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ちいさなぼくのまもるもの  作者: 星乃いりす


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36/86

036 秋に向けて

――秋に向けて――


「…………」


一針ずつ、ゆっくりと布を縫っていく。


少し曲がった。


手を止めて、縫ったところを見る。


「…………」


やっぱり曲がっている。


糸をほどいて、もう一度。


今度はさっきよりも慎重に針を入れる。


「そこ、気をつけてね」


「うん」


すぐ隣には母がいる。


針の先は尖っている。


この前、指に当たったときは痛かった。


だから、一人では使わない。


母と交わした約束だ。


もう一度、針を布へ通そうとしたところで、母が立ち上がった。


「ちょっと待っててね」


「?」


「洗濯物を見てくるから」


「うん」


母が離れていく。


机の上には、縫いかけの布と糸。


そして針。


「…………」


手を止める。


触らない。


母が戻ってくるまで待つ。


少しして、母が戻ってきた。


「待っててくれたのね」


「うん」


「偉い偉い」


母が隣に座ったので、また続きを始める。


一針。


もう一針。


ゆっくり進めていく。


けれど、しばらくすると今度は食事の支度をする時間になった。


「続きはまた後でね」


「…………うん」


針を母へ返す。


もっとやりたい。


でも、母がいなければできない。


          ◇ ◇ ◇


次の日。


「さいほうする!」


朝から母のところへ行く。


けれど――


「今はちょっと待ってね」


「…………」


母は忙しそうに動いている。


洗濯をしたり、掃除をしたり、食事の支度をしたり。


家の中には、毎日やらなければならないことがたくさんある。


ずっと自分の隣に座っていてもらうことはできない。


「…………」


しまってある針を見る。


使いたい。


昨日より、もう少し上手に縫いたい。


でも、一人では使わないと約束した。


母を見る。


まだ忙しそう。


そのまま待っていて、ふと別のものが目に入った。


毛糸の籠。


その隣には編み針がある。


「…………」


編み物なら?


今やっている編み方なら、母がずっと隣にいなくても練習できる。


分からなくなったら聞けばいい。


おかしなところがあれば見てもらえばいい。


でも、最初から最後まで見ていてもらう必要はない。


裁縫は、母が一緒にいるとき。


編み物は、一人でも練習できる。


「…………」


それに。


秋が少しずつ近づいている。


秋になったらマフラーを売る。


行商人のおじさんに渡すものも作りたい。


「…………」


しばらく考えてから、母のところへ行く。


「おかあさん」


「なあに?」


「はり、しまってて」


母がこちらを見る。


「もう裁縫はやめるの?」


「ううん」


首を横に振る。


「さいほう、やる」


「じゃあ、どうしたの?」


「これ、あぶないから、ひとりでできない」


「そうね」


「おかあさん、いないとできない」


「うん」


母には、母のやることがある。


いつでも一緒に練習してもらえるわけではない。


だから――


「いまは、あみものする」


母が少し意外そうな顔をした。


「裁縫より?」


「うん」


「どうして?」


「あみもの、ひとりでできる」


毛糸の籠を指差す。


「いっぱいれんしゅうできる」


それから、もう一つ。


「あきに、うるから」


「…………」


母が少し考えてから笑った。


「なるほどね」


裁縫をやめるわけではない。


母に時間があるときなら練習できる。


でも今は、秋までに作りたいものがある。


だったら、一人でも練習できる編み物をたくさんやる。


「じゃあ裁縫は、お母さんに時間があるときに少しずつやろうか」


「うん!」


できないから、やめる。


ではない。


今は、こっち。


そう決めた。


          ◇ ◇ ◇


母から編みかけのマフラーを受け取る。


編み針を持ち、続きを始めた。


毛糸を掛けて、針を入れる。


引っ掛けて、抜く。


そして次へ。


最初の頃は、一つ動かすたびに母を見ていた。


「ここ?」


「これ?」


「つぎは?」


何度も聞かなければ進めなかった。


でも今は違う。


次に何をすればいいのか、前ほど考えなくても手が動く。


一目。


次の一目。


また次へ。


「…………」


少し速くしてみる。


さっきよりも早く手を動かす。


ところが、一段の途中で何となく違和感があった。


手を止める。


「…………?」


そこだけ編み目が少し大きい。


その隣は逆に小さい。


指で触ってみても、やっぱり揃っていなかった。


「…………」


速くやりすぎた。


せっかく進んだけれど、そのままにはしない。


そこまでほどいて、もう一度やり直す。


今度はゆっくり。


隣の編み目と見比べながら、一つずつ同じくらいの大きさになるように編んでいく。


一段が終わった。


でも、すぐに次へは進まない。


端を見る。


編み目を見る。


指でも触ってみる。


「…………」


少し緩いところを見つけた。


また戻る。


以前なら、最後まで編めれば「できた」と思っていた。


今は違う。


これは練習だけではない。


誰かがお金を出して使うかもしれないもの。


だから、自分でもおかしなところがないか確かめる。


見つけたら直す。


そして、もう一度編む。


          ◇ ◇ ◇


それからも、毎日少しずつ編み続けた。


もちろん、一日中編んでいるわけではない。


まだ三歳の小さな手では、長い時間ずっと編み針を握っていると指が疲れてくる。


集中しているつもりでも、少しずつ編み目が乱れ始めることもあった。


そんなときは、無理に続けない。


編み針を置く。


手を休ませている間に本を読む。


覚えた文字を書いてみたり、小石を使って計算の練習をしたりもする。


頭まで疲れてきたら外へ遊びに行く。


眠くなれば昼寝もする。


起きて、また編みたくなったら続きをする。


そして夜になれば、いつものように静かな場所へ座った。


目を閉じる。


ゆっくり息を吸って、吐く。


心臓の音。


手や足の感覚。


指先の温かさ。


そして最近、ときどき感じるようになった身体の中心の感覚。


「…………」


今日もある?


じっと確かめる。


何かがゆっくり広がっているような気もする。


でも、本当に同じものなのかは分からない。


だから今日も決めつけない。


明日も確かめる。


その次の日も。


編み物と同じ。


分からないなら、何度も繰り返す。


          ◇ ◇ ◇


もちろん、毎日うまくいくわけではなかった。


昨日より綺麗に編める日もあれば、昨日できたところで何度も間違える日もある。


ある日は、一本のマフラーをかなり長く編んだところで手を止めた。


「…………?」


何かがおかしい。


机の上へ広げてみる。


最初の方。


今編んでいる方。


見比べる。


「…………」


細い。


最初より、今の方が少し細くなっている。


母にも見てもらう。


「途中から幅が変わってるね」


「…………」


「どうする?」


このまま最後まで編むこともできる。


首には巻けるかもしれない。


でも、最初は広くて、最後は細い。


売るために作っているもの。


「なおす」


「どこから?」


「…………」


じっと見る。


どこから細くなった?


少しずつ戻りながら確かめる。


「ここ」


「うん。たぶんその辺りね」


そこまでほどく。


今日編んだところが、どんどん毛糸へ戻っていく。


「…………」


せっかく作ったのに。


少しだけ悲しい。


でも、変なまま残すよりいい。


もう一度。


今度は途中でも何度か幅を確かめる。


一段編んで。


見る。


もう一段。


また見る。


そうやって少しずつ進めた。


          ◇ ◇ ◇


何日も続けて。


ようやく一本。


子供用のマフラーが完成した。


「できた!」


最初に作ったものより、編み目が揃っている。


次は二本目。


途中で一度、大きくほどいた。


それでもやり直して完成させた。


三本目になると、手を動かす速さも少しだけ上がった。


でも、急がない。


速くして崩れたことは、もう知っている。


そして――


「いち、に、さん」


机の上に三本。


子供用のマフラーが並んだ。


母が隣から覗き込む。


「増えたね」


「うん!」


でも、まだ終わりではない。


次は大人用。


子供用より長い。


必要な毛糸も多い。


編んでも。


まだ終わらない。


次の日も続きを編む。


その次の日も。


途中で間違えれば戻る。


疲れたら休む。


そうして何日もかけて、ようやく一本が完成した。


そして、もう一本。


同じように少しずつ作っていった。


          ◇ ◇ ◇


それから、さらに一か月ほど。


真夏の頃と比べると、朝の空気が少しだけ涼しくなっていた。


机の上には、完成したマフラーが並んでいる。


子供用が三本。


大人用が二本。


全部で五本。


「…………」


最初に作ったマフラーも持ってきて、隣に置いてみる。


見比べると、違いはすぐに分かった。


最初のものは、編み目の大きさがところどころ違っている。


端も少し歪んでいる。


今の五本にも、まだ母が作ったものほどの綺麗さはない。


よく見れば、編み目に小さなばらつきも残っている。


それでも。


最初とは違う。


端はかなり揃っている。


首に巻ける。


ちゃんと暖かい。


簡単にほどけることもない。


母が一本ずつ手に取って確かめる。


編み目を見て、軽く引っ張って、形を見る。


「うん」


「…………」


「これなら、売ってみてもいいと思うよ」


「ほんと?」


「うん」


「…………!」


やっと。


売ってみてもいい。


そう言ってもらえた。


「でも、もっと上手な人が作ったものと同じ値段で売れるかは分からないからね」


「うん」


それは分かっている。


作ったから売れるわけではない。


欲しいと思ってくれる人がいて、初めて売れる。


それでも。


三週間前。


初めて一本を完成させたときより。


さらに前。


毛糸をどう動かせばいいのかも分からなかった頃より。


自分の手で作れるものは、確かに変わっていた。


          ◇ ◇ ◇


五本できても。


まだ編み針は置かなかった。


新しい毛糸を手に取る。


「まだ作るの?」


母が聞く。


「うん」


「売る分はできたでしょう?」


「これは、うらない」


母が少し考えて――すぐに笑った。


「行商人のおじさん?」


「うん!」


これは。


売るためではない。


お礼に渡すための一本。


だからこそ、今までで一番綺麗に作りたい。


五本のマフラーを作る間にも、たくさん失敗した。


幅が変わった。


編み目が緩くなった。


きつくなった。


何度もほどいた。


そのたびに、どこを見ればいいのか少しずつ分かるようになった。


「…………」


一段編む。


すぐに次へは行かない。


端を見る。


編み目を見る。


指で触る。


大丈夫。


次へ。


また一段。


「…………」


今度は少し気になる。


そこだけ戻って、もう一度。


仕事を教えてくれた。


本を読ませてくれた。


初めて自分で働いて、お金をもらった。


そのお礼。


だから。


今までで一番丁寧に。


「…………」


秋までに。


完成させる。


          ◇ ◇ ◇


ある朝。


外へ出る。


「…………?」


風が頬に触れた。


少し冷たい。


真夏の頃は、朝から暑かった。


今は違う。


後ろから出てきた母も、空を見上げる。


「だいぶ涼しくなってきたね」


「うん」


「そろそろ秋かな」


「…………!」


秋。


ずっと先だと思っていた季節。


マフラーを売ると決めた季節。


行商人のおじさんが、また来ると言っていた季節。


いつ来るのかは分からない。


初心者向けの魔法の本が見つかったのかも、まだ分からない。


でも。


来てくれたときに渡したいものはある。


家へ戻る。


作りかけのマフラーを手に取る。


「きょうも、つくる」


母が笑う。


「うん」


編み針を持つ。


毛糸を掛ける。


一目ずつ。


丁寧に。


秋が来るまで。


あと少し。

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ここまで読んでいただき、ありがとうございます☺️ 少しでも「続きが気になる」「この子をもう少し見守ってみたい」と思っていただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると、とても嬉しいです。 皆さまからの応援を励みに、これからも小さな主人公の物語を大切に書いていきます。 次のお話も楽しんでいただけますように。
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