5 綻びる王宮
マーガレットが王都を去ってから一月ほど経った今の王宮は今迄の怠惰のツケが綻びという形として露わになっていた。
「グレイブ殿下は何をしているんだ!」
王都の市民がグレイブの公務に苛立ちを露わにしていた。
要因は陳情書であった。
グレイブは文官に素案の作成を行わせたがそこに重要度の仕分けを行っていなかった。
これにより本来速やかに行わなければいけない陳情書が山の中で眠ったままとなってしまった。
グレイブの無能により王都では水路の詰まり、橋の崩壊、魔物の発生など庶民の生活を歪ませるトラブルが次から次へと発生していた。
また、5年という年月は文官達の記憶を忘却させるには充分な期間であった。
そのため行われた公務も上手く機能せず、庶民・貴族の不満は募る一方となった。
その不満の全てがグレイブへと向けられていた。
全てグレイブが悪い訳ではない。
素案を作成したのは文官であった。
だが、最終的にサインをしたのはグレイブである。
そこにはグレイブが愚かであろうが関係ない。
今迄、マーガレットによって完璧に作り上げられた素案を自身のサインで自身の素案として行い、5年間も賛辞を独り占めしてきたのだから、批判もグレイブに集中するのも仕方がなかった。
王宮内の綻びはそれだけではない。
マーガレットは王宮内の人事・経理などの業務も5年間ほぼ一人で担っていた。
文官達は5年間と言う怠惰によって失われた記憶を蘇らせようとしていたが、そのような状態での経理など上手くまとめられるはずがない。
「グレイブ殿下、騎士団の方々から給金の計算が可笑しいのではないかと訴えが届いております」
「給料の計算が可笑しいだと?」
「はい。ご指示の通り先月と同額を渡したのですが『危険手当』が含まれていないようです」
「危険手当!?」
「先月、騎士団の方々は魔物討伐を行っております。魔物討伐を行った場合は危険手当として給金が割り増しで支払われていたそうなのです」
グレイブはそのような制度の事など知らなかった。
そして文官達も知らない。
何故ならば・・・
「どうやら三年前に騎士団からの陳情書によってまとめられた素案で承認された制度のようです」
グレイブは知らなかった。
だが、知らなかったでは済まされない。
陳情書は最終的にグレイブがサインをしていたからだ。
サインをするという事は書類に目を通したという証拠であった。
だから知らないで済まされない。
「ならば来月に不足分を支払うと伝えておけばいい」
「それが・・・」
「どうした?」
「王宮の経理を行っていたマーガレット様がいなくなり、どういった割合で割増手当を支給していたのかが解らないのです。素案を作成したのもマーガレット様で素案を保管したのもマーガレット様ですので、今三年前の素案書を探しているのですが見つかっておりません」
素案を作成したのも給与を割り振ったのもマーガレットであった。
マーガレットがいない状態では素案書を元に計算しなければならないのだが、その素案書が見つからなければ算出が出来る訳がなかった。
「殿下、騎士達の件はどういたしましょうか?」
「・・・制度変更の書類を作成して危険手当の制度がなくなったと知らせればいい」
グレイブは判断を間違えた。
制度の廃止は騎士団の陳情の却下と同じであった。
いや、却下よりもタチが悪い。
騎士達は一度権利を得てしまった。
そして前回の魔物討伐も権利を得られるものと思って励んでいた。
それを制度を廃止したから払われないと事後承諾として言われて納得できる訳がない。
それならば最初から受理されない方が良かった。
一度得られた権利を取り上げられれば不満が生まれる。
ここは、廃止ではなく少しでも良いから配布すべきであった。
しかし愚かなグレイブはそのような判断が出来なかった。
判断出来たとしても適した割合が解らなかった。
この判断ミスは今後に大きく影響してくる事となった。
王宮内の歪みはグレイブにも直接被害を受ける事となった。
「予算を戻すだと?」
「はい。現在経理が乱れ正常な収支が解らない状態となっております。つきましては、国庫の歳出を抑えていきたく殿下の割り当てられている予算を5年前に戻したいと思います」
グレイブは再三、予算の増加を訴えていた。
しかしアルオニ国の国庫は豊かとは言えなかったため、ずっと保留とされていた。
だが、マーガレットが王宮に来てグレイブの予算は増加された。
グレイブは己が認められたと思っていたが違った。
全てはマーガレットによって国の国庫が安定した事によるものであった。
グレイブは文官の言っている事に理解できなかった。
王宮には経理担当の文官がいる。
それらはマーガレットが来る前からいた。
なのにその者等はマーガレットがいなくなったから解らないといっている。
ならば、この5年間彼らは何をしてきたのだ。
ふと、自身の机の横のとある一角に目が行く。
一月前までグレイブの公務を代わりに行うマーガレットがいつも控えめに立っていた場所であった。
グレイブはマーガレットの姿を思い出す。
痩せ細った体。
遠くから見ても解る目のクマ。
自身の公務だけではなく文官達の公務も代わりに行っていたマーガレット。
グレイブが想像していた以上に公務を担っていたマーガレットに時間があったのだろうか。
『見窄らしい女』
自身が婚約者を蔑む言葉を思い出していた。
もし、彼女に時間がなかったとするならば・・・彼女のあの姿は・・・
一つの答えが頭の中に浮かぶ。
そして、その答えによって胸がチクチクと痛みを感じた。
以降、経理の歪みは正される事無く国庫は歪められたままであった。
グレイブは一つの決断をした。
「マーガレットを呼べ」
「はい?」
「マーガレットを呼び戻せば全てが解決する。今すぐマーガレットを呼び戻せ!」
「しかし、あのような事があっては・・・」
「私の命令だ!王家の命に従わないと言うのか!」
「おそらく」
「何故だ!」
「殿下でしたらあのような姿になってまで国を支えて来たのにも関わらず蔑まれ追い出された場所に戻りたいと思いますか?」
グレイブは何も言えなかった。
自身ならばそのような場所へなど戻るはずがなかったからだ。
しかし、マーガレットなしでは王宮の歪みは複雑に絡まる一方であった。
「ならば、経理の文官をクビにし、そやつらの給金をマーガレットに与える。領地に戻ってもどうせ邪魔者扱いされているだけなのだから適当な役職を設け給金が貰えるとなれば来るはずだ」
グレイブは解らなかった。
己が優秀ではないから。
優秀な人材はどこにいっても優秀であることを。
これで問題が解決すると思っていたグレイブは数日後に文官からの返答が己の予想を反していた事で口に運ぼうとしていたティーカップを落としてしまった。
「婚約しただと・・・隣国の者と・・・だから来れない・・・」
王太子に婚約破棄された令嬢など貰い手が出てくるはずがないと思っていた。
しかも、見窄らしい女とレッテルが貼られた令嬢などありえないと思っていた。
マーガレットが再び王宮に来る事はない。
もう自身で立て直すしかなかった。
しかし、彼や文官等には5年間という怠惰によって立て直す事が出来ないのは明白であった。
そして、彼らが記憶を呼び戻せたとしてもそれはマーガレットが来る五年前の王宮に戻るだけであった。
彼らは後悔をした。
『見窄らしい』と罵っていた令嬢がこの怠惰の集まりであった王宮を守って来ていた事を。




