第七部:後輩ができた夜 第二十三話:新人の失敗
春の気配が漂い始めた頃、ホテル・ノクターンの夜間フロントに、新しい仲間が加わることになった。
「今度から、夜間コンシェルジュとして、お世話になります。三笠と申します」
緊張した面持ちで挨拶をしたのは、灯より二つ年下の、真面目そうな青年だった。灯が入社してから、ちょうど一年が過ぎた頃のことだった。
「結城です。分からないことがあれば、何でも聞いてくださいね」
「よろしくお願いします!」
桐生から、三笠の指導役を任された灯は、少し戸惑いながらも、これまで自分が教わってきたことを、丁寧に伝えていくことにした。
「この仕事で、一番大切にしていることは、"踏み込みすぎず、見過ごさない"という姿勢です」
「踏み込みすぎず、見過ごさない、ですか」
「はい。お客様の様子に、違和感を覚えることがあっても、無理に踏み込みすぎず、かといって、見て見ぬふりもしない。その、絶妙な塩梅を、大切にしています」
三笠は、真剣な表情で、メモを取っていた。
数日後、三笠が初めて、一人でフロントを任される夜がやってきた。灯は、少し離れた場所から、見守ることにした。
深夜二時頃、疲れた様子のビジネスマンが、チェックインに訪れた。三笠は、緊張しながらも、丁寧に手続きを進めていたが――
「お客様、少し、お疲れのようですね。何か、大変なことでも、おありですか」
いきなり踏み込んだ問いかけに、灯は、思わずヒヤリとした。案の定、客は、少し不快そうに眉をひそめた。
「……別に、大したことでは」
「そうですか。もしよろしければ、何でも、お話しくださいね。私、聞き上手なんです」
食い下がるような態度に、客は、明らかに、うんざりした様子を見せた。
「……いえ、結構です。部屋の鍵を、いただけますか」
気まずい沈黙の中、灯は、そっと三笠に近づき、代わりに対応を引き継いだ。
「大変、失礼いたしました。お部屋は、こちらでございます」
客が部屋へ去った後、三笠は、しょんぼりと肩を落としていた。
「すみません……余計なことを、言ってしまいました」
「大丈夫ですよ。誰でも、最初は、そういう失敗をするものです」
灯は、優しく声をかけながら、続けた。
「三笠さんは、お客様のことを、気にかけようとする気持ちが、強いんだと思います。それ自体は、とても大切なことです。ただ」
「ただ?」
「その気持ちを、どう表現するかが、難しいところなんです。踏み込みすぎると、お客様は、かえって、距離を取りたくなってしまう」
灯は、少し考えながら、続けた。
「私も、最初は、随分と、失敗を重ねました。桐生さんに、何度も、助けてもらいながら、少しずつ、その塩梅を、覚えていったんです」
その言葉に、三笠は、少し安堵したように、表情を緩めた。
「結城さんにも、そんな時期が、あったんですね」
「もちろんです。今でも、時々、迷うことがあります」




