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付与術喰らいの付与術師〜絶望の先、至高の収穫  作者: かおもじ


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生まれたての深淵

 上空を吹き荒れる猛吹雪の轟音すら届かない、深く暗いクレバスの底。

 ここでは風の音一つしない完璧な無音の世界が広がっている。


 ともすれば安らかな場所にも感じられそうな静寂だが、骨の髄まで凍りつくような異様な冷気が、この場所が命を拒絶する『死の世界』であることを明確に主張していた。


 だが、どのような場所でも夜は明ける。氷壁を幾重にも反射して降り注ぐ薄ぼんやりとした青白い光が、朝の訪れを告げていた。


「それで三本目ね。……本当に飲むの?」


「……あぁ。山を下りるためには必要なことだ」


 朝食を取り終え、マジックバッグから三本目のポーションを取り出した俺に向かって、ナギは少しだけ心配そうな視線を向ける。


「……却って動けなくなりました、なんてことにならないでよね」


 傍らで呟くナギをよそに、俺は中級ポーションの瓶を手に取ると、両手を使ってしっかりとコルクを引き抜いた。指先や腕に走る鈍痛は完全には消えていないが、両腕が使えるという事実こそが、復調の兆しそのものでもある。

 その昨日からの前進を更に進めるため、俺は躊躇うことなくポーションを胃の腑へと流し込んだ。


「……っ!」


 直後、焼け付くような熱が全身を駆け巡る。

 連続使用による強烈な副作用か、内臓を掻き回されるような激しい吐き気と、視界がぐらつくような眩暈に襲われた。だが、奥歯を噛み締め、小さく息を吐き出して強引に耐え抜く。


「ちょっと……!」


 ナギが心配そうに手を伸ばすが、俺はそれを片手で制する。やがて熱が引いていくにつれ、癒着しつつあった骨と筋繊維が急速に繋ぎ合わさっていくのを感じた。明らかに、昨日よりも『回復している』という実感がある。


 やはり死にかけの状態で飲むのと、ある程度回復した状態で飲むのとでは、身体への影響の仕方にも違いが出るようだ。


「……大丈夫?」


「……全快時の七、八割といった所だな。最低限、戦闘には耐えうるだろう」


「それもそうだけど、連続使用の副作用よ」


「問題ない……とは言わないが、許容範囲だろう」


 俺は短く息を吐き、痛みが和らいだ身体をゆっくりと起こして立ち上がった。これで、生存のための休息は終わりだ。


「さて……片付けを終えたら結界を解くぞ。出発の準備だ」


 俺たちは手早く毛布を畳み、野営具をマジックバッグへと収納していく。次いで極寒の渓谷を踏破するための外套を羽織り、最後に生命線となる魔道具……『不知の歩靴』と『焔脈の指輪』をしっかりと装着する。


 すべての準備を終えた俺は天幕の機能を停止させ、元の球体に戻った魔道具を回収してマジックバッグへと放り込んだ。

 途端、それまで遮断されていたクレバスの底の、暴力的なまでの冷気が一気に押し寄せて肌を刺す。思わず息が白く凍りつき、隣のナギが小さく身震いをした。


「うっ、気温差で尚更寒く感じるわね。……それで、出発するのはいいけど、アイツはどうするのよ」


 身体を震わせるナギの視線の先には、すぐ近くに横たわる『氷の巨人フロスト・ジャイアント』の山のような死骸がある。


「当然、使える素材だけ回収する。すべてを持ち帰ることは物理的に不可能だからな」


 巨骸をジッと見つめ、持ち帰るべき部位の目星を付ける。

 頭部の単眼はトドメを刺した際に完全に潰れており、素材としての価値はない。だが、あの巨体を支えていた強靭な腱や、魔力の触媒になりそうな一部の内臓、そして硬質な骨は十分に持ち帰る価値がある。肉を運ぶ余裕はないが、それ以外はバッグの容量が許す限り回収するべきだ。


 俺は巨骸に近づき、核のある胸部へと手をかけた。

 ――ゴキリ、と。

 凄まじい音を立てて、凍りついた巨人の胸壁が呆気ないほど簡単に砕け散る。

 死んで凍化が始まっているとはいえ、硬さそのものが大きく変わったわけではない。昨日は自身の筋力に付与術を掛け、その上で武器を使って初めて傷を付けられた、巨人の圧倒的な肉体だ。

 それを造作もなく砕いた事実に、俺は己の器に宿った常軌を逸した力へ、静かな戦慄を覚えていた。

 だが、それを表情に出すことなく、胸の奥から核となる巨大で純度の高い魔石を抉り出す。


 さらに、装甲の継ぎ目にあった特異な冷気を放つ氷殻の一部を指差した。


「ナギ、その氷殻を剥がせ。今のお前なら、多少の力仕事はこなせるはずだ」


「……え? 私があの硬いのを?」


 ナギは怪訝そうな顔をしながらも、おそるおそる巨人の胸部に残る重厚な氷殻へと両手をかけた。

 ぐっと足を踏ん張り、彼女が力を込める。


「んっ……んん……!」


 メリ、メリメリッ……!


 一瞬で、とはいかないが、顔を僅かに上気させながら懸命に引けば、岩盤のような氷殻が、かつての非力な彼女からは考えられない力で引き剥がされていく。ナギは剥ぎ取った巨大な氷の塊を抱えたまま、驚きに自身の両手を何度も見つめ直していた。


「取れた……!」


「……これからは力仕事もこなせるな。戦術の幅が広がったぞ」


「貴方、魔術師に何させるつもりよ……。全く、本当に人使いの荒いご主人様だこと」


 そんな小言を言いつつも、その後も精力的に手伝うナギ。おかげで死体の解体と素材の回収は予想以上にスムーズに終わった。


 マジックバッグの容量を計算しながら素材を収納し終え、俺たちはようやく無風のクレバスの底を歩き始める。


 ――だが、ほどなくして異常に気が付く。一歩進むごとに、周囲を満たすマナの密度が目に見えて濃くなっているのだ。


「……ねぇ。なんか、急に空気が重くなってない?」


「あぁ。ただの寒さではない。肌を刺すような、奇妙な大気の揺らぎだ」


「これって、このまま進んで平気なの……?」


「……分からん」


 この『嘆きの氷谷』は、地底を流れるマナが滞留しやすい場所――いわば巨大なマナ溜まりだったのだろう。

 だが、今そのバランスは、明らかに崩れている。


 ……恐らく、キッカケは昨日の戦闘だ。


 俺と巨人が限界を超えてマナを放出した結果、この空間の環境的なマナの均衡が決定的に崩壊したのだ。


 歩きながらそんな事に思考を割いていると、不意に、前方の空間が濡れた布を絞るように、生々しくねじれた。


「――ッ、ご主人様!」


 後ろを歩いていたナギが、短く息を呑んで杖を構える。


 ミシ、ミシミシッ、と空間そのものが悲鳴を上げるような不気味な軋み音が響く。

 大気が生き物のようによじれ、世界の皮膜がベリリと剥がれるように反転していく。ゴゥ、と低い地鳴りと共に、岩肌と氷壁の一部がまるで別の世界に侵食されるようにして、禍々しい横穴へと変容していった。


「……ねぇ、まさかこれって……」


「あぁ……『迷宮』だ」


 ――『迷宮ダンジョン』。


 先人たちの長きにわたる研究の結果によると、コレは星の自衛機構だということらしい。


 何らかの理由で地底の魔力循環が滞り、許容を超えて溜まりすぎた際、その暴発を防ぐために星が備えている防衛機能。過剰なマナを具現化という形で放出する過程で、副次的に周囲の環境を取り込んで構築される特殊空間――それが『迷宮』だ。


 なぜ、戦闘直後ではなく、今この瞬間に生まれたのか。その正確な理由は分からないが……。

 目の前で口を開けた漆黒の穴からは、濃厚な、だがどこか未成熟なマナの気配を感じる。


「……進むぞ」


「正気なの? 生まれたばかりのダンジョンなんて、何が起きるか分からないわよ」


「ここで放置するほうが、何が起こるかわからん。下手をすれば、ダンジョンの成長に合わせて周囲の環境ごと俺たちも取り込まれる可能性がある」


「……折角巨人を喰ったのに、ダンジョンに喰われるのはゴメンね」


「あぁ……。それに、出来たてのダンジョンなら、まだ内部が未完成である可能性も高い。……進むなら今だ」


 俺は巨人との戦闘にも耐え抜いた愛用の長剣を引き抜き、躊躇わずにその闇へと足を踏み入れた。ナギもまた、小さく呆れたような溜息をつきながら、俺の背後をぴったりと追ってくる。



「――これは」


 予想は、当たっていた。


 迷宮と呼ぶには、あまりに単純な構造。

 階層らしい階層もなく、罠も、具現化された魔物の気配すらもない。ただ一本の短い通路が、奥へとまっすぐに伸びているだけだ。


「……ご主人様の読み通りだったわね」


 歩き始めて数分と経たずに、俺たちは最奥と思われる直径十メートルほどの円形の空間に辿り着いた。


 その中央。

 氷の床から数十センチほど浮遊するようにして、それは存在していた。


「……魔石、ではないわね」


 ナギが呟く。


 それは、魔物が体内に宿す結晶体とは根本から異なっていた。

 握り拳ほどの大きさの、半透明な蒼い光の塊。

 結晶としての輪郭を持たず、液体のように揺らめきながら、剥き出しのマナそのものが凝縮されたような、異様な圧を放っている。


 迷宮の核――『迷子の心臓(メイズ・コア)』。


 星が排出しきれなかったエネルギーの残滓。この極小の迷宮を維持するための起点である。

 俺は周囲を注意深く観察し、一切の罠がないことを確認する。


「……眺めていても、意味はないな」


 俺は数歩近づき、間合いを保ったまま、長剣の剣先をその蒼いコアへと静かに突き出した。

 用心のため、極めて微小な力で、触れるか触れないかの距離で突付く。


 ――瞬間、剣先が吸い込まれた。


「なっ……」


 引こうとしたが、遅い。


 コアは生き物のように長剣の刀身を侵食し、瞬く間にその光の中に、溶かすようにして吸い込んでいった。

 直後、コアが目も眩むほどの青白い光を放ち、迷宮の闇を狂おしく照らし出す。やがてその激しい輝きがすうっと収まった瞬間、迷子の心臓は完全に消滅し、愛剣がカシャンと冷たい床に転がった。


 俺は床に落ちた剣を、ゆっくりと拾い上げる。


 ……冷たい。鋼の冷たさとは違う、異質な冷気。


 そして、その姿もまた、完全に変容している。


 くすんだ銀色だった鋼の刀身は、今や内側から青白い光を放つ、透き通った氷の結晶へと生まれ変わっている。

 柄を握る腕に、凍てつくような冷気と、それ以上に、これまで感じたことのないほど強固なマナの伝導律が流れ込んでくる。


 鋼の長剣が、迷子の心臓を取り込んだことで、『氷の魔剣』へと変容したのだ。


「……嘘でしょ。いきなり武器そのものが変質したっていうの……?」


 背後でナギが、驚愕に声を震わせている。


 本来、魔力を帯びた武器や魔道具を作成するには、素材の選定から始まり、緻密な術式の刻印と魔力経路の構築という複雑極まるプロセスが不可欠だ。単なる無機物が、マナに触れただけで一瞬にしてこれほどの魔剣へと成り代わるなど、常識ではあり得ない。


 だが、俺は氷の結晶と化した刀身を見つめ、付与術師としての視座から、脳内で一つの仮説を高速で組み上げていた。


「なるほどな……。そういうことか」


 俺が確信に近い推論に行き着き、短く息を吐くと、ナギが怪訝そうな顔をした。


「ちょっと、一人で納得しないでよ。……何が分かったの?」


「ダンジョン産の魔道具が、なぜ存在するのか……という理由だ」


「理由って……昔の技術者が残したとか、そういうのじゃないの?」


「違う」


 俺は変容した魔剣を彼女の目の前で軽く一振りした。空気を切り裂く音と共に、周囲の空間が一瞬で凍りつき、白い霧となって霧散する。


「生態系に組み込まれていた動植物が、マナの影響を受けて存在定義を書き換えられ、魔物になる。それは知っているな?」


「ええ、常識よ」


「ならば、無機物も同じだ。通常、付与術をはじめとする魔術は、マナを通して世界に一時的な改変を強いているに過ぎない。……だが、このダンジョンという星の自衛システムが作り出す超高濃度マナ環境は別だ。ここに長期間放置された無機物は、逃げ場のないマナの圧力によって、その物質としての『定義』そのものを永続的に上書きし、変異させる」


 かつて迷宮で死んだ冒険者の剣。

 落とされた何の変哲もない革袋。

 ただの鉱石。


「俺が持っている、空間拡張と時間停止の術式が同居したマジックバッグ。あんな代物、現代の技術で人工的に作れるはずがない。……だが、もしあれが、元々はただの鞄であり、特定の階層の異常なマナに数十年、あるいは数百年晒され続けた結果、物質の定義そのものが『変質』したものだとしたら、すべての辻褄が合う」


 ダンジョンは、過去の遺物を保管する宝物庫などではない。

 高濃度のマナを用いて、有機物も無機物もすべてを変異させる、星の巨大な錬金釜だったのだ。


 俺の言葉に、ナギはごくりと唾を飲み込んだ。


「……つまり、ダンジョンのお宝は、誰かが作ったわけじゃない。この環境そのものが作っていたってことね……」


「ああ。そして俺は今、コアのエネルギーを刀身に吸わせることで、結果的に『変容の瞬間』を意図的に引き起こしたわけだ」


 この気づきは、世界を動かす理の根幹に関わるものだ。

 ダンジョンのマナの性質さえ分析し、意図的に術式を介在させれば、狙った通りの性能を持つ魔道具を『養殖』することすら可能になるかもしれない。


「……悪くない収穫だ」


 新たな武器と、新たな知識。ここで得たものは限りなく大きい。


 俺は変容し形の変わった魔剣を、無理矢理と鞘に納め、再び歩き出す。


 すると、迷子の心臓を失ったことで、生まれたばかりのダンジョンは、その歪な輪郭を徐々に失い、ただの氷の空洞へと戻り始めた。


「空間が不安定になっているな……急ぐぞ」


「ちょっと待ってよ!」


 来た道を一直線に駆け抜け、どうにか入り口を抜ける。

 渓谷の底へと飛び出した直後――背後で空気が吸い込まれるような鋭い音が鳴った。


 振り返ると、そこにあったはずの禍々しい横穴は跡形もなく消え去り、ただの分厚い氷壁へと戻っている。


「……っ、あっぶな……。もう少し遅かったら、氷壁の中に生き埋めだったじゃない……!」


 ナギが膝に手をつき、青ざめた顔で荒い息を吐き出しながら肩を上下させている。その額には、極寒の中だというのに冷や汗が浮かんでいた。


「……下手をすれば迷宮ごと異空間送りだからな。氷壁に埋もれるなら運が良い方だ」


「それ、気休めにもなってないわよ……」


 悪態をつくナギを気にせずに、俺は視線を進路へと向ける。


「……行くぞ」


 世界の真理の片鱗を掴み取った俺たちは、消えた迷宮の残滓を背に、再び渓谷の奥深くへと歩みを進めるのだった。


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