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ちいさなぼくのまもるもの  作者: 星乃いりす


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20/92

020 残された痕跡

――残された痕跡――


床にしゃがみ込む。


目の前には。


泥のついた紙。


少し汚れたハンカチ。


そして。


二つの穴が開いた絵。


「…………」


何があったのだろう。


分からないなら。


よく見てみる。


「よくみる」


父親は何も言わなかった。


手も出さない。


ただ隣にしゃがんで、こちらを見ている。


最初に手に取ったのは。


ハンカチだった。


          ◇ ◇ ◇


もともとは家で使っていた布。


自分の匂いをつけて、父親に持っていってもらったもの。


今は。


白かったところに、ところどころ土がついている。


「…………」


端を見る。


何もない。


真ん中。


土。


裏返す。


「あれ?」


一か所だけ。


ほかより濃く汚れている。


指で触ろうとして。


その近くにあるものが目に入った。


「…………?」


細い。


短い。


灰色と茶色が混ざったようなもの。


顔を近づける。


「おとうさん、これ」


「ん?」


父親も顔を近づけた。


「毛か?」


父親が指を伸ばす。


けれど。


触れる直前で止めた。


「待て。そのままにしておこう」


「なんで?」


「取れたら分からなくなるだろ」


「…………」


もう一度見る。


短い毛。


「オオカミさん?」


「かもしれない」


「!」


「でも、まだ分からんぞ」


父親がすぐに続けた。


「犬かもしれないし、ほかの動物かもしれない」


「…………」


狼の毛。


そう思ったのに。


まだ違うかもしれない。


でも。


何もなかったわけではない。


ここには。


自分のものではない毛が一本ついている。


「…………」


触らないようにして。


次を見る。


          ◇ ◇ ◇


今度は教材。


泥のついた紙を一枚ずつ見る。


文字。


絵。


土。


「…………」


最初は。


ただ汚れているようにしか見えなかった。


でも。


紙を少し傾けてみる。


「?」


何か変だ。


もう一度、元に戻す。


また傾ける。


泥のつき方が。


全部同じではない。


「…………」


丸いところ。


その先に。


小さく出っ張ったような跡。


何かに似ている。


でも。


何だっただろう。


「おとうさん」


「ん?」


「これ、なに?」


指差す。


父親も覗き込んだ。


「どれ?」


「ここ」


「…………」


父親がしばらく見る。


「足跡……か?」


「どうぶつ?」


「そう見えなくもないな」


「オオカミさん?」


「いや、これは分からんな」


紙そのものが小さい。


跡も全部残っているわけではない。


途中だけ。


「これだけじゃ、父さんには何の足跡か分からん」


「…………」


また。


分からない。


狼かもしれない。


違う動物かもしれない。


でも。


足跡かもしれないものがある。


それは覚えておく。


          ◇ ◇ ◇


そして。


最後。


一番気になっていた紙を見る。


自分と狼が。


一緒にパンを食べている絵。


その端に。


二つの小さな穴が開いている。


「…………」


一つ。


その隣に。


もう一つ。


指を近づける。


でも触らない。


二つの穴を交互に見る。


「…………」


何か。


見たことがある気がした。


二つ。


尖ったもの。


そこで。


右手を見る。


傷はかなり治った。


けれど。


跡はまだ残っている。


あの日。


目の前で見たもの。


狼の口。


白い歯。


牙。


「…………!」


紙を見る。


二つの穴。


自分の手を見る。


もう一度、穴。


「おとうさん」


「ん?」


紙を持ち上げる。


「オオカミさん、かんだ?」


父親は答えなかった。


紙を受け取る。


穴を見る。


裏返す。


また表を見る。


「……可能性はあるな」


「やっぱり?」


「待て待て」


嬉しくなりかけたところで止められた。


「可能性があるってだけだ」


「…………」


「狼が噛んだのかもしれない。でも、別の動物かもしれない」


「…………」


そうだった。


父親は穴の周りも見る。


「もし狼だったとしても、どうして噛んだのかまでは分からん」


「え?」


「お前の絵を見て、『これはお前と自分だ』って分かって噛んだとは限らないってことだ」


「…………」


絵を見る。


これは。


自分と狼。


自分には分かる。


母親にも。


父親にも分かった。


でも。


狼にも同じように見えるのか。


それは分からない。


「匂いが気になったのかもしれないしな」


父親が言う。


「におい?」


「ああ。お前も母さんも触ってるだろ。炭の匂いだってする」


「…………」


そうか。


紙には。


いろいろな匂いがついている。


「食べ物があると思ったのかもしれない。まあ、これも分からんがな」


「…………」


分からないことばかりだ。


でも。


二つの穴があることだけは。


見れば分かる。


          ◇ ◇ ◇


紙を一枚ずつ並べ直す。


「…………」


文字だけの紙。


絵を描いた紙。


文字だけのものは。


少し土がついているくらい。


でも。


絵を描いたものは。


さっきの穴。


泥。


何かが触ったような跡。


「…………?」


もう一度。


一枚ずつ見る。


文字。


絵。


文字。


絵。


「おとうさん」


「今度は何だ?」


「こっち、いっぱいよごれてる」


「こっち?」


絵のある紙を指差す。


それから。


文字だけの紙。


「こっちは、あんまり」


父親も見比べた。


「……確かにな」


「オオカミさん、えをみた?」


「それはまだ分からん」


「…………」


やっぱり。


すぐには答えが出ない。


「でも、違いに気づいたのはいいことだ」


「ちがい?」


「ああ」


父親が紙を指差す。


「文字だけの紙より、絵のある紙の方が汚れてる。これは見れば分かる」


「うん」


「でも、なんでそうなったのかは分からない」


「…………」


見る。


分かる。


考える。


でも。


考えたことが、本当にそうなのかは別。


少し難しい。


「じゃあ……」


パンの絵が描かれた紙を見る。


そこにも。


何かで押したような汚れがある。


「パン、みた?」


「かもしれない」


「…………」


「違うかもしれない」


「…………」


父親を見る。


「ぜんぶ、わからない」


父親が笑った。


「ああ。分からんことは分からん」


「…………」


「でも、分かったこともあるだろ?」


もう一度。


目の前に並んだものを見る。


ハンカチには。


短い灰茶色の毛。


紙には。


足跡のように見える泥。


一緒にパンを食べている絵には。


二つの穴。


そして。


文字だけの紙より。


絵を描いた紙の方が汚れている。


「…………」


何がそうしたのかは分からない。


でも。


そこにあるものは。


見つけられた。


          ◇ ◇ ◇


もう一度。


ハンカチを見る。


灰色と茶色が混じった、短い毛。


「…………」


父親は。


狼の毛かもしれないと言った。


でも。


犬かもしれない。


ほかの動物かもしれない。


自分には分からない。


父親にも分からない。


なら。


誰なら分かるのだろう。


「…………」


少し考える。


動物。


毛。


足跡。


どこかで聞いた。


狼へパンを持っていってもいいか。


父親たちが聞きに行った人。


「…………あ」


顔を上げる。


「おとうさん」


「ん?」


「りょうしさん」


「猟師?」


「うん」


ハンカチを指差す。


「これ、みてもらう」


「…………」


「オオカミさんのけか、わかる?」


父親がハンカチを見る。


それから。


足跡らしき泥のついた紙を見る。


「そうだな」


少し考えて。


頷いた。


「俺よりは分かるかもしれん」


「!」


分からないなら。


知っている人に聞けばいい。


自分より。


父親より。


動物をたくさん見ている人。


「りょうしさんに、きく」


ハンカチを見る。


そこについている。


たった一本の毛。


まだ。


狼のものかどうかは分からない。


でも。


分からないままにしておく必要もない。


知っている人がいるなら。


聞いてみればいい。


紙を見て。


違いを見つける。


分からないことを考える。


それでも分からなければ。


知っている人に聞く。


そんなやり方を。


まだ三歳の自分は。


少しずつ覚え始めていた。

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ここまで読んでいただき、ありがとうございます☺️ 少しでも「続きが気になる」「この子をもう少し見守ってみたい」と思っていただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると、とても嬉しいです。 皆さまからの応援を励みに、これからも小さな主人公の物語を大切に書いていきます。 次のお話も楽しんでいただけますように。
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