第十話:七日目の夜に
命日の夜、男性――黒田は、いつもより早い時間に、バーカウンターを訪れた。
「今夜が、最後になります」
「かしこまりました。今夜は、いつものカクテルで、よろしいでしょうか」
「ええ、お願いします」
灯は、丁寧にカクテルを用意しながら、ふと、一つの提案を思いついた。
「黒田様。差し出がましいかもしれませんが、一つ、ご提案がございます」
「なんでしょう」
「今夜を最後の巡礼となさるのであれば、最後に、婚約者様への、感謝のお手紙を書かれてはいかがでしょうか。区切りをつけるという意味でも、お気持ちを言葉にすることは、良い機会になるかと思います」
黒田は、しばらく考え込んだ後、静かに頷いた。
「……そうですね。やってみます」
灯は、フロントから便箋とペンを用意し、黒田に手渡した。しばらくの間、バーカウンターには、静かな時間が流れた。黒田は、何度も言葉を選びながら、丁寧に手紙をしたためていく。
書き終えた頃には、既に、夜明けが近づいていた。
「書けました。……随分と、長い間、待たせてしまいましたね」
「お疲れ様でした。よろしければ、そのお手紙、どうなさいますか」
「彼女が眠る、墓地に持っていこうと思います。今日、これから」
黒田は、晴れやかな、それでいて、どこか寂しさの残る表情で、席を立った。
「五年間、ありがとうございました。このホテルにも、そして、話を聞いてくれた、あなたにも」
「これからも、時々、いらしてください。命日でなくても、思い出話をしに」
その言葉に、黒田は、初めて、はっきりとした笑みを浮かべた。
「ええ、そうさせてもらいます。今度は、本当の名前で、予約させてもらいますよ」
黒田が去った後、桐生が、静かに口を開いた。
「今回も、良い塩梅だったな」
「そうでしょうか」
「ああ。踏み込みすぎず、見過ごさない。それに加えて、今回は、一歩踏み込んだ提案もしていた。手紙を書く、という」
「差し出がましかったでしょうか」
「いや」
桐生は、珍しく、はっきりと微笑んだ。
「結城さんも、この仕事に、随分と馴染んできたようだな」
その評価に、灯は、静かな誇らしさを覚えた。
窓の外、夜明けの光が、今日もまた、ロビーを静かに照らし始めていた。七日間続いた、一つの巡礼が、こうして、静かに幕を閉じた。
ホテル・ノクターンには、今夜もまた、新しい"言えない事情"を抱えた客たちが、訪れることだろう。そのすべてに、丁寧に向き合っていくことこそが、結城灯という、夜間コンシェルジュの、変わらぬ使命だった。
(第二部・完)




