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ちいさなぼくのまもるもの  作者: 星乃いりす


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005 はじめての狼

――はじめての狼――


ガサッ。


草むらが揺れた。


何かが、こちらへ近づいている。


けれど。


その正体を見るより先に、もう一度後ろを振り返った。


「…………」


遠くに町が見える。


小さな屋根が、いくつも並んでいる。


さっきは、どれが自分の家なのか分からなくなった。


でも。


じっと目を凝らす。


一つずつ見る。


「あれじゃない……」


隣を見る。


「あれも、ちがう……」


似たような色の屋根が並んでいる。


少し視線を動かしただけで、さっき見ていた場所が分からなくなりそうになる。


それでも探す。


屋根の形。


隣にある建物。


その位置。


それから――。


父親の仕事場がある辺り。


「…………あ」


見つけた。


小さい。


ものすごく小さい。


少し目を離せば、また分からなくなってしまいそうだった。


けれど。


今度は分かる。


あれだ。


あれが、自分の家。


ちゃんと見える。


なら――。


「まだいける」


答えは簡単だった。


母親との約束は、まだ守っている。


前を向く。


そして。


てく。


さらに一歩。


「待って!」


後ろから母親の声が飛んできた。


それでも止まらない。


てく。


てく。


「待ちなさい!!」


さっきより大きな声。


振り返る。


母親がこちらへ走ってきている。


「?」


どうして止まらなければいけないのだろう。


家は見えている。


さっきは分からなくなったけれど、ちゃんと見つけた。


言われたとおりだ。


――家の見えるところまで。


だから。


約束は破っていない。


もう少し。


あと少しだけ。


その先を見てみたい。


そう思って数歩進んだ、そのときだった。


ガサッ!


「…………」


足が止まる。


さっきの草むら。


今度は、もっと近いところが大きく揺れた。


風ではない。


やっぱり何かがいる。


じっと見つめる。


すると。


草の隙間から――。


ぬっ。


何かが顔を出した。


「…………?」


灰色がかった茶色の毛。


前へ伸びた鼻。


三角の耳。


知らない顔だった。


やがて。


一本の前脚が草の中から出てくる。


もう一本。


ゆっくりと、身体も現れる。


挿絵(By みてみん)


四本の脚。


長い尻尾。


町で見かける犬より少し大きい。


「…………」


犬だろうか。


でも。


いつも見る犬とは少し違う。


毛の色も。


顔も。


身体つきも。


知らない犬。


そんなふうに見えた。


その瞬間。


「止まれ!!」


「っ!」


後ろから響いた大声に、身体がびくりと跳ねた。


近所のおじさんだった。


さっきまでとは、声が違う。


「坊主! 動くな!」


「…………?」


どうして?


男は腰へ手を伸ばした。


そこに差していた鉈を引き抜く。


母親も足を止めた。


「え……」


こちらを見ていた母親の目が、その向こうへ移る。


さっきまで必死に走っていたのに。


急に来なくなった。


「…………?」


何かおかしい。


でも。


何がおかしいのかは分からない。


もう一度、目の前の生き物を見る。


草むらから、完全に姿を現していた。


痩せた身体。


灰色がかった茶色の毛。


長い尾。


前へ突き出た鼻先。


その口元から、白い歯が少し見えている。


――灰狼。


この地方では、それほど珍しい動物ではない。


森や草原に生息する、ごく普通の野生の狼。


魔物ではない。


けれど。


そんなことを、目の前にいる三歳児は知らない。


狼という名前すら知らない。


ただ。


町で見た犬に似た、初めて見る生き物。


それだけだった。


狼は動かなかった。


こちらも動かない。


間には、草原がある。


およそ二十メートル。


狼がこちらを見ている。


「…………」


見つめ返す。


やっぱり犬に似ている。


でも。


少し違う。


どこが違うのだろう。


後ろでは、母親と近所のおじさんが止まったままだった。


まだ距離がある。


およそ四十メートル。


男は鉈を握り、狼から目を離さない。


「動くなよ……」


さっきより小さな声だった。


「…………」


動くな。


それは分かる。


だから、その場に立っている。


けれど。


どうして動いてはいけないのかまでは分からない。


狼も動かない。


飛びかかってくるわけでもない。


逃げていくわけでもない。


ただ、こちらを見ている。


「…………」


怖い顔には見えなかった。


怒っているようにも見えない。


少なくとも。


今まで見たことのない生き物が、そこにいる。


そのことの方が気になった。


風が吹く。


ざわざわと草が揺れる。


狼の毛も、わずかに揺れた。


「…………」


目が離せない。


大きな犬みたいだ。


でも、知らない。


名前も知らない。


どうしてここにいるのかも知らない。


近所のおじさんが、どうして鉈を抜いたのかも分からない。


母親が、どうして急に止まったのかも分からない。


ただ一つ分かるのは。


目の前の生き物もまた。


じっとこちらを見ているということだけだった。


一人と一匹。


互いに動かない。


狼まで、およそ二十メートル。


母親たちまでは、その倍ほど。


そして、遥か後ろには。


目を凝らせば、まだ家が見えている。


「…………」


家を見つけたときよりも。


古い祠を見つけたときよりも。


今は、目の前の生き物の方が気になった。


知らない生き物。


犬によく似た、大きな生き物。


それが。


生まれて初めて目にする――狼だった。

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ここまで読んでいただき、ありがとうございます☺️ 少しでも「続きが気になる」「この子をもう少し見守ってみたい」と思っていただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると、とても嬉しいです。 皆さまからの応援を励みに、これからも小さな主人公の物語を大切に書いていきます。 次のお話も楽しんでいただけますように。
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