038 ひとつになったもの
――ひとつになったもの――
机の上に、小さな狼を置く。
まだ顔には何もない。
目も。
鼻も。
だから、狼の形にはなっていても、どこか寂しく見える。
「…………」
昨日選んだ、小さな黒いボタンを見る。
二つ。
手のひらに乗せて、狼の顔と見比べる。
「めは、ボタンにするよ」
母が「ああ」と頷いた。
「だから裁縫を習ったの?」
「うん」
前に教えてもらったことを思い出す。
針の小さな穴へ糸を通した。
何度やっても入らなかった。
玉結びも、最初はうまくできなかった。
布に針を通して。
引っ張って。
また反対から通す。
指に針先が当たって、痛かったこともある。
一人で使わない。
勝手に持ち出さない。
それも母と約束した。
「…………」
裁縫をたくさん練習するのは、今はやめている。
秋までに作りたいものがあったから、編み物を優先した。
でも。
前に覚えたことまで、なくなったわけではない。
今なら。
狼の目を付けるために使える。
「じゃあ、一緒にやりましょう」
「うん!」
母が裁縫箱を持ってくる。
その隣に座った。
◇ ◇ ◇
まずは、目に使うボタンを選ぶ。
裁縫箱の中には、大きさの違うボタンがいくつか入っていた。
「これ?」
一つ取る。
それから、もう一つ。
狼の顔の上に並べてみる。
「…………?」
何か違う。
母が二つを見比べた。
「少し大きさが違うね」
「ほんと?」
手のひらに戻して、近くで見る。
確かに。
片方が少し大きい。
「左右で同じくらいの大きさの方がいいと思うよ」
「じゃあ……」
裁縫箱の中を探す。
一つずつ比べて。
また戻して。
ようやく、同じくらいの大きさの黒いボタンを二つ見つけた。
「これ!」
「うん。いいんじゃない?」
でも。
見つけただけでは終わらない。
狼を正面から見る。
「…………」
どこに付ける?
とりあえず置いてみる。
二つのボタンを、顔の真ん中あたりへ。
「…………へん」
近い。
目と目がくっつきそうになっている。
少し離す。
「…………」
今度は離れすぎた。
顔の端と端に目があるみたい。
また動かす。
少し近づける。
正面から見る。
「…………」
狼を横からも見る。
もう一度、正面。
右を少しだけ上へ。
「…………ちがう」
戻す。
左を少し動かす。
「…………」
何度も見比べる。
少し動かすだけで、顔が変わって見えた。
怒っているように見えたり。
困っているように見えたり。
何だか変な顔になったり。
「むずかしい」
「目の場所で、ずいぶん変わるでしょう?」
「うん」
もう一度。
二つを置き直す。
正面から見る。
「…………」
今度は。
変じゃない。
「ここ」
「決まった?」
「うん!」
位置がずれないように、母にも見てもらう。
「じゃあ、付けてみようか」
「うん」
◇ ◇ ◇
針を一本。
糸を一本。
母から受け取る。
針の穴を見る。
「…………」
前にもやった。
糸の先を指で整える。
穴へ近づける。
一回目。
横へ外れた。
「…………」
もう一度。
針をなるべく動かさないようにする。
ゆっくり。
「…………」
糸の先が穴へ入る。
そのまま反対側へ。
「はいった」
「前より早くなったね」
「うん!」
少し嬉しい。
でも、まだ始まったばかり。
母に見てもらいながら、糸の端を結ぶ。
それから狼を持つ。
「ここ」
さっき決めた場所。
ボタンを置く。
針を入れる。
「ゆっくりね」
「うん」
毛糸の間へ針を通す。
ボタンの穴から針先を出して。
糸を引く。
もう一つの穴から戻す。
「…………」
一回。
もう一回。
「ここ、少し緩いよ」
「?」
母に言われて、ボタンに触る。
ぐらぐらする。
「ほんとだ」
「目だからね。簡単に取れないようにしないと」
「うん」
もし遊んでいる途中で取れたら。
なくなるかもしれない。
だから、もう一度やり直す。
今度は糸が緩まないように気をつける。
でも、強く引きすぎても毛糸が歪んでしまう。
「…………」
難しい。
母に教えてもらいながら、何度か糸を通す。
一つ目。
指で触る。
さっきより動かない。
「できた?」
「うん。これなら大丈夫そう」
「!」
次。
二つ目。
さっきと同じように――とはいかなかった。
「…………?」
付けている途中で手を止める。
一つ目より、少し上にある。
このまま付けたら。
左右で目の高さが違う。
「ずれてる」
「気づいた?」
「うん」
一度外す。
位置を直して、もう一度。
針を通す。
糸を引く。
何度か留める。
最後は母にも確認してもらった。
「うん。ちゃんと付いたよ」
「できた!」
◇ ◇ ◇
机の上に狼を置く。
少し離れて見る。
「…………」
目がある。
たった二つ。
黒い小さなボタンが付いただけ。
なのに。
さっきまでとは全然違って見える。
顔がある。
こちらを見ているような気がする。
「…………!」
鼻先には黒い毛糸を使った。
目より小さく。
鼻らしく見えるように何度か形を整えた。
耳は少し尖っている。
尻尾も仕上げた。
四本の脚で立つ形になっている。
一本だけ、ほんの少し細い。
左右も、完全には同じではない。
それでも。
狼だ。
右の後ろ脚を見る。
そこだけ少し違う色の毛糸。
森で会った狼を覚えているから付けた、小さな違い。
「…………」
できた。
ずっと。
少しずつ作っていたもの。
何度もほどいた。
頭が大きすぎて作り直した。
脚の太さが違って、また作った。
丸くしたかったのに歪んだこともある。
中へ詰めるものが多すぎて、形がおかしくなったこともあった。
目を付けるためには、前に教えてもらった裁縫も使った。
編むだけでは完成しなかった。
一つずつ。
前に覚えたことを使って。
足りないところは母に教えてもらって。
やっと。
一匹の狼になった。
「おかあさん」
「なあに?」
両手で持ち上げる。
「できた!」
母が受け取った。
正面から見て。
横から見て。
尻尾を見る。
ボタンもしっかり付いているか確認する。
「うん」
母が笑う。
「よくできたね」
「…………!」
「最初のマフラーを作ってた頃には、こんなの作れなかったでしょう?」
「うん!」
自分でも分かる。
上手な人が作ったものと比べたら、まだ綺麗ではない。
よく見れば左右に違うところもある。
形だって、もっと綺麗にできるところはあると思う。
でも。
ちゃんと狼に見える。
持っても、すぐに形が崩れたりはしない。
自分で考えて。
失敗して。
直して。
必要なところでは、別に習ったことも使った。
初めて作った。
自分だけの形。
◇ ◇ ◇
母はしばらく狼を眺めていた。
それから。
「これなら、お店に置いたら欲しがる子がいるかもしれないね」
「…………」
昨日。
売るのかと聞かれた。
そのときは分からなかった。
自分が欲しくて作ったもの。
ほかの人も欲しいかは分からない。
でも。
母は欲しがる子がいるかもしれないと言った。
「うれる?」
「それは、置いてみないと分からないね」
「…………」
やっぱり。
作ったから売れる。
ではない。
「それに、これは作るのに時間がかかったでしょう?」
「うん」
すごく。
かかった。
マフラーより難しいところも多かった。
使ったのも毛糸だけではない。
目にはボタンを二つ使った。
中に入れたものもある。
「売るなら、使ったもののことも考えないとね」
「…………」
前にも聞いた。
原価。
まだ難しい。
全部を自分で計算するのはできない。
でも。
使ったものが、ただではないことは分かる。
「それは、お店をやるときに一緒に考えようか」
「うん」
狼を受け取る。
売るかどうかも。
いくらにするのかも。
まだ決まっていない。
それでも。
マフラーとは違うものを、一つ作ることができた。
「…………」
次は。
行商人のおじさんのマフラー。
あれも完成させる。
◇ ◇ ◇
その翌朝。
外から声が聞こえた。
「行商だぞー! 布、針、薬、保存食――本もあるぞ!」
「…………?」
手が止まる。
今。
何て言った?
聞いたことがある。
声。
「…………!」
立ち上がる。
もう一度。
町の入口の方から声が響いた。
馬車の車輪が道を進む音。
馬の蹄の音。
外へ飛び出す。
朝の風が頬に当たった。
少し冷たい。
道の向こう。
町へ入ってくる、一台の馬車。
見覚えがある。
「…………!」
来た。
秋になったら、また来ると言っていた人。
仕事をさせてくれた人。
初めて、自分で働いたお金をくれた人。
そして。
本を探してみると言ってくれた人。
「おじさん!」
秋の風の中。
行商人のおじさんが、町へ帰ってきた。




