1 見窄らしい女
カツン、カッツン、カツン、カッツン。
皆が夜会へと消え薄暗くなった廊下に一人の令嬢が覚束ない足取りで歩いていた。
行き先の扉の前には衛兵が立ち阻んでいた。
薄暗い先から現れる音に衛兵は構える。
「誰だ!ここは王家専用の・・・ひっ!?」
薄暗い廊下から現れたマーガレットの姿を見て扉を守る衛兵の一人が思わず悲鳴を上げた。
幽霊か何かと間違えたのだろう。
「馬鹿!!マーガレット様だ!」
「も、申し訳御座いませんでした」
「構いません。本日、グレイブ殿下に顔を出すように言われておりますので通して頂けますか?」
「で、殿下がですか・・・?」
衛兵達は互いの顔を見合せる。
この扉の先と目の前にいる令嬢の姿はあまりにも場違いであった。
そのような者を通したとなればどのような裁きが下されるか解らない。
しかし、殿下の婚約者であるマーガレット嬢を通さないのも問題となってしまう。
衛兵達はどうしたものかと悩んでいた。
「安心して下さい。もし何か言われましたら私に『殿下に呼ばれたと言われたので通した』と言われれば貴方達が責められる事はありません」
免罪符となると言葉を得て衛兵達は扉を開ける。
扉が開かれることにより旋律と輝きが薄暗い廊下へと漏れ出す。
扉の向こうは薄暗い廊下とは別世界であった。
会場内は楽団による音符が舞い踊り、シャンデリアの輝きが会場内を奏でていた。
人々は会話の花を咲かせ今宵の社交パーティーを楽しんでいた。
今のマーガレットの姿は明らかに場違いな場所であった。
しかし、マーガレットは開かれた扉から場違いな会場へと脚を踏み入れた。
カツン、カッツン、カツン、カッツン。
覚束ない足取りで会場の奥へと進む。
私が近付くと先程まで咲かせていた会話は枯れ、人々の波は十戒の如く割れ裂ける。
そして皆が同じようにすれ違う場違いな令嬢に怪訝な視線を送っていた。
それだけ彼女の姿は異様であった。
目には大きなクマを拵え、瘦せほとった体でフラ付きながらどうにか会場内を歩む姿は祝いの席に囚人が迷い込んだみたいにこの場に不似合いであった。
自国の貴族は彼女の存在を知っているが国外からの来賓は何が迷い込んで来たのかと警戒していた。
「マーガレット・マホーニー!」
会場内に男の叫び声が聞こえる。
マーガレット・マホーニー。
皆から怪奇な目で見られている彼女こそがマーガレット・マホーニーである。
マホーニー辺境伯の令嬢で叫んでいる男はマーガレットの婚約者でグレイブ・バーンズであった。
彼はこの国の第一王子である。
その婚約者が私の名を叫んでいた。
私が姿を現した事を不快に思ってではない。
これから行う事を皆に注目して欲しいからだ。
そして、その計画は見事に上手くいった。
グレイブ殿下の叫び声に気付いた楽団は演奏をする場面ではないと演奏をする手を止め、来場した者達はこれから何が行われるのかと会話を中断してグレイブ殿下とマーガレットの方に視線を向けた。
(ああ、漸く・・・)
この日が来るのを待っていた。
だから私は知っている。
この後、何が行われようとしているのかを。
だって、これから行われる事は私が待ち望んでいた事なのだから。
「貴様ほ私の婚約者にも関わらずその見窄らしい女でいいはずがない!」
見窄らしい女。
婚約者であるグレイブ殿下が私を呼ぶ時は名を呼ばない。
必ず見窄らしい女と呼ぶ。
確かにこのような姿の令嬢が王太子であるグレイブ殿下の婚約者であると誰が思う。
現にグレイブの発言により事情を知らない人達はアレが王太子の婚約者??と、目を点にして私の姿を頭から足の爪先まで何度も見交わしてした。
しかし、好きでこのような姿をしていた訳ではない。
私がこのような姿をしているには理由があった。
グレイブ殿下は見た目は絹のように煌めく金色の髪と透き通った泉のような青い瞳と見目麗しい姿ではあったが、中身は愚かな人間であった。
自身の公務を行う事など出来ないほどに。
嘆いた国王が学園で5年間首席と優秀であった私を婚約者として選ばれグレイブ殿下の公務を代わりに行うよう頼まれた。
言葉は頼みだが、ほぼ王命に等しい。
断れば罪に問われるため引き受けるしかなかった。
殿下の公務を代わりに行うくらいなら何の問題はない。
問題は文官達が行う仕事も行っていた事だ。
市井からの陳情書に対する方案の作成。
海港税の根拠の作成。
王宮内の財務管理。
これら本来は文官達が行うべき仕事を私が行っていた。
いくら優秀である私でも一人で行える量ではなかった。
何かを犠牲にしなくては。
睡眠時間を削り、食事の時間を削りと公務を滞らないようにするためにありとあらゆるものを削ってきた。
それを5年間行った事で私の姿は貴族の令嬢とは思えない姿へと変わっていった。
グレイブ殿下は顔を合わせる度に見窄らしい女と蔑む。
それに習って文官や侍女等も影で見窄らしい女と嘲笑っていた。
「今宵もそのような見窄らしい姿を現すとは国の恥とは思わないのか!」
(ご自身が来るように言われたくせに・・・)
今日、事前にグレイブ殿下から顔を出すように言われていた。
だから、公務を中断して顔を出して来た。
私からしてみれば公務を行うことが出来ない王族の方が恥だと思うが、そのような事を言えば5倍10倍となって返ってくる。
そのような時間の無駄を避けるため沈黙する事にした。
「だいたいだな・・・」
(ヤバいゾーンに入ってしまった・・・)
グレイブ殿下は無能なくせに演説好きとタチが悪い。
語り始めて既に15分が経つ頃には会場中の皆が顔を見合せながらいつまで続くのかと額に汗を浮かべていた。
私もグレイブ殿下から希望の一言が飛び出すのを待ち遠しく早く本題に入って欲しいと拳に力が入る。
その一言が聞ければ眠る事が出来るのに・・・
なのに私の目の前にいる男は自身の饒舌さに酔いしれて話の本題に入ろうとしない。
私は拳を握りしめまだかまだかと苛立ちを我慢していた。
そして、漸くその時が訪れた。
「よってグレイブ・バーンズはマーガレット・マホーニーとの婚約を破棄するものとする!」
「ありがとうございます!」
待ち望んでいた言葉を聞けて思わず即答してしまった。
婚約破棄宣言に対しての即答で感謝の言葉が飛び出すとは誰もが予想しない返答に自身に酔いしれていたグレイブ殿下はあっけに取られ呆けていた。
顔が整い過ぎているだけにグレイブ殿下の呆けた姿はあまりにも間抜けた顔に見え思わず吹き出しそうになり咄嗟に俯いて顔を隠す事にした。
「ふん!今更後悔しても遅い!尚、見窄らしい女が王都をうろつく事など我慢ならん!よって貴様を王都から永久追放とする。早急に王都から出ていけ!」
俯いた姿が後悔していると愚か者王子は自身の都合が良いように勘違いしてくれた。
この時ばかりはグレイブ殿下に感謝しかない。
「お言葉に甘えそうさせて頂きます」
私には未練などない。
元々、優秀な私は顔だけの無能なグレイブ殿下の事が好きではなかった。
王命だから仕方がなく婚約者として我慢してきた。
しかし、それも漸く解放される。
五年間・・・見窄らしい女と蔑まれながらも我慢してきた。
しかし、もう我慢する必要はない。
「待て!貴様、ショックのあまり頭が可笑しくなったのか?」
深々と頭を下げた後、笑顔で踵を返して去ろうとした姿が気に食わなかったようでグレイブ殿下から『待て!』の声が上がった。
可笑しくなったか!?
この姿を見て可笑しく思わない方が馬鹿でしょ。
早く去りたい私にとってグレイブ殿下の呼び止めは鬱陶しいだけで思わず大きなため息を吐いてしまった。
(最後だから言いたい事を言ってさしあげましょう)
「可笑しくなったかですか・・・グレイブ殿下には私の姿を見て今迄可笑しいと思わなかった事に可笑しく感じてしまいます。グレイブ殿下の婚約破棄と王都永久追放のお言葉は心の底から感謝しているのですよ。グレイブ殿下と婚約した事によって殿下の公務だけでなく文官達の仕事もさせられ、寝る時間も食事をする時間もありませんでした。ですが、グレイブ殿下のお陰で公務地獄から解放させて頂きましたので私の感謝の気持ちは嘘ではございません。これからは殿下及び文官の皆様にはご自身で公務を行って頂く事になりますが私には関係ない事でございます。5年間大変お世話になりました」
場内は私の言葉に気付かされた者と気付かない者とで二分されていた。
国内の貴族は『あの姿では仕方がない』『今迄よく我慢して来られた』と気付くことなくグレイブ殿下を擁護する者が多い。
逆に国外の来賓は気付いたようで『王宮は奴隷として扱っていたのか?』『昔はあのような姿ではなかった』『この国は近いうちに荒れるな』など王宮の闇を感じられていた。
グレイブ殿下は馬鹿だから気付かないでしょう。
まあ、どうでもいい事です。
私は漸く掴んだ自由が待っている事が待ち遠しく、再び踵を返した。
グレイブ殿下はまだ何か叫んでいるようだが、私の耳は彼の声をとらえる事を拒否した。




