↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ちいさなぼくのまもるもの  作者: 星乃いりす


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
16/86

016 はじめての猛勉強

――はじめての猛勉強――


目の前に並んだ文字を見つめる。


一つ。


二つ。


三つ。


まだ、たくさんある。


さっきは十個でも多いと思った。


けれど。


これを覚えれば、本が読めるようになる。


本が読めれば、魔法について勉強できる。


魔法を覚えれば。


いつか、狼と話せるかもしれない。


「…………」


そう考えると。


やることは決まっていた。


「きょう、ぜんぶおぼえる」


「全部?」


母親が少し驚いた。


「うん」


そして。


当然のように、その先のことも口にする。


「それで、オオカミさんにおてがみかく」


「…………」


今度は母親が黙った。


「狼さんに?」


「うん!」


迷いはない。


文字を覚える。


文字を覚えたら、手紙を書く。


手紙を書けば、言いたかったことを狼へ伝えられる。


自分の中では、きれいにつながっていた。


けれど。


「でもね……」


母親が少し困ったように笑う。


「狼さんは、文字を読めないと思うよ?」


「…………」


止まった。


紙を見る。


文字を見る。


それから。


父親が向かった街道の方を見る。


「……よめない?」


「たぶんね」


「…………」


考えていなかった。


自分が文字を覚えれば、文字が読める。


なら。


書けば伝わる。


そう思っていた。


でも。


自分だって、今日まで文字を読めなかった。


母親から教えてもらって、初めて少し分かるようになった。


なら。


誰にも文字を教えてもらっていない狼が、読めるはずもない。


「…………」


少しだけ。


残念だった。


せっかく文字を覚えようと思ったのに。


手紙を書いても、狼には読めない。


でも。


しばらく考えてから、もう一度紙を見る。


読めなくても。


書くことはできる。


狼に言いたかったことを、紙に残すことはできる。


ハンカチと一緒に置いてもらうこともできる。


「それでも、おてがみかく」


母親が目を瞬いた。


「読めなくても?」


「うん」


狼には読めない。


それでも。


書きたかった。


母親は少しだけ笑った。


「そっか」


そして。


もう一度、文字の書かれた紙をこちらへ向けた。


「じゃあ、まずはお勉強ね」


「うん!」


          ◇ ◇ ◇


「これは?」


「……これ!」


「じゃあ、これは?」


「こっち!」


「これは?」


「…………」


分からない。


さっき見た。


どこかで見た。


でも。


思い出せない。


「…………わかんない」


「じゃあ、もう一回ね」


母親が読み方を教えてくれる。


聞く。


文字を見る。


覚える。


次。


また次。


朝から、それを何度も繰り返した。


最初は楽しかった。


新しい文字を覚えるたびに、読めるものが増えていく。


一つ覚える。


もう一つ覚える。


さっき分からなかったものが、分かるようになる。


けれど。


文字が増えてくると、少しずつ混ざり始めた。


「これは?」


「…………」


答える。


「違うわ。こっちね」


「あ……」


間違えた。


もう一度覚える。


少しして。


「じゃあ、これは?」


「…………」


また間違えた。


「さっきの……」


「そう。さっきもやったね」


「…………」


悔しい。


だから、もう一度。


覚える。


          ◇ ◇ ◇


昼になった。


「一回、ご飯にしましょう」


「まだやる」


「ご飯を食べてから」


「…………」


文字を見る。


まだ覚えていないものがある。


「ご飯を食べたら、またやればいいでしょう?」


「…………うん」


仕方なく炭を置いた。


食事をしている間も。


頭の中には文字が残っていた。


これ。


あれ。


さっき間違えたもの。


食べ終わると。


「つづき!」


母親が少し驚いた顔をした。


「もう?」


「うん」


再び紙の前へ座る。


          ◇ ◇ ◇


午後。


今度は母親が文字の順番を変えた。


「これは?」


答える。


「じゃあ、これは?」


答える。


「これは?」


「…………」


迷う。


答える。


「違う」


「…………」


まただ。


もう一度。


今度は合っていた。


しばらくして、また同じ文字を出される。


今度も答えられた。


「そう。覚えたね」


少し嬉しい。


でも。


文字を覚えるだけではなかった。


母親が、簡単な言葉も書いてくれる。


知っている文字を一つずつ拾う。


「…………」


一文字。


次の文字。


その次。


ゆっくりつなげる。


知っている言葉なら。


「あ!」


途中で分かることもあった。


知らない言葉なら。


最後まで読めても、意味が分からない。


「これ、なに?」


そう聞けば、今度は言葉の意味を教えてもらう。


文字を覚えれば、全部分かる。


そう思っていた。


でも違った。


文字が読めても。


言葉を知らなければ、意味は分からない。


知らないことが。


また増えた。


          ◇ ◇ ◇


書く練習もした。


右手には、まだ包帯が巻かれている。


だから左手で炭を握る。


すっ。


「…………」


違う。


母親が書いた形と見比べる。


もう一度。


すっ。


今度は線が長すぎた。


「むずかしい……」


読むのとは違う。


見れば分かる文字でも。


自分で同じ形を書くのは難しかった。


「今日は無理に書かなくてもいいのよ」


母親が言う。


「右手が治ってから、ゆっくり練習すればいいから」


「…………」


少し考える。


それから頷いた。


今日は読む方をやる。


書くのは。


手が治ってから、もっとやればいい。


          ◇ ◇ ◇


夕方。


「…………」


紙を見る。


朝からずっと見ていた文字。


もう。


最初のころほど頭に入ってこなかった。


「これは?」


母親が指差す。


「…………」


知っている。


知っているはずなのに。


なかなか出てこない。


「…………」


目をこする。


「今日はここまでにしましょう」


「まだ……」


「もう十分よ」


「でも、ぜんぶ……」


今日、全部覚える。


朝、自分でそう言った。


けれど。


まだ全部は覚えていない。


「…………」


悔しい。


母親は、そんな様子を見て笑った。


「朝は、ほとんど読めなかったでしょう?」


「うん……」


「でも今は?」


母親が、いくつかの文字を指差していく。


答える。


次。


答える。


次。


少し迷ってから答える。


「ほら」


「…………」


紙を見る。


朝には知らなかった文字が。


今は、分かる。


全部ではない。


間違える文字もある。


似ているものは迷う。


知らない言葉もたくさんある。


文章だって、まだ読めない。


自分で文字を書くのも難しい。


それでも。


朝とは違う。


母親が初めて見る簡単な言葉を書いた。


「じゃあ、これは?」


「…………」


一文字ずつ見る。


知っている。


次も。


知っている。


ゆっくり。


本当にゆっくり。


音をつなげていく。


「…………」


読めた。


意味も知っている言葉だった。


顔を上げる。


母親も少し驚いていた。


「本当に、覚えるの早いのかもね」


「…………」


早いのかどうかは、よく分からない。


ただ。


もっと覚えたい。


そう思った。


でも。


頭が重い。


眠い。


もう一度文字を見ても、さっきよりぼんやりする。


まだやりたいのに。


頭の方が、もう嫌だと言っているようだった。


          ◇ ◇ ◇


それでも。


一つだけ。


まだやりたいことがあった。


「おてがみ……」


母親を見る。


「書きたいの?」


こくん。


頷く。


「でも……」


右手を見る。


まだ包帯。


左手で文字を書くのも、うまくできない。


それに。


言いたいことを全部自分で書けるほど、文字を覚えたわけでもない。


母親は少し考えてから、新しい紙を用意した。


「じゃあ、あなたが言って」


「?」


「母さんが書いてあげる」


「…………」


目の前に置かれた、真っ白な紙を見る。


自分では、まだ書けない。


でも。


言いたいことならある。


母親が炭筆を持った。


「狼さんは読めないと思うけど、それでもいい?」


「うん」


迷わず頷く。


狼には読めない。


それでもいい。


今の自分が伝えたいことを。


文字にして残しておきたい。


母親が紙の上に炭筆を構えた。


「じゃあ――」


こちらを見る。


「狼さんに、なんて書く?」


「…………」


初めての手紙。


誰かに手紙を書いたことなんて、一度もない。


何から言えばいいのかも分からない。


それでも。


頭の中には。


あの灰色の狼の姿が浮かんでいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます☺️ 少しでも「続きが気になる」「この子をもう少し見守ってみたい」と思っていただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると、とても嬉しいです。 皆さまからの応援を励みに、これからも小さな主人公の物語を大切に書いていきます。 次のお話も楽しんでいただけますように。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。