073 おじさんの困り事
――おじさんの困り事――
行商人が、空になった売り場を見ながら苦笑している。
「今になって、結構怖くなってきたぞ」
「なんで?」
「次に来たとき、お前に相談料を払う約束をしただろ」
「ああ!」
思い出した。
次に行商人がこの町へ来たときは、新しく考えた売り方を教える前に、きちんと条件を決めることになっている。
でも、行商人は少し困った顔をしていた。
どうして困るのだろう。
払いたくないなら、相談しなければいいだけなのに。
「おじさん」
「なんだ?」
「そうだんしたくなかったら、むりにしなくてもいいんだよ?」
「ほう?」
行商人が面白そうにこちらを見る。
だから、にっこり笑って続けた。
「べつのおみせでおてつだいする」
「…………」
行商人の笑顔が止まった。
しばらく何も言わず、こちらを見ている。
「お前……」
「?」
「さっきより怖いことを言ってるぞ」
「なんで?」
今度こそ、理由が分からなかった。
行商人には、相談するかどうかを決める自由がある。
自分にも、誰と商売をするか決める自由がある。
もし別のお店の人が困っていて、考えた方法を教える代わりにお金を払ってくれるなら、そこで手伝ってもいい。
それだけの話だった。
「べつのおみせでも、おしえてあげたらいいでしょ?」
「お前にとってはな」
行商人が腕を組んだ。
「だが、俺にとっては少し事情が違う」
「?」
「例えば、俺が相談料を惜しんで、お前に何も聞かなかったとする」
「うん」
「そのあと、お前が別の店で売り方を教えたらどうなる?」
少し考える。
別のお店の商品が売れる。
そのお店の人が喜ぶ。
自分も、約束したお金をもらえる。
「みんな、うれしい?」
「俺は嬉しくないかもしれんぞ」
「え?」
行商人が、さっきまで香草石鹸を並べていた場所を指差した。
「俺の店では売れなかった物が、別の店では売れるようになるかもしれんだろ」
「あ」
「しかも、その店が俺と同じような商品を扱っていたらどうする?」
今度は少し分かった。
別のお店で買う人が増えれば、こちらのお店で買う人が減るかもしれない。
「おじさんの、おきゃくさんがへる?」
「そうなる可能性もあるな」
行商人は、帳簿を開いた。
そこには、今回の滞在中に売れた商品が記録されている。
蜜蝋。
木箱。
乾燥豆。
香草石鹸。
最初はあまり売れていなかった商品ばかりだった。
蜜蝋は、木箱に使うところを見せた。
乾燥豆は、干し肉と一緒にスープにした。
香草石鹸は、灰白猫に同じ香りを付けて、先に匂いを知ってもらった。
商品そのものを大きく変えなくても、売り方を変えれば買ってくれる人が現れた。
「俺は、それを実際に見てるからな」
行商人が言った。
「お前の考えた方法が、うちの商品を動かしたところをな」
「うん!」
「だから、ほかの店に行かれるかもしれんとなると、少し考えちまうわけだ」
なるほど。
そういうことだったのか。
それなら、行商人が困った顔をした理由も少し分かる。
けれど、行商人はすぐに人差し指を立てた。
「ただし、そこで勘違いするなよ」
「?」
「別の店が、必ずお前に金を払ってくれるとは限らん」
「…………あ」
そうだった。
ほかのお店の人は、自分が何をしてきたのか知らない。
初めて会った三歳の子供に、いきなり商売の相談をしようと思うだろうか。
「子供の遊びだと思われるかもしれんし、そもそも話を聞いてもらえないかもしれん」
「…………」
「それに、俺の店でうまくいった方法が、ほかの店でも通用するとは限らない」
「なんで?」
「売っている物も違えば、来る客も違うからだ」
確かに、蜜蝋と香草石鹸では、売れなかった理由も違っていた。
同じ方法を使えば、何でも売れるわけではない。
「じゃあ、またかんがえる!」
「そうだな。だが、考えたからって必ず売れるわけでもないぞ」
「うん」
今までも、うまくいかなかったことはあった。
試してみなければ、分からないことも多い。
行商人は帳簿を閉じた。
「それでも、俺はお前が実際に結果を出したところを見ている」
「うん!」
「だからこそ、次はちゃんと条件を決めた方がよさそうだ」
「そうだんするの?」
「それも、まだ決めてない」
行商人は笑った。
「だが、毎回一つずつ相談料を決める以外にも、方法はある」
「ほかにも?」
「ああ」
例えば、行商人がこの町に滞在している間、まとめて相談に乗る約束をする方法。
そうすれば、商品ごとに何度も値段の話をしなくても済む。
あるいは、最初に少しお金をもらって、実際に売り上げや利益が増えたら、さらに報酬をもらう方法もあるという。
「でも、それだと本当にお前のおかげで増えたのか、確かめる必要があるけどな」
「あ!」
前にも教わったことだ。
お客さんが増えたからといって、その全員が自分の作ったあみぐるみを見に来たわけではない。
季節が変わったから買う人もいる。
もともと買うつもりだった人もいる。
何が理由で売れたのかを確かめなければ、正しい金額は決められない。
「むずかしい……」
「だから、先に条件を決めるんだ」
行商人は、もう一つの方法も教えてくれた。
「例えば、俺が滞在している間は、ほかの店に売り方を教えないって約束する方法もある」
「え?」
それには少し驚いた。
「ほかのおみせ、だめなの?」
「そういう約束をするなら、だな」
「…………」
それは困る。
ほかのお店の人が相談したいと言ってくれても、教えられなくなる。
「でも、それだと……」
「ほかで仕事ができなくなるだろ?」
「うん!」
行商人が頷いた。
「だから、その約束にも金を払う必要がある」
「おかね?」
「ああ。俺の店だけで相談に乗ってもらいたいなら、その分も考えて報酬を決めなきゃならん」
少し考える。
ほかのお店でも仕事ができるなら、そこでお金をもらえるかもしれない。
でも、行商人と約束したら、その仕事はできなくなる。
その代わりに、行商人が多めにお金を払ってくれる。
「おじさんが、いっぱいはらう?」
「いっぱいになるかどうかは交渉次第だ」
「…………」
やっぱり難しい。
「それに、まだほかの店から仕事を頼まれたわけでもないだろ」
「あ」
「今すぐ決める必要はない。次に来たとき、お互いに何をしてほしいのか話してからだ」
「うん!」
それなら分かる。
行商人が何を頼みたいのか。
自分が何をしてあげられるのか。
そして、代わりに何をもらうのか。
最初に決めておけば、あとで困らずに済む。
行商人は、空になった石鹸の売り場をもう一度見た。
「それにしても……」
「?」
「三歳の子供に商売の相談をして、次はほかの店に取られないための契約まで考えるとはな」
困ったように笑っている。
でも、少し楽しそうにも見えた。
だから、こちらも笑って聞いてみる。
「おじさん、ぼくをやといたくなってきた?」
「……少なくとも」
行商人は帳簿を軽く叩いた。
「ほかの店に行かれても何とも思わない、とは言えなくなってきたな」
「えへへ!」
まだ、雇ってもらえると決まったわけではない。
ほかのお店で仕事をもらえるかどうかも分からない。
それでも、今までは自分が作ったものを売ることばかり考えていた。
マフラーやあみぐるみだけではなく、考えた売り方そのものにも値段が付く。
そして、その仕事を誰に頼むのか、誰から引き受けるのかも、商売の一つになるらしい。
次に行商人がこの町へ来たときは、商品を並べる前に、決めなければならないことが増えそうだった。




