↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ちいさなぼくのまもるもの  作者: 星乃いりす


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
25/85

025 きめるのは、おおかみさん

――きめるのは、おおかみさん――


「…………」


狼が、いなくなるかもしれない。


父親にそう聞いてから、ずっと考えていた。


森へ帰るかもしれない。


もっと遠くへ行くかもしれない。


そうしたら、もう会えないかもしれない。


「…………」


嫌だった。


もっと会いたい。


いつか、獣語魔法を覚えて話してみたい。


どうしてあのとき、あそこにいたのか。


脚は痛かったのか。


自分が近づいたとき、怖かったのか。


聞きたいことが、たくさんある。


それに。


いつか、触ってみたい。


今度は勝手に触るのではなく、狼がいいと思ってくれたら、そのときに。


「…………」


でも、父親が言っていた。


野生の狼だから、ずっとあそこにいるわけではない。


「…………」


紙を一枚持ってくる。


それから、もう一枚。


「また描くのか?」


父親が尋ねた。


「うん」


床に座り、炭筆を握った。


          ◇ ◇ ◇


最初の一枚。


まず、家を描く。


屋根。


壁。


扉。


少し曲がった。


でも、家。


その前に自分を描く。


そして、その隣には狼。


二人で並んで座っている。


少し離れたところには、水を入れた器。


自分の顔には、笑っているつもりの口。


狼の顔も、怖くない顔にする。


「…………」


できた。


自分と狼。


同じ家の前で、一緒にいる。


「いっしょに、くらす」


小さく呟く。


そうなったら嬉しい。


毎日会える。


いつか、話せるようになるかもしれない。


でも。


「…………」


もう一枚。


今度も家を描く。


家の前には自分。


そこから少し離れたところに狼。


さらにその向こうには、たくさんの木。


森。


狼は自分の方を向いていない。


森の方を向いて、歩いている。


自分は家の前で片手を上げる。


「ばいばい」


森へ帰る狼。


その後ろから、手を振っている自分。


二枚の絵を隣に並べた。


一枚目は、一緒にいる。


二枚目は、離れていく。


「…………」


本当は、一枚目がいい。


でも。


狼が森へ帰りたいなら。


「…………」


それでも、いい。


          ◇ ◇ ◇


母親が二枚の絵を見た。


「これは?」


一枚目を指差す。


「ぼくと、オオカミさん」


「一緒にいるの?」


「うん」


「こっちは?」


二枚目。


「オオカミさん、もりにかえる」


「…………」


母親が二枚を見比べる。


「両方渡すの?」


「うん」


「狼さんに、こっちにいてほしいんじゃなかったの?」


一枚目を見る。


「…………」


いてほしい。


だから、頷く。


「うん」


「じゃあ、どうしてこっちも描いたの?」


森へ帰る狼。


「…………」


少し考える。


「オオカミさんが」


「うん」


「もり、かえりたいかもしれない」


「…………」


「だから」


もう一度、二枚を見る。


一緒にいる絵。


森へ帰る絵。


「オオカミさんが、きめる」


母親は何も言わなかった。


ただ、少しだけ笑った。


          ◇ ◇ ◇


絵だけでは、分からないかもしれない。


だから、文字も書く。


一枚目。


『おおかみさん』


ここは、もう迷わない。


『ぼくと いっしょに』


「…………」


次。


『くらす?』


一文字ずつ、ゆっくり書く。


二枚目。


『もりに かえりたい?』


途中で一度止まる。


「…………」


覚えたはずなのに、形が出てこない。


前に使った紙を見る。


探す。


「あ」


見つけた。


確認して、もう一度書く。


そして、最後。


『ばいばいしても だいじょうぶ』


「…………」


長い。


今まで書いた文章より、ずっと長い。


途中で、どこまで書いたのか分からなくなる。


最初から読む。


また続きを書く。


一文字。


次の一文字。


時間をかけて、最後まで書く。


「…………できた」


二枚を並べる。


字はまだ歪んでいる。


大きな文字。


小さな文字。


間が広すぎるところもある。


それでも、読める。


『おおかみさん

 ぼくと いっしょに くらす?』


『もりに かえりたい?

 ばいばいしても だいじょうぶ』


「…………」


伝わるかは分からない。


でも、描きたかった。


          ◇ ◇ ◇


翌日。


二枚の紙を父親へ渡した。


「これ、りょうほうおいて」


「両方?」


「うん」


父親が一枚ずつ見る。


一緒にいる絵。


森へ帰る絵。


そして、書かれた文字。


「……選ばせるのか?」


「うん」


「お前は、こっちがいいんだろ?」


父親が、一緒に暮らす絵を指差す。


「うん」


「でも、こっちも置く?」


「うん」


「なんでだ?」


「…………」


森へ帰る狼を指差す。


「オオカミさんが、かえりたいなら」


「…………」


「かえっていい」


父親は、しばらく絵を見ていた。


それから、


「そうか」


とだけ答えた。


でも、もう一つ。


「ただな」


「?」


「もし狼が、どっちかの紙を持っていっても」


父親が二枚を指差す。


「それで、こっちを選んだってことにはならないぞ」


「…………」


これは、少し分かる。


今までにも何度もあった。


狼が紙を嗅いだ。


でも、どうして嗅いだのかは分からない。


紙をくわえた。


でも、どうしてその紙だったのかは分からない。


紙のそばに座った。


でも、何を考えていたのかは分からない。


「うん」


頷く。


「わからない」


「ああ」


「でも、おいて」


「分かった」


父親が二枚を預かった。


          ◇ ◇ ◇


二日後。


父親たちは、もう一度あの場所へ向かった。


自分は今回も町に残った。


そして、その日のうちに父親たちは戻ってきた。


「いたぞ」


「!」


「オオカミさん?」


「ああ」


まだ、いた。


でも。


「前より、森に近いところにいた」


「…………」


父親が、回収した二枚を床へ置く。


すぐにしゃがむ。


まず、一緒に暮らす絵。


「…………」


泥。


それから、何かが触れたような跡。


でも、紙そのものは置いたところからほとんど動いていなかった。


次。


森へ帰る絵。


「…………?」


こちらにも、何かが触れたような汚れ。


でも、それだけではない。


「これ、どこにあった?」


「置いた場所から少し離れたところだ」


「どれくらい?」


父親が部屋の端の方を指差す。


「四メートルくらいだな」


「…………」


かなり離れている。


「もりのほう?」


「ああ」


紙を見る。


森へ歩いていく狼。


「オオカミさん、これえらんだ?」


「分からない」


父親はすぐに答えた。


「でも、今回はどうして動いたかは見たぞ」


「!」


父親たちは、遠くから狼の様子を見ていた。


狼は最初に、一緒に暮らす絵へ近づいた。


鼻を寄せ、匂いを嗅ぐ。


それから、もう一枚。


森へ帰る絵にも同じように鼻を近づけた。


そして、その紙の端を口にくわえた。


「…………!」


狼は紙をくわえたまま、数歩歩いた。


森の方へ。


そして、紙を落とした。


「それだけだ」


「…………」


森へ帰る絵を、狼が運んだ。


森の方へ。


「…………」


でも。


それが「森へ帰る」と分かって選んだのかは、分からない。


たまたま、そちらの紙をくわえただけかもしれない。


紙ごとの匂いが、少し違ったのかもしれない。


狼にしか分からない。


「…………」


だから、絵だけでは答えにならない。


でも、父親の話にはまだ続きがあった。


          ◇ ◇ ◇


「そのあとだ」


「?」


狼は、すぐには森へ入らなかった。


しばらく、その辺りにいた。


周囲を見る。


地面の匂いを嗅ぐ。


ゆっくり歩く。


そして、やがて森の方へ身体を向けた。


「…………」


歩き始める。


右の後ろ脚は、もう引きずっていない。


ほかの脚と同じように地面へつく。


一歩。


また一歩。


普通に歩いていく。


父親たちは、遠くから見ていた。


誰も追わなかった。


狼は森へ向かう。


その途中、一度だけ立ち止まった。


「…………」


「こっちを見たんだ」


父親が言う。


「こっち?」


「ああ。町のある方だ」


「…………」


どうして見たのかは分からない。


父親たちに気づいたのかもしれない。


何かの音を聞いたのかもしれない。


ただ、一度。


町の方へ顔を向けた。


それから、また前を向く。


歩く。


木々の間へ入る。


灰色と茶色の身体が、少しずつ木の向こうへ隠れていく。


そして。


見えなくなった。


「…………」


「追わなかった?」


「ああ」


「なんで?」


「追う理由がないからな」


父親は静かに答えた。


「自分で歩いていったんだ」


「…………」


その言葉を聞いて、森へ帰る絵を見る。


自分で、歩いていった。


          ◇ ◇ ◇


次の日。


狼は現れなかった。


その次の日も、来なかった。


三日目。


父親たちが、もう一度だけ周囲を確認した。


狼の姿はなかった。


以前ハンカチを置いていた場所にも、狼が来たと分かるような跡は見つからなかった。


「…………」


森へ帰ったのだろうか。


分からない。


脚がよくなったから、もっと獲物のいる場所へ移ったのかもしれない。


仲間を探しに行ったのかもしれない。


別の場所へ歩いていったのかもしれない。


本当のことは、狼にしか分からない。


ただ。


もう、あの場所には狼はいなかった。


          ◇ ◇ ◇


回収された二枚の絵を見る。


一緒に暮らす絵。


森へ帰る絵。


挿絵(By みてみん)


一緒には、暮らせなかった。


「…………」


少し、寂しい。


本当は、もっと会いたかった。


いつか話したかった。


触ってもいいか、聞いてみたかった。


でも。


捕まえなかった。


追いかけなかった。


食べ物で引き止めることもしなかった。


狼は、自分の脚で森の方へ歩いていった。


「…………」


右手を見る。


小さな傷跡。


最初に会った日。


知らないまま近づいて、勝手に手を伸ばした。


あのときは、狼がどうしたいのか考えていなかった。


でも。


今は、少しだけ違う。


「…………」


森へ帰る絵を、そっと持ち上げる。


狼がこの絵を選んだのかは分からない。


でも。


狼が自分で森へ歩いていったことは分かる。


「ばいばい」


小さく呟いた。


届かない。


それでも、もう一度。


「オオカミさん、ばいばい」


決めるのは、自分ではない。


狼がどこへ行くのか。


誰といるのか。


戻ってくるのか。


もう会わないのか。


それを決めるのは、狼だった。


          ◇ ◇ ◇


――大陸暦七二七年・夏。


狼の姿を見なくなってから、およそ一か月。


季節は、まだ夏。


毎日の生活は大きく変わっていなかった。


朝、起きる。


ご飯を食べる。


文字を読む。


書く。


町長から借りた本を読む。


知らない言葉があれば聞く。


魔法のことも、まだ諦めていない。


むしろ、前より覚えたかった。


いつかまた、あの狼に会えたら。


今度こそ、言葉を交わしてみたい。


だから、勉強を続ける。


そんなある日。


町の入口から、馬車の音が聞こえてきた。


          ◇ ◇ ◇


荷物を積んだ一台の馬車。


年に何度か、この町へやってくる行商人だった。


荷台には、いろいろなものが積まれている。


食器。


針。


布。


薬。


保存食。


町ではなかなか手に入らないものもある。


大人たちが少しずつ集まってくる。


「…………」


自分も母親のそばから荷台を眺める。


知らないものが、たくさんある。


その中。


荷台の端に、何冊かの古びた本が重ねられていた。


「…………!」


本。


近づいて、表紙を見る。


文字がある。


「…………」


読む。


すぐには読めない。


指で一文字ずつ追う。


「はじ……めて……の……」


次。


「まりょく……」


「…………!」


そこで目が止まった。


もう一度、最初から読む。


『はじめての魔力――魔術基礎入門』


「…………まほう」


本物だ。


挿絵(By みてみん)


今まで探しても、家にはなかった。


町長のところにも見つからなかった。


大人に聞いても、詳しいことは分からなかった。


でも。


今、目の前にある。


手を伸ばしかける。


そして、本のそばについている札に気づいた。


「…………」


数字。


これは読める。


銀貨八枚。


「…………」


自分の服を見る。


ポケット。


何もない。


そもそも、自分のお金なんて持っていない。


「…………」


もう一度、本を見る。


欲しい。


ものすごく、欲しい。


でも、欲しいからといって、もらえるわけではない。


銀貨八枚。


三歳の自分には、まだ一枚もない。


それでも、その本から目を離せなかった。


ずっと探していたものが、初めて手を伸ばせるところに現れた。


魔法を学ぶための。


最初の一冊が。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます☺️ 少しでも「続きが気になる」「この子をもう少し見守ってみたい」と思っていただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると、とても嬉しいです。 皆さまからの応援を励みに、これからも小さな主人公の物語を大切に書いていきます。 次のお話も楽しんでいただけますように。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。