032 はじめての編み物
――はじめての編み物――
「ぼくでも、なにつくれる?」
母に聞く。
「そうねえ……」
母が籠の中の毛糸を見る。
「毛糸なら、いろいろ作れるわよ」
「いろいろ?」
「帽子とか」
「ぼうし!」
「手袋とか」
「てぶくろ!」
「マフラーとか」
「マフラー!」
「…………」
三つ、頭に浮かぶ。
帽子。
手袋。
マフラー。
どれも知っている。
冬になると、町の人たちが使っている。
「つくる!」
「どれを?」
「ぜんぶ!」
「…………全部?」
「うん!」
母が黙った。
こちらを見る。
編み針を見る。
毛糸を見る。
もう一度、こちらを見る。
「無理」
「…………」
すぐ言われた。
「なんで?」
「だって、まだ一回も編んだことないでしょう?」
「…………」
そうだった。
「作るなって言ってるんじゃないの」
母が籠を近くへ置く。
「順番に覚えましょう」
「じゅんばん?」
「そう」
母が自分の首を指差した。
「この中なら、最初はマフラーが一番いいかな」
「マフラー?」
「同じくらいの幅で、ずっと長く編んでいけばいいから」
両手で細長い形を作る。
「こう?」
「そうそう」
「じゃあ、かんたん?」
「簡単ではないわよ」
「…………」
違った。
「同じくらいの大きさで編み続けないと、途中で太くなったり細くなったりするし」
「…………」
「きつく編んだり、緩く編んだりしても綺麗にならないし」
「…………」
「途中で間違えたら直さないといけないし」
「…………」
いっぱいある。
「ぼうしは?」
「帽子は頭の大きさに合わせないといけないでしょう?」
自分の頭を触る。
丸い。
「形も作らないといけないから、マフラーより難しいわね」
「てぶくろは?」
母が今度は自分の手を見せる。
「指」
一本。
「これ」
二本。
「これ」
三本。
四本。
五本。
「一本ずつ作らないといけないの」
「…………」
自分の手を見る。
五本。
反対も五本。
「いっぱい」
「そうね。それに左右で大きさが全然違ったら困るでしょう?」
右手と左手を並べる。
同じくらい。
「…………」
難しそう。
マフラー。
帽子。
手袋。
「じゃあ」
母が毛糸を一本取る。
「まずは一番簡単なところからやってみる?」
「うん!」
◇ ◇ ◇
母が編み針を持つ。
「よく見てね」
「うん」
毛糸を掛ける。
針を入れる。
引っ掛ける。
抜く。
「こう」
「…………」
見る。
もう一回。
毛糸。
針。
入れる。
引っ掛ける。
抜く。
「…………」
できそう。
「やる!」
「はい」
編み針を受け取る。
毛糸を掛ける。
ここ。
次に、針を入れる。
「…………」
どこ?
「そこじゃないわよ」
「?」
「もう一つ手前」
「ここ?」
「そう」
入れる。
次に毛糸を引っ掛ける。
「…………」
するり。
外れた。
「あ」
「もう一回」
「うん」
やり直す。
掛ける。
入れる。
引っ掛ける。
「…………!」
今度はできた。
「ぬく!」
引く。
「…………あれ?」
違う。
「そっちに引っ張ったら駄目」
「…………」
また、やり直す。
◇ ◇ ◇
難しい。
ものすごく難しい。
見ているときは簡単だった。
母の手は、すぐに動いた。
毛糸を掛ける。
針を入れる。
引っ掛ける。
抜く。
同じこと。
でも、自分でやると針が違うところへ行く。
毛糸が外れる。
強く引きすぎる。
今度は緩すぎる。
「…………」
頭では分かっている。
ここに入れる。
これを引っ掛ける。
でも、指がそのとおりに動かない。
「なんで……」
「最初はそんなものよ」
「おかあさん、できる」
「お母さんは何回もやってるもの」
「…………」
何回も。
「ぼくも、いっぱいやったらできる?」
「練習すれば、今よりは上手になると思うわよ」
「…………!」
なら、やる。
◇ ◇ ◇
何度も繰り返す。
失敗。
戻す。
もう一回。
また失敗。
「ここ?」
「そう」
「これ?」
「もう少し緩く」
「…………」
またやる。
どれくらい経ったのかは分からない。
少しずつ、毛糸が形になっていく。
「…………!」
編めてる。
「おかあさん!」
「うん」
「できた!」
嬉しくなって持ち上げる。
「…………」
見る。
「…………?」
思っていたのと違う。
端はガタガタ。
こっちはきつい。
そこだけ、ぎゅっと縮んでいる。
その隣は緩い。
穴みたいに広がっている。
途中には、母に直してもらったところもある。
「…………」
母が作ったものを見る。
綺麗。
同じ大きさ。
自分のものを、もう一度見る。
ガタガタ。
「…………」
「最初なんだから、そんなものよ」
「これ、うれる?」
「え?」
「おみせにおいたら、かってくれる?」
母が少し困った顔をした。
「うーん……」
自分の編んだものを見る。
「これなら、お母さんは買わないかな」
「…………」
すぐ答えが返ってきた。
「なんで?」
「だって、せっかくお金を出すなら、ちゃんと使えるものが欲しいでしょう?」
「…………」
自分だったら?
銀貨八枚。
魔法の本。
お金を払う。
欲しいから買う。
もし、その本が破れていたら?
読めなかったら?
「…………」
いや。
「これ、へた?」
「まだ練習中ね」
「…………」
作った。
でも、売れない。
毛糸を編むことはできた。
少しだけ形にもなった。
でも。
何かを作れたからといって、誰かがお金を出してくれるとは限らない。
「…………」
「もういっかい」
「え?」
「もういっかいやる」
母が少し笑う。
「じゃあ、一度ほどきましょうか」
「うん」
せっかく編んだもの。
毛糸を引く。
少しずつ形がなくなる。
「…………」
なくなった。
でも、失敗した毛糸はまた使える。
なら。
もう一回。
◇ ◇ ◇
掛ける。
入れる。
引っ掛ける。
抜く。
「…………」
失敗。
ほどく。
もう一度。
掛ける。
入れる。
引っ掛ける。
抜く。
「…………」
さっきより少しやりやすい。
また繰り返す。
同じ動き。
何度も。
何度も。
最初は一本ずつ、どこへ動かすのか考えていた。
でも、何度もやっていると、少しだけ次に何をするのか手が迷わなくなる。
まだ遅い。
まだ母に聞く。
まだ失敗する。
でも、最初より少しだけ進む。
「…………」
楽しい。
文字とは違う。
文字は、形と音を覚えた。
編み物は、覚えただけではできなかった。
手を何度も動かさないと、うまくならない。
「…………」
もう一段。
◇ ◇ ◇
しばらくして、母が手を止めさせた。
「今日はこのくらいにしましょう」
「まだやる」
「ずっとやってたら手が疲れるわよ」
「…………」
手を見る。
少し疲れている。
編み針を握っていた指も、痛くはないけれど重い。
「明日もできる?」
「もちろん」
「じゃあ、あしたもやる」
「うん」
毛糸を見る。
今日作ったもの。
まだ、マフラーではない。
ただの短い編み地。
しかも、ガタガタ。
これでは売れない。
でも、最初よりは少しだけ揃っている。
「…………」
これをもっと綺麗にできたら、マフラーを作れるかもしれない。
マフラーがちゃんと作れたら、誰かが欲しいと思ってくれるかもしれない。
そうしたら、お金をもらえるかもしれない。
でも、その前に毛糸がいる。
「おかあさん」
「なあに?」
「これなくなったら、けいとかうんだよね?」
「そうね」
「おかねいる?」
「いるわよ」
「…………」
作るためにも、お金がいる。
作ったものが売れたら、お金をもらえる。
でも、毛糸を買ったら先にお金が減る。
「…………」
机の上。
小さな入れ物。
銅貨、五枚。
まだ一枚も使っていない。
それを見る。
それから、毛糸を見る。
「…………」
まだ買わない。
今は、母の余った毛糸がある。
まず、これで練習する。
ちゃんと作れるようになるまで、何度でもほどいてやり直す。
「おかあさん」
「ん?」
「マフラー、ちゃんとつくれるようになったら」
「うん」
「うれる?」
母は、すぐには答えなかった。
「ちゃんと使えて、欲しいって思ってくれる人がいればね」
「…………」
欲しいって思ってくれる人。
作れば、売れる。
ではない。
綺麗に作る。
それを欲しい人がいる。
そうして初めて、買ってもらえる。
「…………」
なら、まず作れるようになる。
一段。
同じくらいの大きさで。
次も同じように。
その次も。
ガタガタにならないように。
銅貨五枚は、まだそのまま。
秋までは、まだ何か月もある。
どこまで上手になれるのか、今は分からない。
だから、明日もまた編む。
売るためのものを作る前に。
まずは、誰かがお金を出してもいいと思えるものを。
自分の手で作れるようになるために。




