孤独の証明
窓から差し込む眩しい陽光に、俺はゆっくりと目蓋を開く。
顔を照らす光の角度は、俺が眠りに落ちた昼過ぎのそれとは明確に違っている。すでに空高く昇り始めた太陽が放つ、確かな熱を帯びた遅い朝の光だ。
「朝か……」
昨日の眠りに着いたのは昼過ぎの筈だ……であれば、丸一日近くは意識を飛ばしていた計算になる。
「徹夜とはいえ、流石に、寝過ぎだな……」
冒険者という職業柄、徹夜は特段珍しい事ではない。いつもならこれほど深く眠りにつく事は無いのだが……或いは、新たに得た力に順応する為、身体が休息を求めていたのかもしれない。
ともあれ、考えても仕方がないと思い立ち、ベッドから這い出し簡単に身支度を済ませる。そうして重い身体を引きずりながら、階段を下りて一階の食堂へと向かう。
古い木造の階段は、下りる度に軋んだ音を響かせる。しかし、建物全体に古めいた印象を抱かせないのは、宿主の日頃の手入れが行き渡っている証拠だろう。床は磨かれ、窓ガラスにも曇りはない。過剰な装飾を省き、休息の質を担保した、実用性に特化した宿だ。
メイン通りからは外れた立地ということもあり、常に大繁盛というような盛況さはない。だが、実利を求める冒険者の客足が途切れることも無く、それなりに儲けは出ているらしい。
故に早朝は狩りに向かう冒険者たちで席が埋まる事もある食堂だが、今の時間はすでに朝のピークをとうに過ぎており、食堂の客足はすっかり落ち着いていた。
「流石に、ほとんど人はいないか」
「おや、カイン、漸くお目覚めかい。食事はどうする?」
独りごつ俺に気が付いたのか、洗いざらしの簡素なエプロンを締め、亜麻色の髪を後ろでキッチリと纏めた宿の奥さんから声をかけられた。細身で涼やかな顔立ちをしているが、立ち振る舞いに無駄がなく、よく通る声も相まってどこか腕利きの元冒険者を思わせる。
「そうだな……」
厨房の奥に目をやると、頭に手拭いを巻いた長身の旦那が、無数の古傷が刻まれた太い腕で鉈のような包丁を振るい、黙々と肉の塊を叩き切っていた。その横の大鍋からは、肉の脂と香辛料が焦げたような、胃袋を直接掴む濃厚な匂いが立ち上っている。
その立ち込める匂いから、今日のメインがブラウンシチューだという事はすぐに分かった。
鉈を振るう旦那と視線が合うと、彼は短く顎を引くだけで、すぐに視線を肉に戻した。愛想はないが、彼の作る料理の味は確かだ。
俺は奥さんへと向き直り、注文を告げた。
「ブラウンシチューを多めに頼む。それと、硬めのパンを三つだ。……ちなみに、今日の肉はなんだ?」
旦那は鉈を振り下ろす手を止めず、鍋の方へ短く顎をしゃくった。低い、地を這うような声が返ってくる。
「……大角猪のすね肉だ。そのままじゃ硬くて食えたもんじゃねぇが、三日三晩煮込んで香辛料で臭みを潰してある。残ったのは脂と旨味だけだ」
「……悪くない」
「はいよ。すぐ出すから、そこの空いてる席に座りな」
威勢のいい奥さんの声とともに、ほどなくして運ばれてきたのは、木皿に盛られた赤茶色の濃厚なブラウンシチューだ。
立ち上る湯気を割り、匙を動かす。香辛料が効いた塩気の強いシチューが喉を通り、胃に落ちるたび、内臓が芯から温まっていくのが分かった。
丸一日まともに食っていなかったこともあり、自分でも驚くほどの速度で匙が進む。硬いパンを千切ってはシチューの汁を吸わせ、トロトロに崩れたすね肉と共に次々と胃に流し込んでいった。
皿の底に残った脂までパンの最後の一切れで拭い取り、きれいに平らげる。
満腹には程遠いが、これからの予定を考えると、この程度に収めるのが最良だろう。
ある程度腹を満たし、二階の自室へ戻る。
革鎧のベルトを締め直し、昨日の戦いで脂の乗った剣の刃を、念入りに布で拭う。
指先に伝わる鋼の冷たさが、休息で緩んでいた意識を削ぎ落とし、戦いへと切り替えていく。
準備を整えて一階へ降り、宿を出る前に奥さんに声をかけた。
この宿に小洒落た品書きはないが、その日の仕入れに合わせて肉か魚か、幾つかの定食を選ぶくらいの融通は利く。
「夕方には戻る。もしギルドから使いが来たら、そう伝えておいてくれ。……ああ、それと夜もここで食う。昼は肉とパンだったから、米と魚にしてくれ」
「あいよ。夕飯の分、ちゃんと魚で取り置きしとくからね。気をつけて行きな」
ザックの件がある以上、いつ呼び出しの使者が来てもおかしくない。不在にして無用な行き違いが生じるのは避けるべきだ。
奥さんの威勢のいい返事を確認し、俺は宿を出て街の門へと向かった。
「おい、今日は優雅に女連れじゃないのか?」
門をくぐろうとしたところで、衛兵のジャンに声をかけられた。
どうやら昨日、ナギを連れて帰ってきた時のことを言っているらしい。
「アレがそう見えたんなら、治療院に行って目を治して貰え。頭の方なら手遅れだがな」
「っへ、相変わらず一言えば二で返す奴だな。今日も仕事か?」
「いや、昨日戻って、昼過ぎから今まで死んだように寝てたんでな。その辺で軽く身体を動かすだけだ」
「そうかい、近頃は物騒な冒険者狩りが出るらしいからな、用心しろよ。あぁ、そいつは昨日、何処かの誰かさんがついで仕事で捕まえたんだったか」
「全く……耳年増な上に、口が減らないのはどっちだか。まぁいい、行ってくる」
「ふっ、気ぃつけてな」
うしろ手に軽く手を上げてジャンと別れ、門を抜ける。
向かうのは、昨日までいた『静謐の古森』ではない。
門から歩いてすぐ、森というよりは林に近い、駆け出しの冒険者が訓練や薬草採取に使う程度の名もなき場所だ。
5分程で林に辿り着き、迷いなく奥に向かって歩を進める。陽光が木々の隙間から差し込み、柔らかな土の匂いが鼻をくすぐるのを感じる。
そのまま人目を避ける為、木々が密集する場所まで入り込んで行く。
「今の時期なら薬草も殆ど刈り尽くされているからな。この辺に来る奴は殆どいないだろう」
ここに来た目的はただ一つ。
昨日俺に起きたステータス上昇の『正体』と『発動条件』を確かめることだ。
昨日の戦闘、俺はザックに『筋力強化』を掛けていた。そして奴を殺した瞬間にその術式が逆流し、力が流れ込んでくるのを感じた。
だとすれば、あの現象は付与術師である俺が、自分の術式を介して対象の力を奪い取ったということになる。
敵に付与を掛けてから殺すなど、通常の冒険ではまずあり得ない無意味な行動だ。当然、俺もザック以外にそんな事をした覚えは無い。
「一度付与したエンチャントは、ある程度時間が経過するか、違うエンチャントで上書きしないと、掛けた本人でも消せないからな……」
ザック程度の腕前ならば問題無いと判断してそのまま斬り捨てたが、相手が相応の腕前なら適当なエンチャントで上書きしてから交戦していただろう。
「そういう意味では、運が良かったとも言えるな」
とはいえ、「付与を掛けた相手を殺す」ことだけが条件なのだとすれば、長い長い歴史の中、好奇心や探究心、或いは狂気からそれを試した付与術師が一人くらいいてもおかしくない筈だ。
にもかかわらず、そうした現象の記述はどの文献にも載っていなかった。
「なら、本当に誰も試したことがないか、秘中の秘として世に出ていないか、或いは……ただ付与を掛けて殺すだけでは、条件が足りないか、だ」
論ずるより産むが易しと、俺は手近な獲物を探すために五感を強化しながら練り歩く。ほどなくして草むらに潜んでいた『角兎』を見つけた。
レベルはせいぜい3といったところの、最弱クラスの魔物だ。
気付かれないよう距離を取り、周囲に他の冒険者や魔物の気配がないことを慎重に確認してから角兎に『筋力強化』の付与を繋ぐ。
ザックの首を切り落とした時と同様に意識を失う可能性も十分に考えられる。備えとして背を木に預け、全身を強張らせながら――強化された角兎を、投擲した短剣であっさりと仕留めた。
……何も起きない。
力の逆流も、ステータスの上昇も感じられない。
念のため、さらにもう二匹ほど別の角兎を見つけて同じ手順で仕留めてみたが、結果は変わらなかった。
「やはり、ただ殺すだけでは発動しないか」
ならば、ザックの時と何が違ったのか。
環境、季節、時間帯、相手の心理状態など、考えられる変数はいくらでもあるが……
「全て検証するのは非効率的過ぎる。可能性の大きそうなものから潰していくしかないか……」
静かな森の中で、俺は一つ息を吐いて思考を巡らせる。
「一番の違いと言えば、人か魔物という部分だが……野盗なんてそう都合良く転がってないしな。……他に大きな要素と言えば、単純に能力値の違いだな」
あの時のザックの素の筋力値は112。そこへ俺の強化バフを乗せたことで、奴の筋力値は俺の115を明確に上回っていた。
「となると、ここの魔物でこれ以上の検証は余り意味が無さそうだ。少なくとも……俺に近い強さを持った獲物が必要だ」
思考をまとめ、俺は浅い森での検証に見切りをつける。そして、頭の中でこの辺りの地図と魔物の生息域を思い浮かべる。
「この辺りなら……あそこだな」
目的地を定めた俺は、冒険者の強靭な脚力に物を言わせて一気に駆け出す。
地を蹴るたび、力強い推進力で身体が前へと押し出されていく。昨日ザックから奪い、大幅に底上げされた筋力が、一歩ごとの踏み込みを劇的に力強いものに変えていた。
自身の『筋力強化』を掛けて走っている時に近い速度だ。それをマナの消費もなしに、素の状態で叩き出せている。一見それは大きなメリットに感じられたが……。
「当然、負荷もデカいよな」
出力だけが上がっても、それを支える耐久が釣り合っているわけではない。素の状態で出せる速度だからといって、身体への負担が消えるわけではなかった。
強引な推進力に身体が振り回されそうになるのを感じ、俺はすぐさま自身に『耐久強化』の付与を掛けた。
追いついていない耐久力と心肺機能を魔法で底上げし、急激なステータスの変化に肉体を強制的に順応させる。全身を軋ませていた負荷が嘘のように消え去り、俺はさらに速度を上げて走り続けた。
木々を縫うように疾走しながら、ふと昔の記憶が脳裏をよぎる。
――そういえば、狩場を決めるのはいつも俺の役目だったな。
めんどくさがりなララは「なんでもい〜よ〜」と俺に丸投げで、主張の強くないミリィは「お任せします」と微笑むだけ。
極めつけは、一見真面目そうなライルが一番適当で、「カインが決めた狩場なら大丈夫!」などと笑って答える。
パーティの行き先を決める時は、いつもこんな感じだった。
全てを俺に委ねて、俺が選んだ道なら誰も疑いもしなかった。
――今、俺が進もうとしているこの道も、あいつらは大丈夫だと言ってくれるだろうか。
届くはずのない問い掛けと感傷を振り払うように、俺は一つ息を吐き、さらに力強く地を蹴った。
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