間抜けの行き先
猛吹雪が吹き荒れる中、俺たちは氷晶の魔像から奪い取った安全圏に、『隔絶の天幕』を設置する準備を始めた。
球体状の魔道具に魔石を一つ嵌め込み雪の上に置くと、途端に魔道具は自律的に作動する。球体から蜘蛛のように金属製の足が顔を覗かせると、地面の雪と岩盤を強固に噛み込んで固定される。そうして骨組みが完成した次の瞬間、結界の効果を持った天幕が一気に展開された。
「――あの偏屈が最高傑作というだけの事はあるな」
天幕の外も一定範囲は結界の内部なのだろう。外部の冷気は完全に遮断され、暴風雪の轟音すらも、遠くくぐもった音へと変わった。
「……はぁぁ……助かった……」
俺が言い終えるのと同時に、ナギが天幕の中へ転がり込む。そうして、そのまま『不知の歩靴』を脱ぎ捨てて身を横たえた。
魔道具で冷気の大半を防いではいたが、雪山特有の腐れ雪と厳しい斜面で極限の疲労を強いられた彼女の筋肉は強張り、指一本動かすのも厳しいといった様相だ。だが、外から駆け込んだままの状態では居られない。
「外套を脱いで干せ。というか、服も全てだ。身体を濡らしたままだと体力を消耗する」
そう言うと俺は、マジックバッグの中から自分とナギの着替えとタオルを取り出した。
「全部脱げって……ここで?」
「他に場所があるのか? ……まさか、ベッドに誘う奴が裸を見られるのは恥ずかしい等と言うつもりじゃないだろうな」
「ソレとコレとは別でしょう……。デリカシー無いわね」
そんなナギの小言を無視し、俺は自らの着替えを行う。幸い、天幕の中はコアを動かす魔石のエネルギーを排熱という形で消費しているためか、仄かに暖かい。恐らくは、それすらも織り込み済みの設計なのだろう。大したものだ。
ゼフの仕事振りに感心しながら、着替えを終えた俺は再びマジックバッグに手を伸ばす。そして、マジックバッグから小鍋を取り出した。
「食え。身体の中から温めろ」
文句を言いながらも着替えを終えたナギが手渡した鍋を受け取る。市場で買い込んでおいた、熱々の肉の煮込み料理だ。マジックバッグの恩恵で、豊かな湯気を立てている。
「……ええ、いただくわ」
ナギは無言で小鍋を受け取り、スプーンで煮込みを口に運ぶ。
結界によって保たれた室温と、温かい食事が胃に落ちることで、彼女の瞳に少しずつ生気が戻っていくのが分かった。その姿を見届け、俺も食事に手を付け始める。
「……ふぅ。ごちそうさま」
空になった鍋を置き、ナギは自身の荷物から『中級ポーション』の小瓶を取り出した。
だが、その指先は栓を抜く前で躊躇うように止まっている。貴重な切り札を、単なる疲労回復に切るべきか迷っているのだろう。
「……疲労で判断が鈍っているようだな」
俺は無言で手を伸ばし、ナギが握っていたポーションを取り上げた。
「あっ……」
「いざという時のための限られた命綱を、単なる疲労回復に浪費してどうする」
「……分かってるわよ。でも、明日のために少しでも回復しておきたくて……。ただでさえ元の体力が全然足りないんだから、万全にしておかないと、足手まといになるでしょ……」
「随分と殊勝な事だ。……昼間大言を吐いていた奴と同一人物とは思えんな」
「だってそれは……! ううん、甘く見てたのは事実ね……反省してるわ」
ナギは反論しきれず、自身の体力不足という不甲斐なさを噛み殺すように視線を落とした。
「……そういえば、お前は山脈については全く知らない様子だったな。この国にはどうやって来たんだ?」
俺は空になった容器をマジックバッグに収納し、代わりに地図と氷晶の魔像が落としたマナ結晶を取り出しながら、ふと思い出したように問いかけた。
「……今更そんなこと聞くの?」
ナギは意外そうな顔をしたが、天幕の仄暗い灯りを見つめながら、ぽつりぽつりと話し始めた。
「東よ。陸地伝いに馬車に揺られて、リンドールに来たわ。……表向きは普通の冒険者。でも裏じゃ、ザックと二人で単独行動してる冒険者を間引いて身ぐるみを剥ぐ、野盗まがいのことをしてた」
かつての相棒の名を口にした彼女だが、その瞳に感慨の色は見えなかった。
いざとなれば自分を平気で見捨てて保身に走るような男だったザックに、最早未練は無いのだろう。
「で、この国に来て最初の『仕事』で、マヌケにもご主人様に手を出した。……それがあの結末よ」
「見かけだけで相手の実力を判断した結果だな。……お前たちの自業自得だ」
「ええ、そうね! はぁ……だから今はこうして、ご主人様の道具として大人しく使われて、こんな雪山くんだりまで来てやってるんじゃない」
ナギは溜息を付きながら自嘲気味に言うと、仄暗い灯り越しに真っ直ぐこちらを見つめてきた。
「それに……ご主人様のその底知れない力が、この先どこまで到達するのか。純粋に興味があるのよ。相手の能力を奪って自分のものにするなんていうデタラメな力で、この理不尽な世界をどうやって喰らい尽くしていくのか、一番近くで見届けてやるのも悪くないってね」
「……奇特な奴だ」
俺が短く返すと、ナギは少しだけ表情を緩め、視線を俺の腰元へと向けた。
「そういえば……さっきから見てるその石、今日倒した魔物の核よね。何に使うの?」
ナギの疑問に答える前に、俺は手元で遊ばせていたそれを、灯りに透かして見せた。青白く澄んだその透明度は、一目で高純度だと理解出来る代物だ。
「何ということも無い。ただの純度の確認だ」
俺は結晶をマジックバッグへ戻し、淡々と事実だけを告げる。
「そうじゃなくて、確認したソレを何処で使うのって話よ」
「何処でも何にでも使えるだろう。マナ結晶は言ってしまえば高純度の魔石だ。天幕の予備の動力源にも、魔法の触媒としても転用できる。……この先にいる『氷の巨人』との『切り札』にする事もだ」
「……相変わらず、抜け目がないわね」
呆れたような、それでいて安堵の混じった溜息。とはいえ納得はしたのか、それ以上の言及は聞かれない。
会話が終わったと判断した俺は、改めて明日のルートを確認するために地図を広げる。
ナギも大人しく横になるかと思いきや――彼女は何故かモゾモゾと身をよじり、ひどく言いづらそうにこちらを窺ってきた。
「……なんだ。まだ何かあるのか」
流石の俺もその意図が察せられず、怪訝な視線を向ける。
すると、ナギは顔を真っ赤にして、やけくそ気味に言い放った。
「トイレよ! 何処ですればいいのよ!」
「……そんな事か」
俺は呆れつつ、天幕の入り口を指差した。
「この天幕の結界は、外部も一定範囲までならマナが満ちて雪を遮断している。外へ出て、結界の範囲から出ないギリギリの所で済ませろ」
「す、すぐそこで……っ!? 他にどうにか……」
「嫌ならこの中で垂れ流してもいいが、自分で処理はしろ」
「〜〜〜ッ! 分かったわよ!」
自暴自棄気味に立ち上がったナギに対し、俺は淡々と忠告を加える。
「誤って結界から出たら、全て凍り付くぞ。気をつけろ」
「……っ! あんたって本当に、デリカシーの欠片もないわね!」
顔を真っ赤にして天幕の外へ飛び出していくナギを見送り、俺は再び地図へと視線を戻した。
天幕の結界を叩く猛吹雪の音は、夜が深まるにつれてさらに激しさを増していく。
数分後、なんとも言えない顔で戻ってきたナギは、無言で自身の寝床に潜り込み、毛布を頭まで被った。
やがて、丸くなった彼女の背中から、疲労の底に沈むような深い寝息が聞こえ始める。
明日はいよいよ、本命の標的が潜む『嘆きの氷谷』へと足を踏み入れる。
俺は魔物避けの『氷鳴の魔石』を一度打ち鳴らすと、そのまま静かに目を閉じた。
* * *
明朝。
俺は愛用している、時刻を知らせる魔道具の微かな震えで目を覚ます。吹雪で周囲の様子は分からないが、どうやら朝のようだ。
朝まで起きることも無く眠っていたとは、俺も意外と消耗していたらしい。だが、天幕の強固な守りと防音のお陰で、ゆっくりと休むことが出来た。
「……起きろ、ナギ。出発の準備だ」
「……ん……ええ、分かっているわ……」
ナギはまだ少し気怠げではあったが、それでも昨日よりは随分と顔色が良い。疲労困憊だった肉体も、確かな温もりと休息を得て、最低限のラインまでは回復しているようだった。
マジックバッグから取り出した温かいスープとパンで素早く腹ごしらえを済ませ、俺たちは装備を整える。
「天幕の結界を解除する。……一瞬で体温を持っていかれるぞ、気を引き締めろ」
「……ええ」
俺が天幕の魔石を外した瞬間。結界が消失し、グラシュティア山脈の暴力的なまでの冷気と暴風が、容赦なく俺たちの身体に襲いかかった。
「……ッ!」
ナギが小さく呻き、白銀熊の外套の襟元を強く握りしめる。
万年雪の領域の真の恐ろしさは、単純な寒さや風の強さだけではない。
「……魔道具へのマナの供給量を上げろ。最低限の出力では、いざ魔物と遭遇した時に身体が動かん」
「分かっ……てるわよ……ッ」
単に凍死を防ぐだけならば、指輪と靴には最低限のマナを流し続けておけばいい。
だが、ここはいつ何が襲い来るか分からない『死の世界』だ。常に十全な迎撃態勢を維持する必要がある。
「……はぁっ……、はぁっ……」
歩き始めてわずか一時間ほどで、ナギの息は既に昨日と同じか、それ以上に荒くなっていた。
足元の悪さによる体力の損耗に加え、マナを持続的に奪われ続ける苦痛。それが彼女の歩みをひどく重いものにしている。
一瞬で魔力が枯渇するような激しい消費ではないが、終わりの見えない深雪の行軍において、体力と同時に自身のマナが『徐々に、しかし確実に』削り取られていく感覚は、真綿で首を絞められるような底知れぬ焦燥感を煽ってくる。
「……足元に気をつけろ。雪の下に地面があるとは限らんぞ」
俺はナギの歩調に合わせながら、前方の深雪を剣の鞘や足で掻き分け、少しでも彼女が歩きやすいように「道」を作りながら進むという作業をこなす。
――だが、俺自身もまた、防具の熱源維持と魔道具にマナを供給し続けている。加えて、常に周囲の魔物の気配を探り、雪崩の兆候を警戒し、最適のルートを割り出すという並行思考。
「……はぁ」
無意識のうちに、俺の口から白く濁った呼気が漏れる。
多少の事では乱れぬ俺の呼吸だが、この万年雪の領域にあっては、確実に疲労の色を帯び始めていた。
一歩進むごとに、体力とマナが削り取られていく。
時間という概念すら凍りつくような白銀の地獄の中を、俺たちは焦燥感に急かされるように、一歩、また一歩と這うように進み続けた。
――そして、永遠にも思える過酷な行軍の果て。
猛烈だった吹雪が不意に弱まり、視界が開けた。
……ヒュゥゥゥ……ルルルゥゥ……
風の音が変わった。
前方の分厚い雪雲がわずかに切れ、その先に、両側を天を衝くような巨大な氷壁に挟まれた異様な谷が姿を現す。
吹き抜ける風が氷壁の無数の亀裂や空洞に反響し、まるで幾千の亡者たちが嘆き悲しんでいるような、不気味な音色を絶え間なく響かせている。
「……着いたか」
俺は小さく息を吐き出し、その禍々しい谷の入り口を見据えた。
限界を迎えつつあるナギもまた、荒い息をつきながら、その圧倒的な光景を前に言葉を失っている。
『嘆きの氷谷』。
俺たちが目指した、氷の巨人が潜む本命の狩り場が、静かに口を開けて待っていた。
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