074 ちいさなぼくと町の評判
――ちいさなぼくと町の評判――
行商人は、閉じかけた帳簿をもう一度開いた。
次にこの町へ来たとき、どんな条件で相談を頼むべきか。本当に専属契約が必要なのか、まだ答えは出ていないらしい。
その様子を眺めているうちに、ふと思い出したことがあった。
「そういえば、おじさん」
「……まだ何かあるのか?」
「むこうのざっかやさん、まえにもきてたよね?」
通りの向かいにある雑貨屋を指差す。
「ああ、そういえば何度か来ていたな」
「このまえも、せっけんみてたよ!」
「石鹸を?」
「うん! ねこちゃんも!」
行商人が顔を上げた。
「あの主人、そんなに来ていたか?」
「ほかのおみせのひとも、きてたよ?」
思い返せば、最初から店の周りに人が集まっていたわけではなかった。
狼のあみぐるみを飾り始めたころは、通りすがりの人が足を止める程度だった。
ところが、店先であみぐるみを作るようになってから、少しずつ見覚えのある顔が増えていった。
何度も来てくれるお客さん。
友達を連れてきてくれる人。
そして、商品を買うわけでもないのに、店の様子を眺めている人。
最初は気にしていなかったけれど、何度も見かけるうちに、近くのお店で働いている人だと分かった。
スープを作った日にも、蜜蝋を使って木箱を綺麗にした日にも、見覚えのある人がいた。
香草石鹸を売り始めてからは、同じ人が一日に二度来たこともあった。
「……言われてみれば、確かにな」
行商人が通りを眺める。
「俺は買いに来る客ばかり気にしていたが、周りの店も様子を見に来ていたわけか」
「うん!」
「あれだけ人が集まれば、そりゃ気にもなるか」
行商人は納得したように頷いた。
そういえば、最近は買い物に来たお客さんからも、あみぐるみを作っている子供のことを聞かれるようになっていた。
狼のあみぐるみを見た人が、今度は猫を見に来る。
以前買い物をしてくれた人が、知り合いを連れて戻ってくる。
何度も店先に立っているうちに、少しずつ顔を覚えてもらえていた。
「おじさん」
「なんだ?」
「ぼく、もうしらないこじゃないかも!」
「……そうだな」
行商人が笑った。
「少なくとも、この辺りじゃ顔を覚えている奴もいるだろうな」
嬉しくなって、もう一度通りを見る。
「じゃあ、べつのおみせでも、おてつだいできるかな?」
「おっと。そこは別の話だぞ」
「え?」
「顔を知っているからって、商売の相談を頼んでくれるとは限らん」
行商人は腕を組んだ。
「向こうからすれば、俺の店に客が集まっているのが気になっているだけかもしれん。お前が何を考えて、何を変えたのかまでは知らんだろうしな」
確かに、そうだった。
蜜蝋を木箱に使うところを見た人はいても、その方法を誰が考えたのかまでは分からない。
乾燥豆と干し肉のセットだって、行商人が考えたと思われているかもしれない。
それでも、以前よりは話を聞いてもらえるかもしれなかった。
「じゃあ、おはなししてみる!」
「何をだ?」
「なにか、こまってることない? って!」
「ははっ! いきなり商売の相談を持ちかけるつもりか?」
「だめ?」
「駄目じゃないが、相手の邪魔にならないようにな」
「うん!」
行商人は笑っていたが、やがて何かに気づいたように口を閉じた。
「……待てよ」
「?」
「お前、俺が次に来るまで、この町にいるんだよな?」
「うん!」
「俺は、もうすぐ別の町へ行く」
「うん!」
「その間に、お前がほかの店と知り合う可能性もあるわけか……」
どうやら、また困らせてしまったらしい。
「おじさん?」
「いや、何でもない」
そう言いながらも、行商人は難しい顔をしている。
「……次に来たときには、もう別の店を手伝っているかもしれんのか」
「そうかも!」
「嬉しそうに言うなあ……」
行商人が苦笑した。
けれど、すぐに首を横に振る。
「まあ、まだ仕事を頼まれたわけでもないんだ。今から心配しても仕方ないな」
「うん!」
「それに、焦って専属契約を結ぶわけにもいかん。何を頼むかも、いくら払えるかも、まだ決まっていないからな」
そう言って、行商人は帳簿を開き直した。
「おじさん、またけいさん?」
「ああ。魔法書のこともあるし、次に来たときのことも少し考えておこうと思ってな」
「たいへんだね!」
「誰のせいだと思ってるんだ……」
行商人が呆れたように笑った。
そのとき、通りの向かいから声がした。
「おーい、今日はもう店じまいか?」
顔を上げると、雑貨屋の主人が店先からこちらに手を振っていた。
「そうだ。今日はもう終わりだよ!」
行商人が答える。
雑貨屋の主人は、空になった石鹸の売り場を見て笑った。
「例の香りの石鹸、ずいぶん評判だったみたいだな。うちにも、どこで売ってるのか聞きに来た客がいたぞ」
「そうだったのか」
「それに、あの猫も売れたんだろ?」
雑貨屋の主人がこちらを見る。
「坊主、今度は何を作るんだ?」
「えへへ! まだかんがえてる!」
「そうか。次も楽しみにしてるぞ!」
主人は笑いながら、自分の店へ戻っていった。
行商人が、ゆっくりとこちらを見る。
「……なるほどな」
「?」
「どうやら、俺が思っていた以上に顔を覚えられているらしい」
「えへへ!」
嬉しくなって、空になった売り場を見た。
最初は、誰にも知られていなかった。
それが、あみぐるみを作り、いろいろな商品を売るうちに、少しずつ顔を覚えてもらえるようになった。
まだ、ほかのお店から仕事を頼まれたわけではない。
けれど、今なら話しかけても、まったく知らない子供として見られることはないかもしれない。
行商人は帳簿に目を落としながら、小さくつぶやいた。
「……次に来るまでに、どうなっていることやら」
その声を聞きながら、次は何を作ろうかと考えていた。




