029 はじめて稼いだお金
――はじめての稼いだお金――
その夜。
魔力を感じる練習を終えて、布団に入った。
目を閉じる。
でも、なかなか眠れない。
考えていた。
「…………」
行商人のおじさんは、明日の朝、町を出る。
今日まで、いろいろ手伝った。
商品の場所を覚えた。
客が来たら呼んだ。
軽い箱を運んだ。
落ちているものを拾った。
片づけもした。
「…………」
ほかに何か、できること。
重いものは持てない。
お金はまだ分からない。
商品の説明もできない。
「…………」
今日のことを思い出す。
人が来る。
商品を見る。
買う。
また人が来る。
見る。
買わずに帰る人もいる。
「…………」
人が来なかったら?
商品は売れない。
なら。
「……おきゃくさん」
目を開ける。
「よんだら、いいんだ」
まだ店に来ていない人。
その人に、店があると教える。
そうしたら、来るかもしれない。
「…………」
できる。
重いものを持たなくても、できるかもしれない。
◇ ◇ ◇
翌朝。
いつもより少し早く家を出た。
「おじさん、おはよう!」
「おう」
行商人が荷台から顔を出す。
「また来たのか」
「きょうもてつだう」
「今日は昼前には出るぞ」
「うん!」
荷物は、もう少しずつ片づけられている。
それでも、最後に買いに来る人のために店は開いていた。
「…………」
道を見る。
何人か、町の人が歩いている。
一人の男の人が、こちらへ歩いてくる。
「…………!」
やってみる。
「おじさん!」
男の人が振り向いた。
「ん?」
「おみせあるよ!」
「店?」
荷馬車を指差す。
「いろいろあるよ! きょういなくなるよ!」
「…………」
男の人が荷馬車を見る。
「ああ。そういや今日までだったか」
そして、こちらへ歩いてきた。
「…………!」
来た。
自分も一緒に戻る。
「おじさん、おきゃくさん!」
「見りゃ分かる」
行商人が笑った。
男の人は荷台の商品を見る。
行商人と話し、針金と保存食を買った。
「…………」
売れた。
本当に買った。
自分が声をかけたから?
それは分からない。
もともと買うつもりだったのかもしれない。
でも、声をかけたあと、こっちへ来た。
「…………!」
行商人を見る。
「おじさん!」
「なんだ?」
「ぼく、おきゃくさんよんでくる!」
「待て待て待て」
走り出そうとして、すぐ止められた。
「?」
「どこまで行く気だ」
「おきゃくさん」
「だからって町中走り回るな」
「…………」
行商人が道を指差す。
「この道から見えるところだけ」
「うん」
「それと、嫌がってる人を追いかけるなよ」
「なんで?」
「嫌だって言ってるのに追いかけられたら困るだろ?」
「…………」
考える。
自分だったら。
嫌なのに、ずっと追いかけられる。
「いや」
「だろ?」
「うん」
「じゃあ、来ない人はそのままにしろ」
「わかった!」
今度こそ始める。
◇ ◇ ◇
女の人が歩いてくる。
「おみせ、きょうまでだよ!」
「知ってるよ」
そのまま歩いていった。
「…………」
来ない。
次。
別の人。
「おみせあるよ!」
「昨日見たからいいよ」
また、そのまま行ってしまう。
「…………」
来ない。
もう一人。
「おみせ――」
「今日はいいよ」
「…………」
来ない。
最初の人は来た。
でも、みんなが来るわけではない。
「…………」
どうして?
少し考える。
最初の人には、店が今日までだと言った。
でも、それだけ。
何があるかは言っていない。
「…………」
荷台を見る。
布。
糸。
針。
塩。
食器。
保存食。
いろいろ。
店がある。
それだけじゃなくて、何があるか言ったら?
◇ ◇ ◇
次に、女の人が歩いてくる。
手には小さな布。
それから、裁縫に使うものらしい何か。
「…………」
昨日、針を買いに来た人も似たようなものを持っていた。
「おばさん!」
「ん?」
「はりと、いとあるよ!」
女の人が止まった。
「あら」
荷馬車を見る。
「糸もあるの?」
「ある!」
これは知っている。
「何色?」
「…………」
止まる。
色。
「…………」
知らない。
「わかんない」
「あら」
「おじさんにきいて!」
女の人が笑った。
「じゃあ聞いてみようかね」
「!」
来た。
一緒に荷馬車まで戻る。
女の人は行商人に糸を見せてもらった。
何本か比べて、一本買った。
「…………!」
また、売れた。
◇ ◇ ◇
次は男の人。
手には、農作業で使っていたらしい道具。
「…………」
何を言う?
針?
違う気がする。
糸?
使うかもしれない。
でも、分からない。
昨日、男の人たちが買っていたものを思い出す。
保存食。
塩。
「おじさん!」
「ん?」
「しおあるよ!」
「塩?」
男の人が足を止める。
「いくらだ?」
「…………」
値段。
知らない。
「わかんない!」
「ははは!」
笑われた。
でも、男の人はこちらへ来た。
「値段も知らずに売ってるのか?」
「ぼく、うってないよ」
「じゃあ何してるんだ?」
「おきゃくさんよんでる!」
「そうかそうか」
男の人は笑いながら、行商人のところへ行った。
「…………」
来た。
でも、塩を買ったかどうか。
それだけを見る余裕は、もうなかった。
次の人が来たから。
◇ ◇ ◇
「おばさん、おなべあるよ!」
「昨日買ったばっかりだよ」
「…………」
失敗。
「おじさん、いとあるよ!」
「俺は要らんなぁ」
「…………」
また失敗。
「おねえちゃん、ほんあるよ!」
「私、文字読めないの」
「…………」
本、いらない。
「おじさん、はり――」
「急いでるからまた今度な」
「…………」
行ってしまった。
うまくいかない。
来ない人の方が、ずっと多い。
何を言えば、その人が止まるのか分からない。
持っているものを見ても、何が欲しいのか当たるとは限らない。
昨日何を買っていた人と似ているか考えても、同じものが欲しいとは限らない。
「…………」
難しい。
でも、ときどき止まる。
「布もある?」
「ある!」
「薬は?」
「あるよ! でも、おじさんにきいて!」
「保存食は残ってるか?」
「ある!」
知っていることは答える。
知らないことは、行商人へ連れていく。
少しずつ、それを繰り返した。
◇ ◇ ◇
「おみせ――」
声を出す。
「…………?」
変。
もう一度。
「おみせ、きょう……」
かすれる。
喉が少し痛い。
「…………」
水、飲みたい。
でも、まだ人がいる。
「おみせ……」
「坊や」
「?」
行商人が呼んだ。
「こっち来い」
「でも、おきゃくさん」
「いいから」
荷馬車へ戻る。
水を渡された。
「飲め」
「…………」
ごく。
ごく。
冷たい。
「もう少し休め」
「まだできる」
「その声でか?」
「…………」
声を出してみる。
「でき……る」
かすれた。
「声が出なくなったら、客も呼べんだろ」
「…………」
確かに。
呼びたい。
でも、声が出ない。
それでは呼べない。
「…………」
水をもう一口飲む。
少し座る。
「やすんだら、またできる?」
「少しはな」
「じゃあ、やすむ」
行商人が少し笑った。
「そうしろ」
「…………」
何もしない時間は、もったいないと思った。
でも、また続けるために休む。
それも必要らしい。
◇ ◇ ◇
昼前。
「よし。終わりだ」
行商人が店を閉じ始めた。
荷台へ商品が戻され、縄で荷物が固定される。
自分も軽いものだけ、最後まで手伝った。
「…………」
行商人は売ったものを確認している。
お金も数えている。
数字。
何枚。
いくら。
何かを書いている。
「…………」
見ても、まだよく分からない。
しばらくして。
「坊主」
「?」
呼ばれた。
「今日、お前が声をかけて、こっちまで来たのは……」
行商人が少し考える。
「俺が見てた範囲で十一人だな」
「じゅういち?」
「ああ」
そんなに呼んだ?
もっといっぱい声をかけた。
でも、来たのは十一人。
「そのうち、七人が何か買ってる」
「なな!」
それは分かる。
七人。
「ぼく、うった?」
「いや」
「…………?」
行商人が笑う。
「そこは違う」
「ちがう?」
「ああ。お前が声をかけなくても、もともと買いに来るつもりだった奴もいたかもしれん」
「…………」
そう。
最初の男の人も、今日までだと知っていた。
自分が呼ばなくても、あとで来たかもしれない。
「それに、何を買うか決めたのは客だ。売ったのは俺だ」
「…………」
「だから、全部お前のおかげってわけじゃない」
「そっか」
少し残念。
でも、行商人は続けた。
「ただ」
「?」
「役には立った」
「…………!」
「少なくとも、お前が声をかけたからこっちを見た奴はいた。それで店まで来た奴もいた」
「やくにたった?」
「ああ」
「…………」
嬉しい。
ものすごく嬉しい。
昨日まで、できることは箱を運ぶ、場所を教える、呼ぶ。
それくらいだった。
今日は、自分から考えた。
人を呼んだ。
失敗もいっぱいした。
でも。
役に立った。
◇ ◇ ◇
行商人が出発の準備を終える。
荷台を見る。
あの本もある。
『はじめての魔力――魔術基礎入門』
もう、読むことはできない。
行商人と一緒に町を出ていく。
「…………」
少し寂しい。
でも、昨日読んだ。
覚えた。
今夜も魔力を感じる練習をする。
明日も。
その次も。
「坊主」
「?」
行商人が呼ぶ。
手のひらに、何かを乗せている。
小さな硬貨。
「手、出せ」
「?」
両手を出す。
ちゃり。
ちゃり。
小さな硬貨が手のひらに落ちた。
「…………?」
数える。
「いち」
「に」
「さん」
「よん」
「ご」
五枚。
「これ、なに?」
「銅貨だ」
「どうか?」
「ああ」
「なんで?」
「今日の仕事代」
「…………」
見る。
銅貨。
五枚。
「ほんは?」
「本を読ませるってのは、昨日まで働いた分の約束だ」
行商人が荷台を指差す。
「今日は別だろ?」
「…………」
「客を呼んできた。箱も運んだ。最後まで手伝った」
「…………」
「だから、その分だ」
手の中。
五枚。
重くない。
魔法書は銀貨八枚。
これでは全然足りない。
それくらいは分かる。
でも。
「…………」
初めてもらった。
誰かに、ただもらったのではない。
仕事をした。
その代わりにもらった。
「これ、ぼくの?」
「ああ。お前のだ」
「…………!」
ぎゅっ。
握る。
硬い。
手の中で銅貨が当たる。
「ぼくのおかね」
「ああ」
もう一度、開く。
五枚。
「…………」
銀貨八枚には遠い。
ものすごく遠い。
でも。
昨日までは、一枚もなかった。
今日は、五枚。
◇ ◇ ◇
行商人が馬車へ乗る。
「じゃあな、坊主」
「うん!」
「母ちゃんの言うこと聞けよ」
「うん!」
馬が歩き始める。
荷車の車輪が、ゆっくり回る。
「おじさん!」
「ん?」
「またね!」
「ああ。またな」
馬車が少しずつ遠ざかる。
数メートル進んだところで。
「あ」
行商人が振り返った。
「そうだ」
「?」
「次にここへ来るのは、たぶん秋だ」
「あき?」
「ああ。何か月か先だな」
「…………」
何か月。
長い。
でも、また来る。
「そのときまで」
行商人が荷台の方を見る。
あの本も、そこにある。
「まだ魔法の勉強を続けてたら――」
こちらを見る。
「また働くか?」
「!」
すぐに頷く。
「やる!」
「ははっ。じゃあな」
「うん!」
馬車がまた進む。
今度こそ、町の外へ向かっていく。
「…………」
手を開く。
銅貨、五枚。
次に行商人が来るのは秋。
そのとき、自分は何ができるようになっているだろう。
文字は、もっと読めるかもしれない。
魔力も、感じられるようになっているかもしれない。
仕事だって、今より何かできるようになっているかもしれない。
「…………」
でも、それはまだ分からない。
だから今日から、またできることをする。
小さな手の中で。
初めて自分で働いて得た五枚の銅貨が、
ちゃり。
小さく音を立てた。




