043 はじめてのお客さん
――はじめてのお客さん――
狼のあみぐるみを抱き直す。
「これは、うらないよ」
「うん。それは聞いた」
「でも、おじさんのおみせにかざる」
「飾る?」
「うん! おきゃくさんよぶのにつかう!」
行商人は一瞬黙り、狼のあみぐるみと君を交互に見た。
「……なるほどな。客寄せにするのか」
「きゃくよせ?」
「その狼を見て、『なんだろう』って近づいてくる奴がいるかもしれないだろ?」
「うん! それ!」
前に客引きをしたときは、自分から道を通る人へ声をかけた。
でも今回は違う。
狼を目立つところへ置いておけば、興味を持った人が自分から近づいてくるかもしれない。そして近くまで来てもらえれば、その隣に並べたマフラーにも気づいてもらえる。
行商人は少し考えてから頷いた。
「面白い。試してみるか」
「いいの!?」
「ああ。ただ、売り物と間違われないようにはしておこう」
店先に小さな台を用意してもらい、そこへ五本のマフラーを並べる。
狼のあみぐるみは、その中央より少し高い場所へ置いた。
少し離れて眺めてみると、マフラーだけを並べていたときよりずっと目につく。
「これならいい!」
「いや、まだ一つある」
「?」
「その狼を欲しいって言われたら、そのたびに説明するのか?」
「…………」
一人や二人ならできる。
でも、何人も同じことを聞いてきたら、そのたびに「売らない」と説明しなければならない。
行商人は小さな板を持ってくると、そこへ文字を書いた。
《見本・非売品》
まだ知らない文字もあったので、何と書いてあるのか教えてもらう。
「これは見本です。売り物じゃありません、って意味だ」
「なるほど!」
狼の前へ札を置く。
これなら文字を読める人には、自分が説明しなくても分かってもらえる。
準備はできた。
◇ ◇ ◇
ところが、しばらく待っても誰も店へ来なかった。
道を通る村人が狼に目を向けることはある。
少しだけ歩く速度を緩めた人もいた。
それでも、そのまま通り過ぎてしまう。
「…………」
狼を置けば、すぐに誰かが興味を持ってくれると思っていた。
「おじさん」
「なんだ?」
「こない」
「置いただけで全員寄ってきたら、商売は苦労しない」
「…………そっか」
確かにそうだった。
前に自分で客引きをしたときだって、声をかけた全員が店へ来てくれたわけではない。
だから、もう少し待ってみる。
やがて、子供を連れた女性が道を歩いてきた。
最初に狼へ気づいたのは子供だった。
「あ!」
足を止めて、店先を指差す。
「あれ!」
母親もつられてこちらを向いた。
「ぬいぐるみ?」
二人が店へ近づいてくる。
本当に狼を見て来てくれた。
嬉しくなって行商人を見ると、向こうも気づいているはずなのに何も言わず、いつも通り客を待っている。
子供は店の前まで来ると、狼を覗き込んだ。
「かわいい!」
女性も隣から眺める。
「これ、いくらですか?」
「悪いね。それは非売品なんだ」
「あ、そうなんですか」
少し残念そうな顔をしたので、思わず口を開いた。
「ぼくがつくった!」
「え?」
女性がこちらを見る。
「あなたが?」
「うん!」
「これを?」
「うん!」
どうやら信じてもらえていないらしい。
すると行商人が横から助けてくれた。
「本当だよ。その狼もそうだし、こっちのマフラーもこの坊主が編んだ」
「これも?」
女性の視線が、狼から隣のマフラーへ移った。
子供用の一本を手に取ると、編み目や端を確かめ、それから自分の子供の首元へ軽く当ててみる。
「ちょっとじっとしててね」
「うん」
どうするんだろう。
買ってくれるのだろうか。
何か言った方がいいのかもしれない。
でも、何を言えばいいのか分からない。
迷っているうちに、女性が行商人へ尋ねた。
「これ、いくらですか?」
「銅貨三十枚」
「三十枚……。じゃあ、これください」
「…………!」
売れた。
女性が代金を払い、マフラーを持って子供と一緒に歩いていく。
その姿が少し離れてから、さっきまでマフラーが置いてあった場所を見る。
そこだけ空いている。
何日もかけて自分で編んだものを、知らない誰かが欲しいと思って、お金を払って持って帰ってくれた。
「おじさん」
「なんだ?」
「うれた!」
「ああ」
「ぼくの、うれた!」
「見てたから知ってる」
行商人は笑っている。
前にも、自分で働いてお金をもらったことはあった。
でも今回は違う。
働いた時間に対してお金をもらったのではなく、自分が作ったものそのものを欲しいと思ってもらえた。
それが、たまらなく嬉しかった。
◇ ◇ ◇
「喜ぶのはいいが、計算も忘れるなよ」
「!」
そうだった。
売れた銅貨三十枚が、そのまま全部自分のものになるわけではない。
行商人が受け取った銅貨を使って、もう一度確認してくれる。
「俺の分はいくらだった?」
「ろくまい!」
「正解。じゃあ残りは?」
一枚ずつ数える。
「にじゅうよん!」
「その二十四枚が全部お前のものか?」
「うん!」
答えてから、すぐに気づいた。
「……あ!」
「思い出したか?」
「けいとのおかね!」
母から借りた毛糸の分を返さなければならない。
子供用一本なら、およそ銅貨十枚。
二十四枚から十枚を分け、残ったものをもう一度数える。
「……じゅうよん!」
「そう。それがこの一本を売って、お前に残る分だ」
手元に残った銅貨を見る。
十四枚。
前に行商人を手伝って初めてもらったお金は五枚だった。
今度は、自分で作ったものを売って十四枚。
同じ「稼いだお金」でも、少し違って感じられた。
◇ ◇ ◇
それからも狼は店先に飾ったままにしておいた。
最初の一人だけなら、たまたま狼が目に入っただけかもしれない。
本当に客寄せとして役に立っているのか確かめるには、もう少し様子を見る必要がある。
昼まで観察していると、狼を見て足を止めた人は全部で八人いた。
そのうち五人が店まで近づき、四人がマフラーを手に取った。
そして実際に買ってくれたのは二人。
子供用と大人用が一本ずつ売れた。
朝の最初の一人と合わせれば、売れたマフラーは三本になる。
最初に並べた五本のうち、残っているのは子供用と大人用が一本ずつだけになった。
「オオカミさん、すごい!」
嬉しくなって狼を見る。
でも、行商人は少し違うことを言った。
「確かに役には立ってそうだな。でも、見た奴全員が買ったわけじゃないだろ?」
「うん」
言われて、もう一度思い返す。
狼を見て立ち止まったのは八人。
でも、店まで来たのは五人だけだった。
その五人も全員がマフラーを買ったわけではない。
「店まで来てもらうのと、商品を買ってもらうのは別なんだ」
「…………」
前に客引きをしたときもそうだった。
声をかければ全員が来てくれるわけではなかった。
今回は狼が代わりに人の目を引いてくれている。
それでも、興味を持ってもらうことと、お金を出して買ってもらうことは違う。
「しょうばい、むずかしいね」
「今頃気づいたか」
「うん」
行商人が笑った。
◇ ◇ ◇
昼頃。
また一人の女性が狼の前で足を止めた。
今までの人より長く見ている。
正面から眺めたあと、少し屈んで横からも確かめている。
やがて札に気づき、行商人へ尋ねた。
「これ、本当に売ってないの?」
「ああ。それはこの坊主の物だ」
女性がこちらを見る。
「うん。うらないよ」
「そう……」
やっぱり少し残念そうだった。
「オオカミさんにあげるの」
「狼に?」
「うん!」
女性は不思議そうな顔をしたものの、それ以上は聞かなかった。
代わりにもう一度あみぐるみへ目を向け、耳や顔、脚、尻尾までじっくり眺める。
それから。
「これ、あなたが作ったの?」
「うん」
「そう……」
何かを考えている。
マフラーを見るわけでもなく、狼とこちらを何度か見比べたあと、女性は尋ねた。
「じゃあ、こういうのって別の動物でも作れる?」
「…………」
すぐには答えられなかった。
別の動物は、まだ一度も作ったことがない。
狼だって、最初から上手く作れたわけではなかった。
頭が大きすぎて作り直し、脚の太さが揃わなくて何度もほどいた。
何週間もかけて、ようやくこの一体を完成させた。
だから「作れる」と簡単には言えない。
横を見る。
行商人のおじさんと目が合った。
けれど、何も言わない。
少し前なら、どう答えればいいのか教えてほしいと思ったかもしれない。
でも今は、その理由が分かった。
これは行商人の商品ではない。
もし注文を受けるなら、作るのは自分だ。
それに、さっき教えてもらったばかりだった。
作れないものを、作れると言ってはいけない。
何を作るのか。
どれくらい時間がかかるのか。
いくらで作るのか。
約束するなら、ちゃんと考えなければならない。
女性へ視線を戻す。
まだ注文を受けたわけではない。
何を作ってほしいのかさえ聞いていない。
それでも。
自分の作ったものを見た誰かが、初めて「別のものも作ってほしい」と考えてくれている。
ついさっき行商人から教えてもらったばかりの商売が、思っていたよりずっと早く目の前へやってきた。




