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ちいさなぼくのまもるもの  作者: 星乃いりす


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072 ねこに付けられた値段

――ねこに付けられた値段――


女性は、返事を待っている。


「……これは、いくら?」


もう一度、灰白猫を見る。


値段を決めるなら、比べられるものがある。


前に作った白猫だ。


あの猫は、頼まれた相手の希望を聞いて作った。


白い猫。


赤い首輪。


本物の猫を何度も観察して、形を直しながら仕上げた。


最初から、その人のために作った特注品だった。


値段は銅貨百二十枚。


でも、この灰白猫は違う。


誰かに頼まれて作ったわけではない。


店先で作っているところを見せるために始めて、完成してからは香草石鹸と同じ香りを付けた。


何日も店先に置かれ、たくさんの人に見てもらった。


その間、この猫の香りをきっかけに石鹸も売れていった。


そして今は、その石鹸が一つも残っていない。


同じ香りをまとった灰白猫も、この一体だけ。


「…………」


白猫は百二十枚だった。


この猫は特注ではない。


だから、頼まれて作ったという意味では白猫とは違う。


でも、この猫にしかないものもある。


香草石鹸と同じ香り。


もう売り切れてしまった香り。


そして、同じものは一つしかない。


少しだけ高くしてみる。


「ひゃくさんじゅうまい」


「百三十?」


「うん」


女性が灰白猫を見る。


「ちょっと高いわね」


「…………」


そう言われると、少し不安になる。


百二十枚なら。


白猫と同じ値段なら。


もっと買ってもらいやすいかもしれない。


百十枚なら、さらに買いやすくなる。


でも。


まだ女性は帰っていない。


灰白猫を手に取って、顔を見る。


灰色と白の模様。


耳。


尻尾。


それから、そっと鼻へ近づけた。


まだ、ふわっと香る。


「この香り、好きだったのよね……」


「…………」


何も言わずに待つ。


値段も変えない。


女性はしばらく灰白猫を見ていた。


やがて、こちらを向く。


「これ、香りはずっと残る?」


「…………」


すぐには答えられなかった。


香り油を使ったのは、今回が初めてだ。


今はまだ香っている。


でも、何日続くのか。


何か月も残るのか。


そこまでは分からない。


だから。


「ずっとは、のこらないとおもう」


「やっぱりそうよね」


「うん」


分からないことを、ずっと香るとは言えなかった。


女性は少し残念そうに灰白猫を見る。


「そっか……」


「…………」


また待つ。


今度こそ帰ってしまうかもしれない。


それでも、何も言わない。


しばらくして。


女性が灰白猫を抱き直した。


「じゃあ、これください」


「…………!」


顔を上げる。


「かう?」


「ええ」


「ひゃくさんじゅうまいだよ?」


「分かってるわ」


「…………!」


売れた。


嬉しくなって行商人を見そうになったけれど、途中で止める。


これは自分の商品だ。


代金を受け取り、一緒に数を確認する。


銅貨百三十枚。


間違いない。


そして。


何日も店先にいた灰白猫を、女性へ渡した。


「ありがとう!」


「こちらこそ。大事にするわね」


女性は灰白猫を抱えて歩いていく。


その姿が見えなくなるまで見送った。


店先を見る。


石鹸はない。


灰白猫もいない。


本当に、全部なくなった。


「…………」


少しだけ寂しい。


でも、それ以上に嬉しかった。


「おじさん!」


「見てたよ」


「うれた!」


「ああ。百三十枚でな」


「うん!」


行商人が少し笑う。


それから、こちらを見た。


「値下げしなかったな」


「うん」


「高いって言われたとき、下げようとは思わなかったか?」


「…………ちょっとおもった」


「だろうな」


本当は怖かった。


高いと言われたとき、すぐに安くしたくなった。


でも、女性はまだ猫を見ていた。


だから待った。


「それより、もう一つ」


「?」


「香りのことだ」


行商人が、灰白猫の消えた場所を見る。


「ずっと残るとは言わなかったな」


「だって、わからない」


「ああ。それでいい」


「?」


「高く売りたいからって、分からないことまで都合よく言ったら駄目だ」


少し考える。


「うそ?」


「そうなることもある」


行商人は頷いた。


「一回だけなら、それで売れるかもしれん。でも、あとで『話が違う』ってなったらどうする?」


「…………おこる」


「怒るだろうな。次から買ってくれなくなるかもしれん」


それだけではない。


あの店は嘘を言う。


そう思われるかもしれない。


一回多くお金をもらえても、そのあと誰も信用してくれなくなったら、その方が困る。


「わからないことは、わからないっていう?」


「ああ」


「うん」


覚えておく。


◇ ◇ ◇


店を閉めたあと。


行商人と一緒に、今回の商売を確かめる。


最初に自分で払ったのは、銅貨百二十五枚。


香草石鹸十個と、香り油一瓶。


石鹸は十個全部売れた。


さらに、灰白猫も百三十枚で売れた。


でも。


「ひゃくさんじゅう、ぜんぶもうけ?」


「違う」


やっぱり違った。


行商人が帳簿を開く。


「その猫を作るのに、何を使った?」


「けいと」


「他は?」


「なかにつめるのと、ぼたん」


「そうだ。それはただじゃない」


「あ」


毛糸。


詰め物。


ボタン。


作るために使ったものには、それぞれお金がかかっている。


それに、香り油も使った。


「でも、においのあぶら、まだあるよ?」


「ああ。だから、あれを全部この猫に使った金として考えるのも違う」


「…………?」


少し難しくなってきた。


行商人が苦笑する。


「今のお前には、まだそこまで全部計算できなくていい」


「でも、しりたい」


「なら一つずつ覚えろ」


「うん」


「百三十枚で売れたからって、百三十枚全部が増えた金じゃない。それでいい」


「うん」


それなら分かる。


売れた値段と、本当に増えたお金は違う。


石鹸のときにも教わったことだ。


「それとな」


行商人が続ける。


「今回の猫が百三十枚で売れたからって、次に同じ大きさの猫を作って百三十枚にすればいい、って話でもないぞ」


「なんで?」


「今回は、あの客が香りを気に入ってたからだ」


「あ」


「同じ猫でも、香りなんかいらないって客には、その分は何の価値にもならん」


灰白猫を買った女性は、香草石鹸の香りが好きだった。


だから、同じ香りがする猫を気に入ってくれた。


でも。


香りが嫌いな人なら、同じものでも高いとは思ってくれない。


「ひとでちがう?」


「ああ。違いがあれば何でも高くできるわけじゃない。その違いを欲しいと思う客がいるかどうかだ」


「…………」


難しい。


でも、少しだけ分かる。


一つしかないから。


香りが付いているから。


それだけで、どこまでも高くしていいわけではない。


欲しいと思ってくれる人がいて。


その人が、その違いにもお金を払っていいと思ってくれたとき。


初めて、その違いにも値段を付けられる。


「むずかしい」


「商売だからな」


また同じことを言われた。


今度は二人で笑った。


◇ ◇ ◇


片付けを始める。


少し前まで香草石鹸が並んでいた場所には、もう何もない。


十個あった石鹸を、全部自分のお金で買った。


売れなかったら、全部自分のものとして残ると言われた。


少し怖かった。


それでも買った。


灰白猫に同じ香りを付けて、猫を見に来た人に石鹸の香りを知ってもらった。


すぐには灰白猫を売らず、石鹸がなくなるまで見本として置いた。


そして。


最後の石鹸が売れたあと、今度は灰白猫そのものを商品にした。


石鹸も。


灰白猫も。


もう残っていない。


行商人が、空になった場所を見ながら口を開く。


「……坊主」


「なに?」


「次に俺がこの町へ来たとき、お前に相談料を払う約束したの――」


「うん」


行商人は少し黙った。


それから、困ったように笑う。


「今になって、結構怖くなってきたぞ」


「なんで?」


「さあな」


「?」


行商人は答えない。


よく分からないまま、空になった店先を見る。


最初は、売れ残っていた十個の石鹸だった。


それが今は、一つもない。


灰白猫もいない。


初めて自分のお金で仕入れた商売は、最後の一つまで、ちゃんと誰かの手に渡った。

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ここまで読んでいただき、ありがとうございます☺️ 少しでも「続きが気になる」「この子をもう少し見守ってみたい」と思っていただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると、とても嬉しいです。 皆さまからの応援を励みに、これからも小さな主人公の物語を大切に書いていきます。 次のお話も楽しんでいただけますように。
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