060 ちいさなしょうにん
――ちいさなしょうにん――
温かいスープの入った器を両手で持つ。
一口飲んでから、少し得意そうに胸を張った。
「ぼく、ひとをかんさつするのとくい」
「ほう?」
「だから、しょうにんにむいてる?」
行商人が片方の眉を上げる。
その反応を見て、にっと笑った。
「まだまだ、おじさんのおみせをにんきにするからね」
「ずいぶん大きく出たな」
「そのうち、おじさんがぼくをやといたくなるかも」
「…………」
返事がない。
器から顔を上げると、行商人はじっとこちらを見ていた。
やがて、ゆっくり口を開く。
「半分正解で、半分不正解だな」
「?」
首を傾げる。
「まず、商売に向いてるかって話なら――素質はあると思う」
「ほんと?」
「ああ」
お世辞で言っている様子ではなかった。
行商人が指を一本立てる。
「お前は客を見てる」
「うん」
「寒そうにしてる奴がいた。何度も店に戻ってくる奴もいた。子供はあみぐるみによく反応した。完成したものだけじゃなく、作ってる途中でも人が集まった」
行商人は、立てた指を見ながら一つずつ思い出すように話した。
スープの器を持ったまま、黙って聞く。
もう一本、指が立つ。
「そういうのを見て、『じゃあ、こうしたらどうなる』って考えてる」
「こうしたら、うれるかもって?」
「ああ。昨日は、何度も戻ってくる客を見て、菓子や飲み物を置いた」
行商人がこちらを見る。
「今日は、寒そうにしている人を見て、温かいスープを考えた」
「さむいひとは、あったかいのがほしいから」
「そうだな」
短く頷いてから、続ける。
「それで終わらず、本当にやってみる」
さらに一本、指が立つ。
「うまくいったか確かめる。駄目なら、やり方を変える」
「うん!」
思わず身を乗り出す。
「商売じゃ、そういうのは大事だ」
褒められた。
やっぱり向いている。
そう思ったところで、行商人が続けた。
「でもな」
「ひとを見るのが得意なだけじゃ、商人にはなれん」
「そうなの?」
「ああ」
行商人は店に並んでいる商品を指した。
「商品をどこで、いくらで仕入れるか。いくらで売って、実際にいくら残ったか」
次に帳簿。
「売れなかった物をどうするか。壊れたり盗まれたりしたらどうするか」
それから荷馬車へ目を向ける。
「旅をするなら、馬の餌もいる。荷車が壊れれば直さなきゃならん」
季節によって売れるものも変わる。
場所が変われば、同じものでも値段が違うことがある。
品質の悪いものを売れば、次から買ってもらえなくなるかもしれない。
約束を破っても同じ。
「売れた金が、そのまま全部儲けになるわけでもない」
「うん」
「今日のスープだってそうだ。肉も野菜も使った。薪も使った」
空になりかけた鍋を見る。
「いっぱい、うれたよ?」
「ああ。だが、売れた金から使った金を引かなきゃ、本当に儲かったかは分からん」
「さっき、くろじっていってた」
「そうだ。今日はちゃんと残った」
「じゃあ、もうかった!」
「ああ」
そこはもう覚えている。
行商人が少し笑った。
「だから今のお前は――」
少し考えて。
「商売の勘がいい初心者だな」
「しょしんしゃ……」
「そりゃそうだろ。始めたばっかりなんだから」
「…………」
少しだけ頬を膨らませる。
間違ってはいない。
商売を始めてから、まだそれほど経っていないのだから。
スープをもう一口飲む。
それから、すぐに顔を上げた。
「じゃあ、おじさんをもっともうけさせたら?」
「そこも問題だ」
「?」
「俺を大儲けさせることと、お前を雇うことは別だからな」
「どうして?」
「雇えば給料を払うだろ」
「うん」
「仕事を教える時間もいる。場合によっちゃ飯のことも考えなきゃならん」
「うん」
「それから――」
改めて顔を見られる。
「お前三歳だぞ」
「…………」
母親の顔が浮かんだ。
たぶん。
いや。
絶対に怒られる。
「普通に考えて、お前を荷馬車に乗せて各地を働かせて回ったら、まず親に怒られる」
「…………」
「でもな」
行商人が帳簿を持ち上げる。
「雇わなくても、一緒に商売する方法はある」
「?」
「今だってそうだろ」
店先を見る。
そこには、自分の商品を置かせてもらっている。
売れれば、その代金の二割を手数料として行商人へ渡す。
行商人は売る場所を貸し、客への説明や代金の受け取りもしてくれる。
「今は、お前の商品が売れたら二割を俺がもらってる」
「うん」
「これは、お前を雇ってるわけじゃない」
「ぼくのを、おじさんのおみせでうってもらってる」
「そういうことだ」
以前に教えてもらった委託販売。
そこまでは分かる。
けれど、行商人はそこで終わらなかった。
「ただな」
「?」
「今までは、お前が俺の店を使わせてもらう側だった」
「うん」
「だから、売る場所を使う分や、俺が客に売る分として二割をもらってた」
「うん」
「でも今は、少し事情が変わってきてる」
「かわった?」
行商人が店先を見る。
狼のあみぐるみ。
その隣で編んでいた灰白猫。
そして、もうほとんど空になったスープの鍋。
「お前のあみぐるみを見るために客が来るようになった」
「うん!」
「作ってるところを見に、何度も来る奴までいる」
「きょうもきた!」
「ああ。それで菓子や飲み物が売れた。今日はスープも売れた。その客が俺の商品まで買ってる」
帳簿を軽く叩く。
「つまり、お前は俺の店を借りてるだけじゃなくなってきた」
「…………?」
少し難しい。
行商人は言い方を変える。
「お前の商品が、俺の店にも客を連れてきてるってことだ」
「あ!」
それなら分かる。
「ぼくのオオカミさんみて、おきゃくさんきた!」
「そうだ」
「ねこつくってるのみて、またきた!」
「ああ」
「それで、おじさんのもかった!」
「そういうことだ」
行商人が頷く。
「だったら、今までと同じ二割をずっと取るのが、本当にいい条件かって話も出てくる」
「?」
意味が分からず首を傾げる。
「たとえばだ」
行商人が銅貨を十枚並べる。
「お前の商品が十枚で売れたとする」
そのうち二枚を自分の側へ寄せる。
「今までなら、俺が二枚」
残り八枚をこちら側へ。
「お前が八枚」
「うん」
そこまでは知っている。
ところが行商人は、自分側の二枚から一枚を戻した。
「でも、お前の商品を置くことで俺の他の商品までよく売れるようになったら――」
行商人側には一枚。
こちら側には九枚。
「俺が取る手数料を少なくする、って考え方もできる」
「……やすくなるの?」
「ああ」
目を丸くする。
そんな話は、今までしていなかった。
「ほんと!?」
「まだ決めてない」
「えー!」
「当たり前だろ」
行商人が笑う。
「今日だけ客が増えたのかもしれん。明日には誰も来なくなるかもしれない」
「こないかもしれない……」
「だから今、数字を取ってるんだ」
帳簿を指す。
あみぐるみを見て来た客。
その中で、行商人の商品を買った人。
何を買ったのか。
いくら使ったのか。
それを最終日まで記録することになっている。
「本当にお前が店の利益を増やしてるって分かったら、魔法書の値段を交渉する。それは前に決めたな」
「うん!」
忘れていない。
ずっと欲しかった四冊の魔法書。
その値段を、最終日に交渉する。
「それとは別に――」
行商人が、さっき動かした銅貨を見る。
「これからもお前の商品を俺の店に置くなら、手数料そのものを見直す話もできる」
「ほんもやすくなって、てすうりょうも?」
「だから、まだ安くするとは言ってない」
「…………」
「その顔をするな」
「だって……」
「魔法書の値段は、今回お前が俺の店に作った利益を見て交渉する」
行商人が一本指を立てる。
続いて、もう一本。
「手数料は、これからもお前の商品が客を呼べるなら、今後の取引条件として考える」
「ちがうの?」
「ああ」
今回働いた分を、今回の本の交渉に使う。
これから先も商品を置くなら、そのときの条件を考え直す。
同じように見えて、少し違う。
「…………」
分かったような。
まだ少し分からないような。
行商人はそんな顔を見て、しばらく黙った。
それから頭を掻く。
「……三歳の子供には難しい話だったな」
「ちゃんとわかるよ」
「本当か?」
「ほんと!」
即答した。
行商人が疑わしそうに見る。
「じゃあ、何が分かった?」
「いまがんばったぶんは、ほんをやすくしてもらうのにつかう」
「まあ、そうだな」
「これからも、ぼくのしょうひんでおきゃくさんがいっぱいきたら――」
少し考える。
「おじさんにわたすおかねも、すくなくなるかもしれない!」
「…………」
行商人が黙った。
「ちがう?」
「いや」
ゆっくり首を横に振る。
「合ってる」
「ほら!」
「本当に分かってたのか……」
「ちゃんときいてたよ!」
少しだけ得意になる。
難しい言葉は、まだ全部分からない。
仕入れ。
利益。
委託。
手数料。
取引条件。
知らないことはたくさんある。
でも。
今まで自分は、行商人の店を使わせてもらっていた。
だから、売れたお金から二割を渡していた。
けれど自分の商品が店にも客を連れてくるなら、自分も行商人の役に立っている。
その分を、これからの条件に入れることもできる。
「じゃあ、もっともうけさせたらいいんだ」
「……お前、結局そこに戻るのか?」
「だって、おじさんがもっともうかったら、ほんももっとやすくなるかもしれないでしょ?」
「交渉次第だ」
「てすうりょうも!」
「それは今後の話だ」
「どっちもがんばる!」
「……嫌な予感がするな」
「だいじょうぶ!」
「何が大丈夫なんだ」
そのときだった。
店の前を、仕事帰りらしい男が通りかかった。
一度はそのまま通り過ぎかけたが、鍋に気づいて足を止める。
「スープ、まだある?」
「悪い、今日はもうほとんど終わりだ」
「そうか……」
男は空になりかけた鍋を見た。
少し残念そうにして、そのまま帰っていく。
何となく、その背中を目で追う。
しばらくして。
また一人。
今度も鍋を見る。
「もうないの?」
「今日は終わりだな」
「そうか」
まただ。
「…………」
空になった鍋を見る。
昼には、たくさん売れた。
だから今日は成功だった。
そう思っていた。
でも。
夕方にも欲しがる人がいる。
しかも、昼に来ていた人たちとは少し違う。
仕事を終えて帰る途中の人。
これから家へ帰る人。
「…………」
家へ帰ったら、ご飯を作るのだろうか。
それとも、誰かが作って待っているのだろうか。
すぐ食べられるものがあったら、買うのだろうか。
自分の分だけ。
それとも、家族の分も。
まだ何も分からない。
ただ。
昼とは違う人たちが、同じ鍋を見ていた。
「どうした?」
行商人の声がする。
「…………」
空になった鍋。
帰っていく人。
もう一度、交互に見る。
さっき言ったばかりだった。
まだまだ、おじさんの店を人気にする。
「なんでもない!」
「そうか?」
「うん!」
器に残っていた最後のスープを飲む。
商売については、まだ知らないことばかりだった。
仕入れも。
帳簿も。
在庫も。
相場も。
取引も。
行商人から見れば、まだ始めたばかりの初心者。
それでも。
見て。
考えて。
少しだけ試して。
結果を確かめる。
それなら、今までにもやってきた。
そして店の前には――
まだ、見ていなかった時間の客がいる。
「おじさん」
「なんだ?」
「つぎは、ゆうがたもスープのこしてみたい」
行商人が目を細める。
「さっきの二人か?」
「うん」
ちゃんと見ていたらしい。
「ひるにくるひとと、ちがうひとかもしれない」
「……なるほどな」
「だから、ちょっとだけ」
両手で小さな隙間を作る。
「ゆうがたのぶん」
「作りすぎたら?」
「のこる」
「残ったら?」
「もうけがへる!」
「そこは覚えたか」
「うん!」
行商人が空になった鍋を見る。
それから、帰っていった二人の方を見る。
「分かった。次は少しだけ残してみるか」
「うん!」
「ただし、昼の分と夕方の分は分けて見るぞ」
「どうして?」
「本当に夕方の客が買ったのか分からなくなるからだ」
「…………」
少し考える。
昼に全部まとめて数えたら。
夕方に売れた分が分からない。
「べつべつにかぞえる!」
「そういうことだ」
「ぼく、かぞえる!」
「任せた」
「うん!」
その一言に、顔が明るくなる。
正式に雇われたわけではない。
一人前の商人になったわけでもない。
それでも。
次の商売を、一緒に確かめる役目をもらえた。
空になった鍋をもう一度見る。
今日売れたことだけを見るのではなく。
売り切れたあとに来た人も見る。
明日は、その人たちのことをもう少し確かめる。
まだ答えはない。
だから――
また見る。




