9 見窄しい女の卒業
「海港税の根拠を現すにはこの部分の歳入とこの部分の歳出を・・・そして前年度と比較して・・・」
今、マグーシュ公爵邸ではアルオニ国から来た文官達の勉強会が開かれていた。
猶予は三日間。
これ以上掛かると引き延ばす事が難しくなる。
ただ、彼らに教える事はさほど難しい事ではなかった。
一度は彼らも行ってきていた業務であったため、少し教えるだけで記憶を甦らせる事ができた。
三日間など十分に余裕が残る時間であった。
文官達が一生懸命に記憶を甦らせようとしている中でグレイブ殿下はその光景をみながら紅茶を啜っていた。
しかし、誰もグレイブ殿下を責める事はしない。
グレイブ殿下には甦らせる記憶がないし覚える能力もない事を皆が知っていたからだ。
「すまなかった」
最終日の休憩中の時であった。
グレイブ殿下がマーガレットに向け頭を下げたのであった。
今迄、殿下が私に頭を下げる姿を見たことがないため、皆はその姿を見て目を見開く。
「私は君の姿ばかりを気にして、君が置かれている状況を理解しようとしなかった。君は私の公務だけを行っていただけだと思っていたが、まさかこれ程アルオニ国の土台を担っていたとは知らなかった。いや、知ろうとしなかった」
「殿下・・・」
「カイルの事を覚えているか?」
カイル殿下は王宮最後の日に言葉を交わしていた。
実は今回の視察団にカイル殿下の姿がないことに不思議に思っていた。
カイル殿下がもし来ていればもう少し違った流れで話を進める事が出来たかもしれない。
「実は今回の視察を考えたのはカイルなんだ。アイツ自身は東の領地の暴動を鎮圧させるために交渉へと向かったため来ることは出来なかったのだがな」
「そうなのですね」
「アイツは俺とは違い頭がいい。アルオニ国には何も出来ない私よりもカイルのような者が必要だろう」
「殿下・・・」
「カイルが無事に戻り、私も王宮に戻る事が出来たならば私は今回の責任をとり王宮から出ようと思う」
「!!」
「良いのだ。カイルは良き王となれるだろう。私は良き伴侶を自ら捨てた時点で王となる資格を失った」
「殿下、去るのではなく支えて下さい」
「私には支える能力がない」
「やり方でございます」
「やり方?」
「今回、殿下が頭を下げ引継ぎが行われる事となりました。やり方でございます」
「そうか・・・やり方か・・・」
グレイブ殿下が再び紅茶を啜る。
この時の殿下はトゲがとれ角が削れたようであったが、今までより大きくなられたように見えた。
「そういえばフレアという文官はお前の同級だったか?」
「そうですね。そのような者もいたように思えます」
「クビにしたぞ」
「えっ!?」
「驚く事もあるまい。文官達から話を聞けば始まりはあの者の虚言からだという事が解ったからな。責任としてクビにした。本来なら関わった文官達全員をクビにしたかったが、少しでも公務の記憶を持っている者が欲しいので他の者はクビに出来なかった。だが、あの者は公務の記憶が一切なかった事で気兼ねなくクビにする事が出来た」
公務の記憶。
確かにフレアがそのようなものを持ち合わせている訳がない。
フレアと私はほぼ同じ時期に王宮に入った。
フレアは文官として、私は王太子の婚約者として。
だが、フレアの虚言により文官は仕事を放棄し私が文官の仕事を担った。
5年間。
だからフレアに文官の仕事の記憶があるはずもなかった。
だけど・・・
「グレイブ殿下はフレアがいなくなっても宜しかったのですか?」
「???、どう言う事だ?」
「いえ、意味は特にございません」
グレイブ殿下はフレアについて何の感情も抱いていないらしい。
グレイブ殿下の政務を私がしていたのだからなのかもしれない。
「そういえばマホーニー領の事なんだが・・・」
「父の領地がどうかしましたか?」
「ここに来る途中で書状を預かってな。そうか・・・聞かされていないのか・・・」
何を聞かされていないと言うのだろうか。
グレイブ殿下の発言が気になってしまう。
しかし、そんな私の事を察してかラルカンが『問題ない、悪い事ではないよ』と言った。
どうやらラルカンは知っているらしい。
父の身に何かあったのだろうか。
4日目の朝、グレイブ殿下達は国に戻られた。
3日間の騒ぎが嘘のようにマホーニー公爵邸に静寂がもたされた。
マーガレットはグレイブ殿下の言葉が気になり久しぶりに父に手紙を書くが返事が戻ってくる事はなかった。
あれからどれくらい経ったであろうか。
私はいつものように朝食をと部屋へと向かった。
「遅いぞマーガレット早く座りなさい」
「そうよ、マグーシュ公爵家の方々にご迷惑をお掛けしてはいけないわ」
マグーシュ公爵家の食卓にここにいるはずがない者の声がした。
私はこの声の主を知っている。
懐かしい声であった。
声の方を見るとそこにはマホーニー辺境伯と辺境伯夫人が座っていた。
「どういう事?」
「はは、かなり驚いているようだね」
「どういう事?それよりも何で手紙の返事を書いて下さらなかったのですか?」
「すまん。実際に決定してから直接話そうと思ってな」
「決定?」
「ああ。マホーニー辺境伯領はアルオニ国から抜ける事にした」
「えっ!?」
「国王陛下からお前への仕打の責任を何かしらの形として取らせて欲しいと再三届いていてな。ならばと、視察団が訪れた時にアルオニ国を抜ける書状を渡したのだが、無事に受理された。今後はこちらの国に加わろうかと思い王都へ向かうついでに寄らせて貰ったのだ」
辺境伯の話を聞いたマーガレットはラルカンの方も見る。
ラルカンは申し訳なさそうにしていた。
「君に言わなくてごめん。今日まで確証を得られていなかったため君に変な期待をさせてしまって、もし破談となれば悲しませると思い言えなかったのだ。許して欲しい」
「そうなのですね」
「ああ、これからは我が辺境伯領とマグーシュ公爵領を結ぶ街道を強固なものにして、より活性化させていきたい」
「ええ。私も全力で協力致します」
「いや、君が無理せず行おう」
「そうですね。私ももう見窄らしい女に戻るのは懲り懲りです」
ああ、何て楽しい食事なのでしょう。
5年間得ることの出来なかったこの幸せ。
本来得ることがないこの幸せ。
もう見窄しい女の話は終わった。
ここにいる私は漸く見窄しい女から卒業出来たように思えた。
時は流れグレイブ殿下との婚約破棄から一年が立とうとしていた。
昨年度のアルオニ国は激しい変動の年となった。
王太子であったグレイブ殿下とマーガレット辺境伯令嬢の婚約破棄。
アルオニ国内の政務の歪みによる経営の悪化。
マホーニー辺境伯領のアルオニ国からの離脱。
グレイブ殿下の王位継承権返上。
国王と王妃の離縁。
カイル殿下が王太子に任命。
国王陛下の退位とカイル国王の誕生。
これ等の事が一年で起きたとは思えないほどであった。
そして、今日、見窄らしい女と罵られた私がラルカンと無事に結婚式を迎える事が出来た。
マグーシュ公爵家、マホーニー辺境伯家共に涙を流しながら拍手をしている。
グレイブ公爵とカイル殿下も笑顔で拍手して下さっているがその笑顔にはどこか影がみられた。
『見窄しい女』と蔑まれた私であったが無事に幸せを掴むことが出来た。
もう見窄しい女は何処にもいない。
FIN




