033 少しずつ、できること
――少しずつ、できること――
「…………」
手の中には、短い編み地。
まだガタガタ。
これでは売れない。
でも、何度も練習したら綺麗にできるかもしれない。
「…………」
秋。
思い出す。
行商人のおじさんは、秋になったらまた来る。
初心者向けの魔法の本も、あれば探してくれる。
約束ではない。
でも、探してくれると言ってくれた。
「…………」
編み地を見る。
これが、ちゃんとしたマフラーになったら。
「ひとつは、おじさんにあげる」
母の手が止まった。
「行商人のおじさんに?」
「うん!」
「売らないの?」
「うん」
「どうして?」
「おしごと、おしえてくれた」
本も読ませてくれた。
初めて、お金ももらった。
だから。
「おれい」
「…………」
母が少し笑った。
「そう」
「うん!」
でも、一本だけではない。
もっと作れるようになったら。
「ほかのは、うる」
「売るの?」
「うん!」
「誰に?」
「…………」
止まる。
誰に?
「…………」
町の人。
でも、町の人の誰?
分からない。
「おみせする!」
「……お店?」
「うん!」
「どこで?」
「…………」
また止まる。
どこ?
行商人のおじさんは荷馬車。
でも、自分には荷馬車がない。
「…………ここ?」
家の前を指差す。
母がそちらを見る。
「家の前で?」
「うん!」
「…………」
母が考える。
三歳。
一人で店なんてできない。
お金も、まだちゃんと数えられない。
知らない人が来ても、全部自分だけではできない。
「お父さんにも相談しないとね」
「できる?」
「一人では駄目よ」
「…………」
「でも、お父さんとお母さんが一緒に見ていて、家の前で少し売るくらいなら……できるかもしれないわね」
「!」
できるかもしれない。
「やる!」
「まだ決まってないわよ」
「…………」
また早かった。
「それに」
母が手の中の編み地を見る。
「その前に、売れるものを作れるようにならないと」
「…………」
ガタガタ。
「うん」
まず、そこ。
◇ ◇ ◇
「じゃあ」
母が毛糸を指差す。
「何を作るの?」
「マフラー!」
これは決まっている。
「その次は?」
「ぼうし!」
「手袋は?」
「そのつぎ!」
昨日、教えてもらった。
マフラー。
帽子。
手袋。
少しずつ難しくなる。
「全部、秋までにできるかは分からないわよ」
「…………」
「マフラーだけでいっぱいかもしれないし、帽子までできるかもしれない。やってみないと分からないでしょう?」
「うん」
なら、まずマフラー。
ちゃんと作れるようになる。
そのあと、できそうなら帽子。
それもできたら、手袋。
「…………」
秋まで何日あるのかは、まだよく分からない。
でも、今日だけではない。
明日。
その次。
その次も練習できる。
「いっぱいれんしゅうする」
「うん。でも、ずっと編み物だけしてるわけにもいかないでしょう?」
「?」
「文字のお勉強は?」
「する!」
「魔法の練習は?」
「する!」
「動物の本は?」
「よむ!」
「計算は?」
「…………」
忘れていた。
「する!」
母が笑った。
「忙しいわね」
「うん!」
◇ ◇ ◇
計算。
行商人のおじさんにも言われた。
次に会うまでに覚えておく。
「おかあさん」
「なあに?」
「けいさん、おしえて」
「今から?」
「うん!」
「編み物は?」
「あとでする!」
「…………」
母が少し困ったように笑った。
「じゃあ、少しだけね」
「うん!」
机の上に、小さな入れ物を置く。
中から銅貨を出す。
五枚。
母が一枚ずつ並べた。
「今、いくつある?」
「ご!」
「ちゃんと数えてみて」
指を置く。
「いち」
次。
「に」
「さん」
「よん」
「ご」
「五枚ね」
「うん!」
母が、そのうち二枚を横へ動かした。
「じゃあ、この二枚を使ったら、残りはいくつ?」
「…………」
見る。
こっちには三枚。
指で数える。
「いち、に、さん」
「答えは?」
「さん!」
「正解」
「!」
できた。
次に、母が五枚を戻す。
「五枚持っています」
「うん」
「そこに三枚もらいました」
「…………」
銅貨は五枚しかない。
母が代わりに、小さな石を三つ置いた。
「これは銅貨だと思ってね」
「うん」
全部数える。
「いち、に、さん、よん、ご……」
石。
「ろく、なな、はち」
「いくつ?」
「はち!」
「正解」
「…………!」
計算。
できた。
少しだけ。
◇ ◇ ◇
「じゃあ」
母が、もう一つ考える。
「毛糸を買ったとするでしょう?」
「うん」
「銅貨二十枚」
「にじゅう……」
五枚より多い。
「それで、マフラーを二本作りました」
「うん」
「一つ十五枚で売れたら?」
「…………」
止まる。
十五。
二つ。
「…………」
分からない。
「三十枚になるの」
「さんじゅう!」
増えた。
「じゃあ、三十枚全部がお金が増えた分?」
「うん!」
「違うの」
「…………?」
違う?
「最初に毛糸を買うために、二十枚使ってるでしょう?」
「…………」
二十枚使った。
三十枚もらった。
「だから、増えたのは十枚」
「…………?」
分からない。
二十。
三十。
十。
頭の中で混ざる。
「もういっかい」
「いいわよ」
母が銅貨の代わりに小石を並べる。
でも、数が多い。
途中で、どれを数えたのか分からなくなる。
「…………」
難しい。
五枚から二枚なくなる。
それなら分かる。
五枚に三枚増える。
それも分かる。
でも。
買う。
作る。
売る。
使ったお金。
戻ってきたお金。
増えたお金。
一緒になると、急に難しくなる。
「分からない?」
「…………うん」
「じゃあ、今日はここまで」
「でも」
「最初から全部分からなくてもいいの」
「…………」
「五枚から二枚使ったら三枚。それが分かったでしょう?」
「うん」
「まずはそこから」
「…………」
順番。
編み物と同じ。
いきなり手袋は作れない。
計算も、いきなり全部は分からない。
「じゃあ、あしたもやる」
「そうしましょう」
◇ ◇ ◇
次の日。
朝は文字。
昨日までに覚えたものを読んで、少し書く。
そのあとは、銅貨や小石を使って数える。
一つ増える。
一つ減る。
二つ増える。
何度も繰り返す。
昼は母の手伝い。
そして、空いた時間には毛糸。
掛ける。
入れる。
引っ掛ける。
抜く。
失敗したら、ほどく。
もう一度。
疲れたら昼寝。
起きたら外へ出て遊ぶ。
ロッカを見かけたら、少し離れたところから様子を見る。
夕方は、町長から借りた動物の本。
知っているところは、前より少し早く読める。
知らない言葉が出たら、母に聞く。
夜。
静かな場所に座って、目を閉じる。
吸う。
吐く。
心臓。
手。
足。
指先。
お腹。
身体の感覚を、一つずつ確かめる。
「…………」
分からない。
今日も、魔力は分からない。
◇ ◇ ◇
次の日も、その次の日も。
毎日が同じだったわけではない。
文字をたくさん読める日。
途中で嫌になる日。
編み物が少しうまくいく日。
何度やっても、同じところで間違える日。
計算をすぐ答えられる日。
昨日できたのに、今日は間違える日。
「…………」
眠い。
そんな日は昼寝。
外へ行きたい。
そんな日は遊ぶ。
一日中、勉強しているわけではない。
できない。
まだ、三歳。
集中して。
疲れて。
遊んで。
眠って。
そして、またやる。
◇ ◇ ◇
編み物は、何度もほどいた。
最初は端がガタガタ。
次は、途中だけ細くなった。
また、ほどく。
次は、きつくしすぎて硬くなった。
「…………」
また、ほどく。
何度も同じ毛糸を使う。
でも、少しずつ変わる。
針を入れる場所を母に聞く回数が減った。
毛糸が外れて、最初からやり直すことも減った。
編み目の大きさも、少しずつ揃ってきた。
◇ ◇ ◇
計算も、少しずつ変わった。
最初は五枚全部を一枚ずつ数えた。
そのうち、一枚増えたら六枚。
二枚増えたら七枚。
小さな数なら、毎回最初から数えなくても分かることが増えた。
でも、数が大きくなると、まだ指や小石がいる。
毛糸を買う。
物を作る。
売る。
使ったお金と、戻ってきたお金。
それを一緒に考えるのは、まだ難しい。
だから、一つずつ。
◇ ◇ ◇
魔力だけは、なかなか分からなかった。
吸う。
吐く。
どくん。
どくん。
身体の温かさ。
指先。
お腹。
「…………」
これ?
違う?
分からない。
次の日。
また確かめる。
「…………」
昨日と違う。
なら、昨日のものは魔力ではなかった?
それも分からない。
だから、決めない。
また次の日。
その次。
何度も続けた。
◇ ◇ ◇
そうして、三週間ほど過ぎた。
「…………」
毛糸。
編み針。
手を動かす。
掛ける。
入れる。
引っ掛ける。
抜く。
もう、一つ動かすたびに母を見ることはない。
ときどき止まる。
間違えたら戻る。
それでも、また続ける。
やがて最後。
母に手伝ってもらいながら、形を整える。
「…………できた?」
母が持ち上げる。
「うん」
「…………」
二人で見る。
短い、子供用のマフラー。
最初に作ったガタガタの編み地とは違う。
もちろん、綺麗に揃った大人の作るものと比べれば、まだ編み目に少しばらつきがある。
端も、ほんの少し歪んでいる。
でも、首に巻ける。
途中でほどけない。
ちゃんと、マフラーとして使える。
「……最初より、ずっと綺麗になったね」
「ほんと?」
「うん」
母が自分の首に軽く当ててみる。
「ちゃんと使えるよ」
「…………!」
使える。
「うれる?」
すぐに聞く。
母はマフラーをもう一度見る。
「そうね……」
触る。
編み目を見る。
端を見る。
「高い値段はつけられないと思う」
「…………」
「もっと綺麗なものを作れる人もいるからね」
「うん」
「でも」
母がこちらを見る。
「これなら、欲しいって言ってくれる人がいるか聞いてみてもいいと思う」
「…………!」
初めてだった。
練習ではない。
途中でほどくものでもない。
最初から最後まで、自分で編んだ一本。
「…………」
触る。
柔らかい。
少しでこぼこ。
でも、使える。
「おじさんに、あげる?」
母が聞く。
「…………」
行商人。
秋。
まだ先。
その頃には、もっと上手になっているかもしれない。
「おじさんのは」
少し考える。
「もっと、じょうずにつくる」
「ふふ。そう」
「これ、うる?」
「売ってみたい?」
「…………」
頷く。
でも、すぐに別のことも浮かぶ。
本当に使える?
母は使えると言った。
でも、ほかの人は?
「…………」
「どうしたの?」
「これ、つかったら、どう?」
「使ったら?」
「へんじゃない?」
母が少し考える。
「誰かに使ってもらって、聞いてみる?」
「…………」
それも、いい。
売る。
そうしたら初めて、自分で作ったものからお金をもらえるかもしれない。
使ってもらう。
そうしたら、自分では分からないところを教えてもらえるかもしれない。
「…………」
どっち?
まだ、決めていない。
◇ ◇ ◇
その夜。
いつものように座る。
目を閉じる。
吸う。
吐く。
心臓。
どくん。
どくん。
手。
足。
指先。
「…………」
身体の中心。
そこから、ほんの少し。
何かがゆっくり広がるような。
「…………?」
目は開けない。
すぐに魔力だとは思わない。
呼吸?
違う。
心臓?
それとも、身体の温かさ?
分からない。
でも、ここ数日。
似たような感覚を何度か感じている。
毎回ではない。
強さも同じではない。
だから、まだ決めない。
明日も確かめる。
その次も、同じように。
「…………」
机の上には、銅貨五枚。
その隣には、初めて最後まで編み上げた小さなマフラー。
三週間前には、どちらもなかった。
いや。
銅貨は、あった。
でも。
編み物はできなかった。
計算も、ほとんどできなかった。
魔力は、今も分からない。
それでも。
少しずつ、できることは増えている。
秋は、まだ先。
だから。
明日も、続きをする。




