灼熱の坑道《後編》
土煙が晴れていく坑道の中で、鈍く赤光を放つ黒鉄兵が再びその巨体を持ち上げた。
俺は油断なく視線を細め、巨体から立ち昇るマナの流動と自身の経験を照らし合わせ、改めて眼前の鉄塊の能力を数値として弾き出す。
【黒鉄兵:レベル60】
【筋力 :242】
【耐久 :281】
【敏捷 :108】
【技量 :85】
【魔力 :273】
【精神 :100】
「耐久値自体は、並のゴーレムと大差ない……。無傷の理由は、やはり『吸魔の赫鉱』か」
幾ら耐久に優れたゴーレム種と言っても、あの至近距離での爆発を受けてダメージが無いのはありえない。恐らく、火薬の爆発すら『衝撃』として処理したのだろう。
「……デタラメな奴め」
並の冒険者であれば、攻撃の尽くを無効化され、戦意を喪失していただろう。実際、俺の背後にいるナギの息遣いが、極度の緊張と恐怖で浅くなっているのが分かる。
「ねぇ、どうするの……!? 今ならまだ、逃げられるわよっ!」
万策尽きたと思い込み、及び腰になるナギとは対照的に、俺の思考は極めて冷静に次の段階へと移行していた。
――基本の立ち回りの破綻。そして、物理と化学を用いた複合罠の不発。
しかし、相手が「衝撃と魔力を熱に変換する」という性質は、あの発破の吸収と異常なマナの膨張によって完全に実証された。
「……慌てるな。基本が通じず、仕込みの弾も尽きたなら、新たな理を用いるだけだ。戦術を変更するぞ」
俺は迫り来る熱波から目を逸らさず、背後のナギへ向けて低く、よく通る声で指示を飛ばした。
「変更って……どうするの? 剣は使えない、魔法は吸収される、発破でも駄目だったじゃない!」
「だからこそ、逆に『熱』を極限まで利用する。……全ての魔力を一撃に込めて、火魔法を奴にぶち込め」
「そんな事したら、もっと大変な事になるじゃない!?」
混乱するナギだが、悠長な説明を敵が待ってくれる道理はない。俺は短く、明確な役割だけを伝える。
『グガァァァァッ!』
続けざまの攻撃で、俺たちの存在を完全に排除すべき敵と認識した黒鉄兵が、地響きを立てて突進してくる。
「説明している時間はない。俺を信じて撃て!」
「……ああ、もう、分かったわよ!」
ナギが杖を両手で構え、全身から莫大なマナを立ち昇らせる。
雪山での死闘を経て成長した彼女の魔力は、以前とは比較にならない程の熱量を伴って練り上げられていく。杖の先端に収束する極彩色の炎は、坑道の空気を陽炎のように歪ませるほどの暴虐なエネルギーを孕んでいた。
一方、俺は迫りくる圧倒的な質量を前にして、敢えて回避の姿勢を取らなかった。
胸当ての魔導結晶に意識を向け、一気にマナを流し込む。すると瞬時に回路が活性化し、ドナンが鍛え上げたミスリルの防具の表面に、高密度の不可視の防護膜が展開された。
――ガァァンッ!!
黒鉄兵の丸太のような腕が振り下ろされる。
俺はそれを躱さず、両腕を交差させて正面から受け止めた。防護膜が圧倒的な物理の威力を削ぎ落とし、幻影鹿の革が衝撃を波紋のように完全に分散させる。俺の足元の岩盤が砕け散るが、防具の絶対的な守りによって、黒鉄兵の巨体はその場に完全に縫い留められた。
「今だ、撃てッ!」
「いくわよ……『紅蓮の爆砲』ッ!!」
俺が巨体の足を完全に止めたその瞬間。
ナギの杖の先端から、極限まで圧縮された高熱の火球が放たれた。
それは一直線に飛び、俺が押さえ込んでいる黒鉄兵の胸部――火炎鉱石の赤い光が最も強く漏れ出ている箇所へ正確に直撃する。
――ドゴォォォォォンッ!!
凄まじい爆炎が坑道を照らし出し、灼熱の業火が黒鉄兵の巨体を包み込んだ。
直後、黒鉄兵のコアがナギの魔法を吸収し、さらなる熱へと変換しようとする。
度重なる規格外な熱量の供給に、分厚い鉄の装甲が限界まで熱を蓄えていき、巨大な装甲全体が極限まで赤く染まり上がる。そうしてそれは、まるで太陽そのもののように、煌々と熱を放ち始めた。
「……チッ」
物理衝撃は防げても、防護膜を透過してくる異常な『超高熱』までは防ぎきれない。俺は肌を焼くほどの熱波に顔を顰め、黒鉄兵を大きく突き放して後方へ跳躍した。
「よし。……ナギ、退避だ! 入り口に向かって走れ走れ!」
俺の指示に従い、ナギが通路を駆け抜ける。
俺もまた、極限まで熱せられ、もはや周囲の岩盤すらも溶かし始めている黒鉄兵の突進を躱しながら、その後に続いた。
そうして辿り着いたのは、フレアリザード三匹を始末した広めのエリア。
そこへ駆け込んだ瞬間、ナギが「えっ……!?」と驚きの声を上げた。
異常な地熱と硫黄の臭いが立ち込めていたはずのその空間は、今は全く別の様相を呈していた。
壁という壁は分厚い霜に覆われ、地面は完全に凍りついている。吐く息は白く染まり、肌を刺すような極寒の冷気が満ちていた。
ナギに罠の設置を任せていた間、俺が『氷の魔剣』の無尽蔵のマナを利用して、この空間全体を徹底的に冷やし切っておいたのだ。
『ガガォォォォォッ!!』
直後、赤熱した黒鉄兵が、地響きと共にその極寒の空間へと踏み込んでくる。
その瞬間だった。
数千度にまで達したであろう黒鉄兵の熱と、空間を満たす絶対零度に近い冷気が激突する。
ジュゥゥゥゥッという鼓膜を破るような凄まじい音と共に、坑道内が真っ白な水蒸気の爆発に包まれた。
「今だッ!」
視界を奪う白い蒸気の中を、俺は地を這うような低い姿勢で一気に駆け抜けた。
狙うはただ一点。極限まで熱せられ、赤く発光している黒鉄兵の胸部装甲。
俺は『氷の魔剣』の刃を、空間の温度差によって既に悲鳴を上げ始めている装甲へと押し当てた。
既に限界近くまでマナと熱を蓄えている装甲へ向け、俺は魔剣の封印を解き、さらに俺自身のマナをも直接流し込んでいく。
「喰え。吐き出せないほどのマナをな」
凄まじい密度の魔力が注ぎ込まれ、黒鉄兵のコアが異常な点滅を始める。やがて、吸収の限界を超過したコアからバチバチと火花が散り、マナを熱へと変換する機能が完全に麻痺した。
厄介な性質を殺したこの瞬間、俺は魔剣を通じて奴の装甲へ、馴染ませるのに時間を要する俺の術式を流し込む。
『耐久付与』
付与術式が黒鉄兵の装甲へと浸透していくのを感じながら、俺は機能不全に陥った鉄塊へ向け、魔剣の刀身から溢れ出る絶対零度の冷気を一気に解放した。
「……砕けろ」
赤熱した鉄の装甲が、極寒の冷気によって急激に冷やされていく。
超高温から、絶対零度の超低温への急激な変化。
――『熱応力』。
いかに強固な魔法金属であろうと、この極端な物理法則から逃れることはできない。
加えて、先ほど落とし穴の底で浴びせた『錬金強酸』は、蒸発する間際に装甲の表面へ目に見えない微細な腐食を生じさせていた。
極限の膨張から一転して極限の収縮を強いられた鉄塊は、その微細なヒビを起点として、断末魔のような金属音を上げた。
――ピキィィィィンッ……ガガガガガガッ!!!
内側から弾け飛ぶような轟音。
巨大な黒鉄兵の胸部装甲が限界を超えた金属疲労を起こし、無数の破片となって爆散した。
『ガ……ギィィィ……』
分厚い装甲を失い、赤く脈打つ心臓部――『吸魔の赫鉱』で構成されたコアが完全に剥き出しになる。
急激な装甲の崩壊に、魔力による姿勢制御が追いつかないのか、巨体の動きが完全に停止した。
「……終わりだ」
俺が先ほど流し込んでおいた『耐久付与』の術式が、剥き出しになったコアにまで完全に馴染み、奴の持つ本来の硬度を限界を超えて強制的に底上げしていく。
俺が奴の力を喰らうための、最後の、そして最も重要な手順。
一瞬、コアが異常な輝きを放ち、黒鉄兵の残骸がより強固な密度を持った瞬間。
俺は躊躇うことなく、その輝くコアの中心へと魔剣を深々と突き込んだ。
――パァァァンッ!!
ガラス細工が砕けるような、澄んだ音が坑道に響き渡る。
中枢を破壊された黒鉄兵は、莫大な質量の鉄くずとなって音を立てて崩れ落ちた。
直後。
……ドクンッ、と。
心臓が大きく跳ねた。
破壊したコアから、目に見えない『何か』が、俺の腕を伝って全身へと流れ込んでくる。
氷の巨人から奪った時とも違う。重く、硬く、確かな密度を持ったかのような奔流。
俺の脆かった身体の内側が、分厚い黒鉄の壁で補強され、全身の骨格そのものが鋼へと書き換えられていくような強烈な感覚。筋肉繊維の一本一本に強靭な張力が宿り、衝撃を逃がすための強固な器へと変貌していく。
「……ふぅ」
全身に浸透していくその力を確かめながら、俺はゆっくりと息を吐き、魔剣を鞘へと収めた。
【カイン:レベル41】
【筋力 :370】
【耐久 :365】(+220)
【敏捷 :151】
【技量 :188】
【魔力 :218】
【精神 :172】
一気に跳ね上がった耐久値。
俺の最大の弱点であった器の脆さ。それが、並の鋼鉄を凌駕する水準へと引き上げられたことになる。
氷の巨人から奪った破格の『筋力』を十全に振るうための、絶対的な土台。その完成に、俺は確かな充足感を覚えていた。
「……終わった、のよね?」
白い蒸気が晴れていく中、恐る恐る近づいてきたナギが、足元に散らばる巨大な鉄の残骸を見下ろして呟いた。
「ああ。見事な火力だった。お前の魔法で極限まで熱膨張させなければ、あの装甲を砕くのには届かなかっただろう」
俺が素直に労いの言葉をかけると、ナギは少し驚いた表情を見せる。
「な、なんか最近妙に褒めるわね……調子狂っちゃうわ。……そ、それにしても、まさか、相手が熱を吸収するのを利用して、そこから一気に冷却するなんてね! 私が罠を張っている間にいなくなってたのって、これのためだったのね!」
「ああ。この空間を徹底的に冷やしておくための仕込みだ」
「なるほどね……。でも、罠の方は結局全部無駄になっちゃったわね。あんなに念入りに準備したのに」
からかうような、何かを誤魔化すような彼女の言葉に、俺は残骸を一瞥し、そして静かに答えた。
「前にも言ったはずだぞ、備えなど幾らあってもいいとな。それに、一つも無駄にはなっていない」
「え? 強酸は一瞬で蒸発したし、発破樽も少し表面を焦がしただけじゃない」
「あの強酸が蒸発する直前に作った『微細な腐食』。そして、あの巨大な発破による『事前の熱供給』。……それら全ての蓄積がなければ、熱応力による装甲の崩壊は中枢まで届かなかった可能性がある。無駄な手札など一つもない」
俺の言葉に、ナギは目を丸くした後、くすりと笑みをこぼした。
「……はいはい。ご主人様のおっしゃる通りです」
呆れたような台詞を口にしながらも、彼女の表情には、俺のやり方に対する確かな理解と、全幅の信頼が入り混じっていた。
「さぁ、仕上げだ。コイツの残骸の中から、使えそうな素材を拾い集める」
「……結局、最後は力仕事なのね」
文句を言いながらも、ナギは大人しく残骸の漁りを始める。
俺の『器』を完成させるための強固なピースが、確かな重みを持ってこの身に収まった。
心地よい疲労と、身体に漲る圧倒的な質量感を感じながら、結局ゴーレムを構成していた粗方の部品を集めた俺たちは、凍てつく冷気と硫黄の匂いが混ざり合う旧第三採掘場を後にするのだった。
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