2 王都離脱
カツン、カッツン、カツン、カッツン
会場を後にした私は薄暗い廊下へと戻って来た。
相変わらずふらつく足取りであったが会場へと向かう時よりも足取りが軽く感じられていた。
(早く王都をでなければ・・・)
私の思いを邪魔するかのように一人の文官が私の進行先で待ち伏せていた。
彼女の名はフレア。
伯爵家令嬢で王宮の経理部門の文官として務めていた。
フレアと私は同級生で学園での成績は毎回、私の下で私を何かと敵対視していた。
『マーガレット様が皆様の事を使えないと仰ってました』
『マーガレット様が無能達の集まりだからミスするのよと仰ってました』
彼女が王宮で務めてから私に対しての悪意は日に日に増していた。
私がこのような状況に陥ったのはフレアの悪意が原因でもあった。
しかし、フレアの虚言はあくまでもきっかけにしかならない。
その虚言を信じ仕事を放棄したのは文官達であった。
自身の仕事を放棄した事に正当な理由があろうはずがない。
彼らは今後、5年間の怠惰のツケを払っていかなければならないのだ。
「『見窄らしい女』と罵られ王太子様からも婚約破棄され王都からも出て行かなければならないなんてお可哀そうなこと。これではもう誰にもお声掛けられる事がないかと思うとお可哀想ですわ」
漸く勝てたと思ったのだろうかフレアがこれでもかと私を侮辱する。
しかしフレアの事などどうでもよかった。
私には時間がない。
騒ぎを聞き付けた国王陛下が引き留めに来る前にこの城から出ていかなくてはならない。
なので、私はフレアの横を一瞥する事無く通り過ぎた。
優越感に浸っていたフレアは無視されるとは思いもせず顔を真っ赤にして握りこぶしを震わせていた。
「何を無視して!見窄らしい女のくせに生意気なのよ!どこに行こうとしているのか知らないけど引継ぎの手続きで皆が待っているのだから早く文官室に来なさいよ!」
私は『引継ぎ』という言葉に反応した。
足を止めフレアの方へ振り向く。
突然に振り向かれた事でフレアは何かされるのではと一歩足を引いていた。
「『引継ぎ』とは可笑しな事を言われます。文官の方達が仕事を放棄したものを私は国のために仕方がなく処理しただけです。私の本来の業務ではないものを引継ぐ必要はありません。また婚約者としても婚約関係に引継ぐものなどありません。よって私が誰かに何かを引継ぐものは何もありません」
私の言っている事は正論であった。
正論であっただけにフレアは私が引継ぎを行わない事で起こるこの後の事を想像すると恐ろしく思い、先ほどまで赤らめていた顔が一気に血の気がひき青白くなっていた。
「そ、そのような事をしたら国が滅びてしまいます」
「私がいなくなっただけでですか?もし私が病で倒れたらどうなさる予定だったのですか?もし私が不慮の事故にあったらどうなさるつもりなのですか?一人の令嬢がいなくなっただけで国が滅びるように陥れたのはどなたの責任なのですか?一つ言えるのは婚約破棄された私の仕事ではありません。私は文官でも何でもないのですから」
「み、見窄らしい女のくせに!」
「最後にお伺いしますが貴女、私の心配をしている場合ではなくて?」
「どういう事?」
「私がいなくなる事で貴方達の怠惰が露呈する事になるわ。そうなれば処分される事になるのでしょうけど、必要な人材は業務を行わなければいけないから引き留められるはず。だけど、貴女はどうかしら?5年間公務を行って来なかった事で貴女には知識もない。今の貴女にあるのは怠惰な罪だけよ。そのような者を王宮の人達が貴女を文官に留めようとするかしら?」
フレアはもう何も言う事が出来なかった。
何かを言える言葉が出てこなかった。
私の言葉が的確であったからだ。
今後の自身の行く末を想像し、フレアはその場で座り込んでしまった。
無言で座り込むフレアをほっといて私は今度こそと自室へと向かった。
「マーガレット様、おめでとうございます。既に準備は整っております。」
室内には侍女のマーサと護衛のキルドが荷物を持って待っていた。
二人は辺境伯家にいた時から仕えている王宮内にいる唯一の味方である。
「国王陛下の耳に入るのも時間の問題よ。時間がないわ、直ぐに行きましょう」
二人には予め荷物をまとめるよう指示していた。
荷物といっても二人が持てる程しかない。
5年間、社交の場にも出ず公務に負われていた私にはドレスや宝飾品など買う暇も必要もなかった。
グレイブからの贈り物なども一つもない。
二人がまとめた荷物は実家から持って来たものしかなかった。
情けない話だけど、この時は婚約者の軽薄さに感謝した。
「馬車は?」
「ご実家から既に迎えが来ております」
マホーニー辺境伯領は北西の国境を守っており、王都から3日程掛かる場所に位置する。
だが、ついさっき婚約破棄されたのにも関わらず、辺境伯領の馬車は待機していた。
何故ならば私は知っていたからだ。
今日、グレイブ殿下が婚約破棄する事を。
どうして知っていたかは重要ではない。
ここで重要なのは如何に早く王都から出て行く事。
二人と共に実家の馬車が待つ場所まで向かった。
出来れば誰とも会いたくない。
パーティーが行われている事が幸いし侍女達はそちらに駆り出されているためすれ違う者は殆どいなかった。
このままあと少し・・・
ふらつく足取りを鼓舞しながら早足で向かう。
しかし、そういう時こそ誰かに会ってしまうもの。
「マーガレット様、もう行かれてしまうのですか?」
私に声を掛けて来たのはグレイブ殿下の弟君で第二王子であるカイル殿下であった。
カイル殿下はまだ学園生のため、まだ公務を行っていないが、学園ではずっと首席と顔立ちはグレイブと似ているが性格や知能は全く違った。
提出した書類に唯一興味を持ちじっくりと書類を読んでいたのはカイル殿下だけだあった。
「はい。私がここに留まる理由などもうございませんので」
「兄上は後悔する事となるだろう。明日よりアルオニ国は混乱に陥る事になるが、それは決してマーガレット様のせいではございません。全てはこの王宮の者達の怠惰によって起こる事です。ですので、マーガレット様は気になされずゆっくり休まれて下さい。5年間ありがとうございました」
「ありがとうございます」
彼は私の5年間を見ていた者。
それだけで私にはこの5年間が無駄ではないように思えた。
5年間を理解して下さったカイル殿下ともっと話の続きをしたいが、早く王都を出なくてはならない。
この件を陛下の耳に入れば直ぐに私を引き留めに来るはず。
その前に王都を出て行かなければならなかった。
私は深々と頭を下げカイル殿下に別れを告げた。
マホーニー家の馬車に乗る。
私を追い掛けてくる者の姿はない。
暫く暗闇の王都を走る。
窓越しに市井の景色が見える。
彼等には申し訳ない。
何も知らない彼等は明日から混乱へと陥る。
どうか私の事を赦して欲しい。
馬車は留まる事なく走り無事に馬車は王都出る事が出来た。
私は漸く5年間の地獄から抜け出す事が出来た。
安堵した私は小さくなりつつある王都を眺めながらウトウトと瞼を落とした。
馬車は私を起こさないように辺境伯領へと向かう。
この夜、王都から『見窄らしい女』と皆から揶揄されていた令嬢の姿が消えた。
人々は知らなかった。
彼女が王宮の裏方の業務を殆ど担っていた事を。
そして人々は知る事となる。
彼女がいなくなった事でこれから訪れる王宮内の歪みがアルオニ国全体へと広がっていく事を。
もう後悔しても手遅れであった。
『見窄らしい女』と揶揄された令嬢はもう王都にはいないのだから。




