無縁でしたので」と答えた。


「だからだろうな、元気と底力があるからこそ、体が激しく戦って高熱が出るんだ」

「そういう、ものですか」

「ああ。年寄りは風邪を引いても熱が出ないことがある、熱を出せる体力がないからだ。リアム君は丈夫な子だよ、安心していい」


ジャックのお墨付きに、父親は腑に落ちかけているが未だ、という声音で、そうであれば幸いです、と頭を掻いた。

結局、彼は医院の門前まで付いて来て、ジャックが明日の薬を重ねて約束すると、何度も頭を下げながら足早に引き返して行った。

ジャックが玄関を開け、草履を脱ごうと上がり框に腰掛けると、疲労感が少なからず覆い被さって来るようで、知らず溜め息が零れた。

寄る年波には勝てないと思いたくないのはただの意地で、ジャックの意志に関わらず無理は利かなくなっている。

昔は徹夜で処置をしても翌日には響かなかったが、恐らく明朝はすっきり起きられず、いつも通りきびきび働くというわけにも行かないという予想が容易に付いた。

もっとも、医師は何歳になっても医師であり、体には堪えても夜間の往診は職責であって億劫に感じることなどなく、無理が利く間は力を尽くす所存だった。

しかし片付けるのは面倒なので、玄関で羽織を脱いでその場に落とすと、いつもの手筈で隅に寄せてある乱れ箱に手を差し入れる。

今夜のような場合は、エミリーは起きているには及ばず、ただジャックがすぐ寝られるように、着替えの用意を玄関に準備しておくと申し合わせていたのだった。

妻は5歳年下だが、夜更かしがきついのはジャックと変わらないからであった。

着替えと言っても、先刻まで着ていた寝間着だが、とジャックは手早くそれに着替え、代わりに今着ていた衣と、御座なりに畳んだ羽織を入れ、その上に東袋を乗せて、寝所へと向かった。

襖を静かに引いたつもりだったが、エミリーから寝ぼけた声で、どうだったのという問いが立ち上がった。


「初期の風邪だった」


簡潔に答えると、妻は布団の衣擦れの中で、ああだかそうだか不明瞭な呟きを返した。

ジャックも布団に潜り込み、一刻も早く眠りに落ちなければならないと、今度はひたりと瞼を閉じる。

マンドレにんじんを調べる段取りを組み直す必要についてふと気が付いたが、再度思考を巡らせては明日は全く仕事にならなくなってしまう。

ジャックには珍しく、後回し、後回しと子守歌のように唱えて意識を閉じるように奮闘した。



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